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No.12 青年海外協力隊員が紹介するグアテマラ

このnoteは、中米グアテマラを愛する日本人がバトンをつなぐ、エピソード・リレーです。このリレーは「新型コロナウイルスの影響を受けたグアテマラの貧困層への食糧配布プロジェクト」を応援するために企画されました。

     ↓グアテマラってどこ?と思った方はこちらから↓


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自己紹介 

  2018年8月~2019年3月まで、J I C A の青年海外協力隊員としてグアテマラで活動しました、永倉草です。本来、協力隊の活動は2年間ですが、一年ほど活動したニカラグアでは、情勢不安により活動継続が困難になり、グアテマラに再派遣されました。協力隊以前・現在は栃木県で小学校の教員をしています。

任地:サンタ・カタリーナ・イシタウアカン

 活動していたのはサンタ・カタリーナ・イシタウアカンという町です。グアテマラの町の名前は、「サン・〇〇」「サンタ・〇〇」のどちらかが頭につくものが多いです。人口は1000人もいないくらいです。町にはカフェも、レストランも、スーパーもありませんでした。
 首都グアテマラ・シティと、第二の都市ケツァルテナンゴを結ぶ大きな道路は、山を登って、降りて、右へ左へとかなりの悪路なのですが、その途中に私の任地があります。道路の一番高いところにあり、標高は約3000mあります。雲の近さから、その標高の高さが分かると思います。一日に何回か、1m先が見えないほどの濃い霧に覆われることがあります。これは霧ではなく、街全体がズボっと雲の中に入ってしまう状態なのだそう。

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 当然ながら、標高が高いので気温は低いです。とはいえ常春の国グアテマラなので、気温は10℃を下回る程度ですが、油断して防寒着を持ってこなかったため、夜は毎晩震えながら寝ていました。その寒さから、町の通称は「アラスカ」で、こちらの方がポピュラーな呼び方です。定期的な断水や、お湯が出ない日などがあり、シャワーは2~3日に一度くらい(帰国して、お湯が出るってなんて幸せなことなんだろうと痛感しました)。その代わり、各家庭にはテマスカルと呼ばれるサウナがあり、水が使えない日はここで暖をとります。使い方は、この中に薪や炭をくべて入り口を閉じ、中が暖まったら入ります。ホームステイ先のお母さんは、「入りすぎるとちょっと頭がくらくらするけど、それが気持ちよくていいのよ」と言っていましたが、いや、それって・・・

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隊員としての活動 

  配属先は、任地にある教育委員会事務所でした。活動のメインは小学校の算数の授業を参観し、先生たちにアドバイスをすることでした。グアテマラにはJICAと協同して作った教科書があります。言語は違いますが、日本の小学校でも使えるような、子どもたちが主体的に考えるような内容を多く含んでいます。しかし実際は教科書を有効に使えていない(あるいはそもそも使っていない)先生が多いので、教科書の有用性を伝える活動もしていました。その道20年、みたいな先生も多くいて、急に現れたスペイン語がろくに話せもしない日本人から「あなたの授業はもっとこうしたほうがいいよ」と言われても、なかなかすんなり受け入れてもらえず苦労しました。

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 アドバイスだけでなく、時には授業を見せることもありました。特別なことをするのではなく、あくまで教科書の内容にそった授業をしました。5年生の授業では、まず問題について自分で考える→クラス全体に共有する という流れを計画しました。自分の考えをノートに書かせ、それを見て回って良い意見を取り上げ発表させようと思っていましたが、ノートは全員スペイン語ではなく現地語のキチェ語で書かれていたので、何が書いてあるかわからず予定通りに進められなかったハプニングもありました。

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任地での事件発生から避難 

  任地サンタ・カタリーナ・イシタウアカンは、20年ほど前の大雨で甚大な被害を受け、現在の場所に遷ってきました。人口は多くありませんが、建物などは比較的新しいものが多いです。遷る際に、隣町から土地を譲ってもらい新しい町を作ったのですが、その利権についての食い違いがいくつもあり、根深い問題になっています。度々小競り合いのようなことが起きていたそうですが、私が任期を終えて日本に帰国する2週間ほど前に、市民同士の衝突が激化し大きな暴動に発展しました。家にいると銃声が聞こえてくることも何度かありました。驚いたのは、こんな田舎町なのに、相手の町の様子を探るためにドローンを飛ばしていたことです。笑
 暴動が起きると道路が封鎖されることがあるため、首都へ避難することになりました。実際に町への入り口は封鎖され厳戒態勢といった感じでした。あと数日任地で過ごす予定だったので、ゆっくり帰り支度をして、お世話になった人たちへ挨拶をしようと思っていましたが、それは叶わず任地を去ることになりました。

終わりに

 前述のとおり、私は協力隊員時代にニカラグアとグアテマラの二か国で活動をしました。同じ中米にある似たような国旗の国ですが、文化や習慣、おもしろさはそれぞれ違いました。これまでのブログで紹介されている通り、グアテマラはとにかく見どころが多い!特に私はスニルという温泉に感激しました(動画参照)。勤勉で約束を守るグアテマラ人の性格に助けられ、良い経験ができました。

 グアテマラのコロナ対策では、外出制限などかなり厳しい対応を求められていると聞いています。いつかコロナが収束したら、あの時言えなかったさようならを言いに、もう一度行きたいなと思っています。

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新型コロナウイルスの影響を受けたグアテマラの貧困層への食糧配布プロジェクト」の詳細はこちら↓

グアテマラを、そしてそこに暮らす人々を応援したい!という方は、ぜひクラウドファンディングページ(日本語の説明あり)をのぞいてみてください。US5ドルからご寄付いただけます。

このnoteでは、この国に関わる様々な日本人による、魅力いっぱいのグアテマラ情報を発信しています。ブログリレーの他のエピソードはこちら↓

ブログリレーも12回目の投稿となりました。みなさん、少しずつグアテマラへの興味が湧いてきたのではないでしょうか?

次回は、15年ほど前に青年海外協力隊であった松久さんに、マヤの遺跡と文化についてお話ししていただきます!あの有名な映画やアニメが出てくるかも。お楽しみに!(^v^)/

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