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戦国武将に学ぶ!No.1~藤堂高虎~


”軍師”
こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。



* * * * * * *


noteをはじめたときの記事に、
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
という言葉を大切にしています、と書きました。


歴史に学ぶということで参考にしているのが、
戦国武将や軍師です。


私には本当に好きな武将、軍師がたくさんいます。
もしタイムマシンがあったらその時代まで行き、
武将や軍師の元に実際に仕えたい!学びたい!
と思うほど好きなのです(笑)


これから不定期にはなりますが、
私が好きで見習っている、学んでいる
武将や軍師を紹介していこうと思います!







コミュニケーションに長けた武将、藤堂高虎!



前回の記事で、組織力について書きました。


組織力のアップを考える上で、
大切なのはコミュニケーションです。
歴史上の人物の中でもコミュニケーションに
長けた人物にはつい注目してしまいます。


そこで今回ピックアップするのは、


藤堂高虎(とうどうたかとら)
です。


多くの戦国武将の中でも最高の人間関係を
築いていけた人物
なのではないかと思います。


7回も主君を変えたことで有名な人物です。


これだけ聞くと ”風見鶏” のように受け取られ、
「誰にでも良い顔をして態度を変えていたのでは?」
と思われがちなのですが…


そうではありません!


主君を変えてでも、しっかりと家を守った、
戦国時代を見事に生き抜いた人物なのです。



お仕えした7人の武将の中には、
豊臣秀吉、徳川家康がいて、
織田家にも仕えたことがあります。
この事実だけでもかなり有能な人物
だったことがわかります。


卓越した人物たちに仕え、渡り歩けたのはなぜか?


それは備わった能力もさることながら、
コミュニケーションがきちんと取れていたからです。


「高虎は有能で、
自分のことをちゃんと理解し、行動してくれる!」
と主君から思ってもらえなければ、
絶対にお仕えはできなかったでしょう。


「口達者で上手く取り入って
気に入られたのでは?」
とも思われがちなのですが…


全くそんなことはありません!!


素晴らしいエピソードがたくさんあります。
本当に幾つもあるのですが、ひとつだけご紹介します。



関ヶ原の戦いで…



歴史上有名な合戦のひとつ、関ヶ原の戦い。


東軍の大将は徳川家康、西軍は石田三成。
藤堂高虎は、東軍…家康側についていました。


敵方である西軍には、
大谷吉継(おおたによしつぐ)
という有能な武将がいました。
石田三成に恩を感じて西軍についた人物です。


小早川秀秋の裏切りもあり
大谷軍はこの戦で壊滅し、
戦場で自害を余儀なくされます。


大谷吉継は多くの人望を集めたため、
家来たちも有能で、恵まれていました。
戦の前に大谷吉継は、
「(もし自分が死んでも)
自分の首は、絶対に家康に渡すな」
と、
家来たちに言い渡してありました。


主君を討ち取られた大谷軍の家来は、
「首を絶対に渡してはならない!」と、
その首を持って必死に逃げますが、
藤堂高虎の甥であり家来の、
藤堂高刑(とうどうたかのり)に見つかり、
「首をよこせ」と迫られます。


「絶対に渡せない。見逃してくれ」と、
大谷吉継との約束、吉継への忠義を
果たそうとする敵方の家来。


すると藤堂高刑は、
「その首を持って逃げろ」と見逃します。


敵方の武将の首を持って帰ることは
徳川家康からの命令です。
本来ならば絶対に赦されません。


高刑からの報告を受けた高虎は、
高刑を追及することなく、
ただ「わかった」とだけ言いました。



東軍が勝利し、家康に呼ばれた二人は、
当然、「首を持ってきたか?」と聞かれます。


これを受けた高虎は、

「うちの家来が武士の情けで、(敵方の家来と)契りを交わし、それを私は許しました。だから首はありません。

彼を信じているので、彼が決めたことを私は信じ、守ります。

責任はすべて私にあるので、私の命ならばどうなっても構いません。」


と、正直に告げます。


戦国時代で、敵方の首を持って帰ることは
出世を意味し、さらに先ほども書きましたが、
君主の命令です。
これに背くことは赦されることではありません。


しかしここからがまたドラマで…


通常であれば切られても同然の行為でしたが、
家康は高虎の覚悟に胸を打たれたのか、
罰するどころか逆に石高を上げたのです…!!
現代風にいうと、高虎を出世させました。




このエピソードからわかるのは、
藤堂高虎という人は、仁義にとても厚かった。
自分の首をかけて部下を信じ、守る人だった。


徳川家康にこびへつらっていたわけでなく、
覚悟を持って対等に渡り歩いた。
そうやって君主に仕えてきた人物なのです。


自分の家来だけでなく、
家来が契りを交わした敵方の家来、
そしてその君主である大谷吉継のことまで考え、
武士の情けを通しました。


現代の会社組織で例えるなら、
上司に対してきちんと義理を通し、
対等であろうとする姿勢
であり、
また部下への接し方については、
その行いを尊重し、且つ責任を持つ
という
覚悟ができていた素晴らしい人物だったと
いうことができます。


藤堂高虎の生き様は、現代のビジネス…
組織を創る上で智慧を与えてくれるものと
いえるのではないでしょうか。


私は純粋に、この義理人情の話が
好きであると同時に、
藤堂高虎その人の生き様に、
深い感銘を受けています。


大河ドラマで藤堂高虎を取り上げてほしい!!!(笑)



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