見出し画像

「かわいそう」は人を傷つけうる

「かわいそうに…」

バスの中で誰かが小さく呟いた。誰のことだろうと思っていると、「あんなに目が腫れてしまって」という言葉で初めて自分のことだと気づく。

「私、かわいそうなのかな」

たしかに見た目はアレだけど、そんな風に言われて何だか複雑な気持ちになった。

…これは私が中学生の時の話。私はそういう体質だからか、中学生の頃からよく瞼にできものが出来て腫れてしまうことが多かった。幸い、今では滅多に腫れないけれど、それこそ酷い時は上瞼も下瞼も赤く腫れ上がった状態で、眼帯で隠した方が良いくらい見た目が痛々しいこともあった。

だけど、私は眼帯が好きではなかった。何より片目が隠れると慣れないせいで不便だし、余計に目立つ気がした。だからいつもそのままで学校に通っていた。

学校の心優しい友人たちはそんなことを気にも留めず、私の瞼が荒れた状態でもいつも通りに接してくれた。

でも登下校の時は違った。隣の人がさりげなく二度見してきたり、驚いた顔をされることもあった。百歩譲ってそれは仕方がないとしても、「かわいそう…」と言われるのはやっぱり嫌だった。

私は人にかわいそうと言われると、ちょっと惨めな気持ちになる。瞼が腫れて見た目が悪くなったことは自分でも気にしていたし、悩んでいた。それでもなるべく気にしないようにしていたのに、かわいそう、の一言で一層気にしてしまうのだった。


「かわいそう」という言葉は、その人のことを心配し、同情しているから出る言葉なのだと思う。だけど、この言葉にはどこか冷たいニュアンスがあって苦手だ。本人は同情しているつもりなのだろうけど、本当はただの他人事だから、そんな言葉をさらっと口にできるのかなと思う。

それに、「かわいそう」はその人の主観でしかない。表面上はかわいそうに見えることでも、実際はそうではないことだってある。それなのに、そんなことを想像せず良かれと思ってこの言葉を口にすることで、逆に相手を傷つけてしまうこともある。だから、むやみにこの言葉を使うのはあまり良くないと思う。

「かわいそう」はその人に同情する良い言葉のように感じるけれど、時にはそうでないこともある。ついつい口にしてしまう言葉かもしれないけど、そのことを念頭に置いておきたい。

(おわり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?