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VERBE〜動詞的な日常

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「動詞としての文化」とは何かの考察
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2020年4月の記事一覧

蕎麦を打つように失敗をする

蕎麦を打つように失敗をする

およそあらゆる仕事の極小単位は大して変わるものではないと思っている。大学教員という仕事はそれなりに珍しいものかもしれないが、その極小単位は調べ物をし、書類を作り、人に連絡を取り、勉強をすることだ。種類は違うが、やっていることは小学生と早々変わらない。AI時代を迎えて「役に立つ仕事」「金になる仕事」「消えてなくなる仕事」といった分類がなされ、無関係の人が職業の不要論を語ることもしばしばだが、個人的に

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アクティブラーナーを求めるのならば

アクティブラーナーを求めるのならば

いつになく走っている。

筋肉痛が残りながらも、距離を調整し、二日に一度のペースで走る。そもそも走り出したときは毎日続けていた。何事もスタートは楽しい。「ペースを守らねば」というそれらしい逃げ口上でサボっていただけで、要は飽きたから走るペースが遅れた。ただそれだけのことだ。

しかし走るのは楽しい。唐突にやってくるあの快感に変わるものはそうそうないだろう。

定期的に「挑戦」とTwitterで息巻

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個別文化としてのオンライン

個別文化としてのオンライン

息子とポケモンの新シリーズを見ている。新キャラのヒバニーがラビフットに「進化」することで、一転してクールな性格になる。こんな描写も、来るべき息子の思春期の表象として受け取ることができる。近い未来だ。

あらゆるものは自分に「紐付け」可能であり、自分ならではの「見方」へと変わる。それがポケモンであろうと、ウイルスであろうと、本質は変わらない。

にわかに「オンライン」という五文字のカタカナが飛び交う

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まるで物語を作り上げるように

まるで物語を作り上げるように

これまでと今日で生活は変わったが、中心にいるのは相変わらず「自分」だ。ランニングは問題ない(むしろ健康のため推奨されている)のだから、いつものように走っている。ちょうどこの時期は走るのに心地よい。公園の桜も満開である。

今日は5㎞と少し走った。3㎞程度のときもある。自分のペースを守りながら走り続けている。

自分がランニングをするようになったのはスポーツ推薦生との出会いにあることはすでに以前のn

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