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「国家(下)」プラトン著 ー善のイデア編ー

<概要>
(ポピュリズムが僭主独裁を生むみたいな)現代にも通用する政治思想のエッセンスに加え、価値の原理のルーツともいえる「善のイデア」や「芸術」「教育」に関して解説した壮大なる古典。これが2400年前に書かれたというのですから驚愕するしかない名著。

<コメント>
学習院大学で哲学を専攻していた作家の塩野七生さんが「哲学は古代ギリシア哲学を勉強すればそれで十分」と言っていましたが、本書を読むとその意味がよくわかります。

やっぱり解説書・入門書も大切ですが、原典にもちゃんと当たらないといけないなとつくづく感じました。

「閻魔大王」とインド哲学・宗教の「輪廻」の思想の合体みたいな話(エルの物語)も最後に登場したりして、現代人からすれば「何?」みたいな部分も、もちろんあるのですが、それにしても「対話」だけでここまで価値の問題や国家の問題を論じるとはその著述力にも驚きます。

以下、本書の内容は多岐にわたるので、テーマごとに個別に展開します。まずは「善のイデア」。

<善のイデア>
本書「国家」や「パイドン」などを読むと「イデア」とは、一般に言われている「既にその先にあるもの」というより、知性を発揮してそれぞれが最善であるように秩序づけられた結果として「みえてくるもの」(パイドンより)。

そして、それぞれが最善であるように秩序づける環境を生成しているのが「善のイデア」。だから善のイデアは「イデアのイデア」なのです。

第七巻の「善のイデア」を「太陽」に喩えたプラトンの「善のイデア解説」(+α)を図解すると以下の感じ。

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この世界には「事実の世界」と「価値の世界」があり、事実の世界は感覚の世界で、この場合は「視覚」を対象に解説していますが、感覚の世界だから「音(空気が提供)」の世界でも、「香り(?が提供)」の世界でも、「触覚(?が提供)」の世界でもよい。人間の場合は、視覚(可視光線という電磁波)による物体把握が一番得意なので「可視光線を発する太陽が視覚の世界を生成している」という意味。

一方で価値の世界は、思惟の世界だから「理性という認識装置を提供する善のイデアが思惟の世界を生成している」。

ところで、我々は、さまざまな「もの」や「こと」を把握するにあたって、必ず何らかの是々非々を孕ませている感じがします。単に椅子をみるだけでも「座りにくそうだ」「座りやすそうだ」といった具合に必ず何らかの(善い悪いのような)価値観を伴って物事を自分の関心に沿ってみていないでしょうか?

そして、視界に入ってくるモノ全てを見ているわけではありません。自分の(価値観に基づく)関心に応じてフォーカスしてピックアップしつつ脳の中で生成している感じです。

「事実の世界」は感覚器官を通しつつ、必ず「価値の世界」の枠組みの中で発現してくるといったら良いのか?

つまりハイデガーの「関心に沿って物事を把握しているのが我々だ」みたいな感覚が、すでにプラトンの図式の中に見え隠れしているのです。

恐るべしプラトンです。

*写真:2018年京都府「天橋立の股覗き」。
    イデアの発想は「視点の逆転」→まるで「天橋立の股覗き」みたい。

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