ずるがしこく、そうでなくても器用に、生きなければと思うあなたへ(本を読んで考える:アルジャーノンに花束を)
2019年4月、会社員になったばかりだった私はこんなことを思っていました。
「いつかは昇進を考えるんだろうな~。成果を出して数字をあげて、好きじゃない上司でもどうにか好かれて、時流に乗って…。」
「時には、ずるがしこく。5年後を見据えれば結果的に不要になるシステムだったとしても、1年後の売り上げ目標のためにお客様に売るときも来るのかな…。」
「なんにせよ器用に、要領よく…。」
きっと正直者はバカは見るんだろうな。
そうじゃなくても、こんなことで思い悩んでいる時点でもうバカなのかな(笑)
会社の論理ってものがあるんだろうな~。あ~怖い怖い。
そんなことを考えていました。
さて実際はどうだったでしょうか。
会社に入れば、やはり会社の論理に乗って仕事をするもののようです。
セオリー通りに実態がなくとも数字があれば、評価され、昇進します。
そのためにみんな虚構の数字を追い求めています。
偉くなった人は、自分がそうしたように、会社の論理に従うように暗に部下を誘導します。
そうして、思考停止的に会社の論理に従うことが評価されること、すなわち「正しい」ことなんだと、社員一人一人の頭に強化されていくのでした。
オルテガもびっくりの、大衆の再生産が続きます。(参考:大衆の反逆)
自分の頭で考えず、心に従わず、ほかの人と同じように会社のルールに盲目的に従うだけの自分を、それで会社での地位を得た自分を偉いと思い込むのです。
今だからこそ、少しずつ、距離を置いて、客観的に見ることができているつもりですが、会社にいた当時の自分もまた、大衆の一人になろうとしていました。
みなさんはどうですか。
大衆に十二分になりきれる人もいるでしょうし、会社の論理に会社にいる間は従いながらも、本心では懐疑的である人もいるでしょう。
結局、私はそのどちらにもなれなかったのです。
だからこそ会社を辞めて、無職になりました(笑)
そうなれなかったことは、幸か、不幸か。
それはこれからの私の人生と、その時々の私自身の解釈によって変わるのでしょう。
主人公:チャーリィ・ゴードンについて
さて、閑話休題、今日の1冊「アルジャーノンに花束を」について話しましょう。
この本は、言わずと知れた世界的名著で、「いつか読んでみたい」と思っている人も多いのではないでしょうか。
少し前に、SNSでもバズったようで、現在は下記のはるさんのコメントが文庫の帯につけられて書店に並んでいます。
本書の主人公はチャーリィ・ゴードン。30代男性。
彼は幼いころより知能に発達課題があります。
簡単な英単語のつづりもあやふやで、誤字だらけの文章を書きます。
中学生ごろまでずっとおもらしをしていました。なんと30歳を過ぎた今でもたまにしてしまうことがあります。
普段は、パン屋で働いているのですが、パンの作り方をまったく覚えられず、ずっと掃除を命じられています。
そんな彼が画期的な脳外科手術を受け、実際に知能が発達していく。
十数か国語を操り、様々な国際学会へ論文を提出するほどに。誰もをおどろかせていく。
しかし…、というのが本書のおおまかなあらすじでしょう。
作品名になっているアルジャーノンは、チャーリィよりも先に、彼と同じ手術を受けたねずみの名前です。
手術を受けたことによって迷路が解けるようになるアルジャーノンを見て、チャーリィは「僕も頭が良くなるのかな?」「手術を受けてアルジャーノンより早く迷路を解けるようになりたい!」と言って、手術を受けることを決意します。
そんなチャーリィの人柄は、素直、実直、そして真摯で誠実です。
人によっては彼を愚直、愚鈍、馬鹿正直だというかもしれません。
彼は、私が冒頭で述べたような民衆型会社員と対照的な人柄なのです。
パン屋の同僚たちは、彼をおちょくっているけど、彼はそれに気づかず、「大切な友達だ」といいます。
家族から家を追い出されているのに、どうして追い出されたかもわからないし、どこに家族がいるかもわからないのに、「頭がよくなったらお母さんに自分を見せてあげたい」といいます。
彼の人柄に、登場人物のなかにも、心打たれるものが出てきます。
チャーリィを見て、どう思うか
なんとなくですが、この本を読むと感想は以下の3つに分かれると思います。
チャーリーと自分自身を強く結びつける人(「チャーリーって私のことだわ!」と思う人)
チャーリーと自分をそこまで結びつけないが、モヤモヤする人
この物語は自分とは無縁だと思う人(「なんだこの話」「きもちわるいな」と思う人)
まあ、3の人には時間の無駄だったかもね(笑)と思うのですが、1と2の人は、自分が感じ入った部分、もしくは胸がざわついた、モヤモヤした部分を読み返してみてもいいと思うのです。
人間、群れから外れるのはリスクが伴うので、多数派に属して、大衆の理論に従うのは、生存のために合理的だと思います。
無意識にそういう風に行動したとして、誰かに責められることでもありません。
でも、時に大衆の中にいると、「大衆の利益・主張に反する他者をないがしろにして」誠実さを忘れてしまい、最終的に「異なる他者への寛容」というやさしさの本質から離れてしまうときがあるように思うのです。
自分自身が、心の深いところで、それをどう思うのか。
チャーリーのような自分を、心の中から追い払っているのではないか。
もしそうだったら、ずっとそのままでいいのか。
そういうことを私はこの本から訴えられたような気がしました。
興味のある方はぜひご一読ください。(↓再掲)
今回の記事で紹介した、オルテガの「大衆の反逆」も興味のある方はどうぞ。
原典を読みたい方は岩波文庫へ、もう少しライトに読みたい方は、NHK「100分de名著」シリーズをおすすめします。
余談ですが、私の本作の導入は下記のYouTube動画でした。
動画のほうがいいな~という方はこちらも合わせてどうぞ。
「アルジャーノンに花束を」の動画もないかなーと思って探したのですが、こちらはちょうど良さそうなものが見つかりませんでした。
「まごころを君に」という洋画が本作をもとに作成されています。
そちらをごらんになってもいいかもしれません。
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ブックカウンセリングというサービスを提供しています。
カウンセリングに興味を持ち、資格を取得するなかで、カウンセリングと好きな本や読書と組み合わせて、誰かのためになれるようなサービスを作れないかなと思って、始めた取り組みです。
興味をもっていただけた方は、こちらのnoteをご覧いただけると嬉しいです。
最後に、「アルジャーノンに花束を」は、作品の設定や構成、心情描写、一文一文までも神作の一冊でした。久々にいい読書体験をしたなーという感覚です。
いつか読みたいと思っている方は、ぜひ今!読んでみてくださいね。
ではでは^^