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トップランナーも多様多種ということ

一歩外の世界に出ると、時にユニークなランナーに出会うことがあります。

オーストラリア生活で彼との出会いにより私自身の競技へ対する見方が変わりました。現10000mオーストラリア記録保持者、ロンドン・リオ五輪2大会連続代表であるベン・セント・ローレンス選手を紹介します。

ベン・セントローレンス選手はオーストラリアの10000m記録保持者でありながら、2006年まではストイックなアスリートではなく日々遊び暮れる若者だったそうです。朝起きれば路上で起きることも度々あったとのこと。
高校、大学と学生生活が終わるとともにスポーツから離れる人は多いのが現状。そして彼もその1人だったようです。

ベンが24歳の時にメルボルンで行われた、コモンウェルスゲームスにて同年代の選手達のレースを観戦したことで再び陸上競技の世界に戻ることを決意し、そしてそれが彼の人生は転機なったといいます。
当時の彼の体重は100kg近くあり、高校時代に陸上をやっていたとは思えない体型だったそうです。それから5年後、彼は20kg以上を減量し、その翌年にはロンドン五輪の代表の座を掴んみました。メルボルンのzatopek meetでの10000m選手権にてクレイグ・モットラム(5000mオーストラリア記録保持者)を退け10000mのタイトルを獲得、ベンはその日を境に現在のトップランナーの1人として知られるようになったそうです。

再び走り始めることを決意してから自分がこうなりたいと思い描いても、一度運動から離れた生活に慣れてしまうと、ましてや遊びに明け暮れる日々を長期間過ごしてしまうと、それはそんなに簡単ことではなかったようです。

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長い間スポーツからは離れましたが、大学で学んだ運動学の知識を元に走ることを楽しみ、トップレベルに達するまでどれだけのことが必要かある程度分かっていたそうです。ただその道のりは本当に遠かったとのこと。
彼は自分が予測する運動ができるまでは徹底的なダイエットから始めました。フレッシュなフルーツ、野菜、良質な炭水化物をとり、食事量を減らして、店等からの食べ物の持ち帰りをやめることを最初に行いました。
完全に鈍った身体を走れるようなる方法は限られているからダイエットから始め、走ることも週に2、3日程度にして、そしてマウンテンバイクを購入し車よりも自転車での移動を多くしたそうです。
ベンは週に2時間半、4~5分/km程のペースの基礎的なジョグから始め、体が絞れて練習量を増やせるようになるまで2、3ヶ月程かかったそうです。

十分に体が出来上がる前の最初段階でベンは坂道でのレペティショントレーニング(彼の生まれたシドニー西方に位置する世界遺産ブルーマウンテンズ)を行ったようですが、2本目を終えた時点で過負荷による嘔吐を起こし、練習後数時間は偏頭痛に見舞われたそうです。
当時の身体は負荷の強い練習をするには、ほど遠かったそうです。

そこからは一日おきにランニングを行い、昨日走っていなければ今日は走るというように、ちょっとした自分ルールを作ることで良い精神コントロールになったと。
数日間走ることは行わず、自転車に乗り、1週間の走行距離を10%以上は増やさない。そうすれば徐々に身体は仕上がっていくとの助言をうけ、そのアプローチに従うことにしたと。


大きな問題は以前に彼が共に飲み暮れた日々の仲間達からの誘いを断ることだったのことで、最初のうちは必死に飲みに行かないようにして、十分な睡眠を心がけ、それを友達の協力のおかげで乗り越えることがでしたと。友達にはランニングを始めたこたをちゃんと伝え、飲みに行かない理由が個人的なことではないことを理解してもらえたようです。ただ最初は友達と出かけてもどうすれば良いか分からず、ただ飲むことを拒んむだけで飲むなら4杯まで、深夜までには家に帰ると制限を設けたそうです。しっかり走るトレーニング継続できたら週末はハメを外すこともあったそうですが、それも次第に少なくなっていき友達も徐々に理解してくれたようです。
2006年後半、数ヶ月の運動を行った後はショーン・ウィリアムズの指導するランニングクラブ“sweat”に参加。そしてこれが彼のターニングポイントになったと言います。


この時期こそランニングというものが生活に欠かせないものとなり、週に4回チームでの練習を行い、時には練習後に夕食を共にすることもあったと。チームに徐々に慣れていき体重も落ち始め、お酒を飲み暮れるだけだった日々から抜け出し、本当のランナーとしてスタートしたような気分だったと。同じような目標を持った人達に囲まれることは非常に心強かったそうです。


ランニングクラブに参加してからはベンの生活はいい方向に改善されていったようです。


そして再び走ることを決意してから4年後、インド・デリーで行われたコモンウェルスゲームズ5000mの舞台に立ち、そしてその年アメリカにてベンは27分24秒95という10000mオーストラリア記録を打ち立て世界のトップランナーの仲間入りを果たしました。

もし当時遊びに明け暮れた自分に出会い、数年後にはオリンピック選手という事実を伝えたら頭から酒をかけられるだろうと笑いながら話します。

ベンはよく自分を変える上で大切なことは習慣化だと話します。まずは自分にあったコミュニティを見つけて顔を出すことから始める。それを習慣化すれば自然とモチベーションが湧き上がってくると。

現在ベンが指導するランニングクラブには、ベンから影響を受けて再び走り始めたというランナーもいます。

ベンとの出会いは本当私のランニングに対する視野を広げてくれました。

今年で38歳になりコーチングも行いながら、来年の東京五輪でマラソン代表を目指すベン。今後も彼の活躍に目が離せません。


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日常からの学び、ランニング情報を伝えていきたいと思います。次の活動を広げるためにいいなと思った方サポートいただけるとありがたいです。。