犬とパソコン__2_

実は司書

授業をとり、賞状チックな厚地の紙を貰っているので、たぶん司書

図書館は好きだった。本を借りるのも好きだった。でも読めなかった
読める本が少なかった、というのが正しいかな?
実はたくさんの活字を追うのが苦手だ。飽きっぽいのも影響してると思う
絵のない本は全く無理。読まないけど分厚い本を持っているのは好きだった
なんだろう? この矛盾

一つ思い当たるのは、昔誰の家にも最低10冊はあったあの大きな本
カバー付きで重くて大きく、かわいらしくない挿絵と、細かい文字
小学生に読めるものではあったけれど、飽きっぽい子供には無理な代物
カバーから出すのも面倒、開いて幅を取るのもうんざり。絵本とは違う
あれが本だと思うと、こちらの気をそがれるのも仕方が無い。言い訳だけど

英字の読めない本に惹かれた。読みたいとは思わなかった
読めるようになりたいとも思わず、ただ持っているだけで満足だった
並んだ字が読めようと読めまいと、活字や英字を眺めるだけでよかった
バインダーとかファイルとか、持ち歩くことがかっこいいと思っていた
好奇心はあるのに、探究心がない? ただの収集家のようだ

書く人はやっぱりたくさん本を読んだ方がいいんだろうな
でも、持っているだけで満たされてしまうのはただの独占欲かしら
学校にも行っていない今、知識はニュースや新聞なんだろうな
でも、サスペンスやアニメでも知れることはいろいろあるのよね、noteも
本を読まないくせに、自分の書いたものを読んで欲しいのは我儘かしら
面倒臭がりがだめなのね

文系のわたしの持てる資格は限られた。そして司書だけ
学芸員もとっておけばよかったなと後悔している。今更だけど
でも、それをしなかったおかげで出会わなくても良い教科に出会った
まぁ、あまり役には立ってないけど、話題作りの足しにはなった
我が子らも文系…にも関わらず、学芸員のことを言い忘れていて
愚かなことにふたりともなんの資格もとっちゃいない
それはそれでヤツらの自由だけれども

図書館は好き。だから図書館で働けたらいいなと思っていた
もしくは児童館とか、学校図書とか、とにかく携われるところ
でも「そんなひと、山ほどいる」って言われあえなく玉砕、それがしばしば
そして、いつか諦めた
残った特技はオーバーリアクション。訛りの「読み聞かせ」ボランティア
それはそれで結構楽しい
人前が苦手なはずの私は、強靭なおばさんの鎧を得、楽しんでいる

本を読むのは苦手なのに「読み聞かせ」って、それも矛盾

信念を持ってやっている人には悪いが、わたしはただ好きだから
それは一種のアーティスティックなパフォーマンスに近いかもしれない
もちろん! 夢は壊さず、基本には忠実に、ではある
本があるかないかの違いで、一人舞台さながらな10分間
実はものすごく緊迫していて、必ずと言っていいほど汗をかく

これはバランスを保っているということだろうか…だいぶ司書から離れたな

いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです