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発散と表現はどう違うのか?

営業企画コンサル かわっちゃんです。

今日は、大人と子供向けにアート教室をやっていた時の話をします。

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アートをみなさん、創造性を発揮しなければならない等どこかうまくやらないといけないもの、という固定観念を結構お持ちで、一歩目が踏み出せなかったり、またはとてもだいそれた行動に思っていたり、または自分が大きく自信を失っているトラウマの記憶のひとつになっていたりている人が多いようです。


上手くできない、上手く描けない、上手く見せられない


人にそれをほめらない経験、中にはけなされる経験、などもあることでしょう。少なくとも誰かと比較されたり、上手い人の隣に掲示されたりしている人の絵を見て、残酷だなぁ、私が隣でなくてよかった、と思うこともあったことでしょう。または自分が楽しく描いた絵を上からなぞられたり訂正を加えられて自尊心を失った経験もあるのではないでしょうか?


本来、子供のころにやっていたのは、大人からすると、表現のひとつとして見えているかもしれませんが、僕からしたらそのほとんどは、発散です。


自分の言えない気持ちや感情、記憶、普段言葉にできない思いを、色を何度も塗りつぶしたり、粘土でつくっては壊したり、ただただ落ち着きたくて水遊びをしていたり。


僕が個人で関わって来た子供たちはとても個性的だったし、造形教室のお手伝いもしていたときは、障害が気になる子で未就学の子や療育園には行かせていない子などがいました。

たしかに大人から見たらすごい表現!と思うものも、実は彼女彼らの中では好奇心を充たし、そして自分の頭の中にある物語をただ外にだしてなぞっていく不思議な冒険譚でしかありません。僕はその冒険譚を一緒に遊びそしてその仲間に加えてもらうことにしていました。


発散とは、とにかく自分であることを自分で認めるために必要な解放です。


身体もそうですが、発散しないとなんだか身体に毒素がたまる感じで調子が悪くなりますよね。発散は、デトックスです。解放してすっきりする。これだけが目的です。解放してすっきり出来たらようやく自分という人間がここにあるということを、認める準備が出来ます。


準備が出来るのと、解放が起きたので、実はここで終わっちゃうことが多いのです。なんでかというと、とっても解放感の中に疲労もあるし、すっきりしたあとには、もう何もしたくないのです。これで最高!ストレス解消!


でもこれを、表現、と勘違いしてしまう人が多いのです。

特に絵などの作品として残るもので、発散をした場合、そこに出来上がったものがまるで、この世界におりてきた摩訶不思議な作品として、すごい!となることがあるからです。でも僕はこのすごい!すら解放であり、発散のひとつだと思っています。すごい!ということで人はこれまでの自分を発散するからです。



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では表現とは何でしょうか?


これは僕の考えです。一般的に正しいかわかりません。特にアートをするうえでの考えです。アートを通じて人に伝えたい考えです。


表現とは、表に現す、表に現れる、です。つまり、伝えたいことが誰かしらにある、ということです。そしてそれを、伝えるもの、ということになります。

つまり表現とは、人に伝わるもので、伝えたいことが、脳から外に事実として作品として現れる、ということです。


これは発散とは大きな違いなんです。


発散とは、自分ひとりの問題です。自分が自分として解放できるか否か、です。


表現とは、自分と世界との問題なんです。世界に対して自分という存在が伝えたいことが、作品として表に現せて、世界にみせられるかどうか、なんです。


実は僕はここでは、伝わるか、ということにはあまりこだわりません。


表現で大切なのは、伝えたいことがあり、伝えたいことが作品として、発散ではなく、世の中に現せて、見せられるようにできるかどうか?ということなんです。自分が気持ちよく解放しているだけではだめです。


出来ちゃった、現れちゃった作品というのは、僕は結構好きです。でもそこに伝えたいことがないとダメ。世界との繋がりがあるかないか?ここが実は大きな分かれ目であり、価値がわかれるところ、と思うのです。



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僕が提唱したいのは、この発散で、実はアートに限らず、ビジネスや、生活の多くの行動の中で、表現にしているつもりで、止まってはいないでしょうか?


例えばSNSの投稿や、営業活動、仕事の依頼の仕方、進め方、自分のサービスひとつとってもです。お金の使い方、もらい方、衣食住の充足、恋人やパートナーとの出逢いや付き合い方、家族との関係、それの伝え方や広め方が、発散になっているとおそらく伝えたい相手・人には届きませんから、とても安心できず、解放されているはずなのに、不安だったりしませんでしょうか?


表現になるにはどうしたらいいのか?とても重要なことだと思うのです。そしてこれが解決していくことで人の豊かさはレベルがあがっていくはずだと僕は思うのです。


ちなみに障害者の方々とアートをする機会で僕が感じてきたのは、この発散をひとまず越えていかないと、表現になっていかないということです。


発散をやりきり、気持ちよかった、満足したをとにかくやりきると、今度は、世界を感じる気持ちに自然と向かいます。これを僕は触感や体軸の感覚、その人の魂を感じながら見ていきます。


発散さえ終われば、人は表現に向かいます。不思議ですがそこが発散で終わり、筆をとめて、もう辞めてしまったり、続けることを拒否している人は、また発散から始めます。ずっと表現にたどり着けず、一時的な解放感に自分を充たしている感じになります。


僕はそれがとても辛いなと思うのです。



事業をプロデュースしていく、サポートしていく時の僕の重要な観点です。

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