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『遊郭と日本人』田中優子著 読了


<概要>

文化は欲望に人間的で伝統的なかたちを与えたものです」と著者がいうごとく、性欲にまつわる文化が織りなす時代模様を遊郭を題材に一覧した著作。

<コメント>

クーリエ・ジャポンの会員は、毎月数冊の講談社関係の著作を電子版として読むことができます。「今月の本棚」というコーナーで、今月はロシア文学者の沼野恭子が推薦する図書のうち本書を読んでみました。

最近は「鬼滅の刃」関連で「遊郭」が話題になっているらしい。特に親が子供に遊郭のことを説明するのに困ってしまうから。

私の場合、たまに連れの付き合いで歌舞伎を観劇するのですが、遊郭関連の題材が多く、それを当たり前のように特に女性観劇者が歌舞伎座で観ているのをみると、個人的に強い違和感を感じてしまうのですが、本書を読めば、なぜ遊郭(というか吉原)が、魅力的だったのか、がよくわかる本でした。

歌舞伎座(2022年9月撮影)

そして彼女たちにも遊郭には2面性があることを本書を通じて知ってほしいな、と思います。

▪️現代にあってはならぬ「遊郭」

著者は遊郭を語るその大前提として「遊郭はあってはならぬもの」としています。

なぜなら遊郭で春を売る遊女は、どんなに教養があって性格的にも優れていて、人間的魅力に溢れていたとしても、それは前借金の形で「借金のかた」として強制されて送り込まれた女性だったから。つまり彼女たちは本人の意志として遊女になったわけではないからです。

そして多くの仕事の選択肢があったなら、ほとんどの女性は遊女を仕事として選択しないであろうからです。

ただ著者の訴える「遊女にはキャリアアップがない」「歳を取れば取るほど不利になる」という遊女独特のキャリアの逆進性に関しては、その後に続く文化としての立ち位置の遊女とは若干矛盾するかな、とは思います。

とはいえ、

選ばれない仕事に女性たちを就かせるために、前借金の制度は使われていたと考えられます。

というのは至極ごもっともで特に彼女たちの場合は自分が浪費して借金して自業自得で遊女になったのではなく、娘の家族が貧乏でどうしようもなくて借金したその「借金のかた」として遊女になってしまった事例がほとんどだったらしいので、こんな職業はあってはならぬもの、とまったく同感です。

ちなみに、遊女は借金のかたとしての仕事なので、大金持ちの旦那をその気にさせて、金を出させて引退できれば、遊郭の経営者も遊女も旦那も喜ぶという、一石三鳥だったそう。

とにかく一生懸命客をとって稼げば、足抜けも早かったそうですし、サボればなかなか抜け出せない過酷な世界。

一方で確か遊女の平均寿命は20代前半だったと思うのですが、なぜそんなに早死にだったのか、については本書は言及していなかったのですが、職業自体としては過酷な職業には違いなかったのでは、と思われます。

▪️江戸時代の文化を集積した魅力的な夢の世界

本書の出色は[第四章 男女の「色道」と吉原文化]。

江戸時代は好色が形成する文化。江戸時代前から続く日本の文化、お茶、お花、華道、歌など芸事に加え、江戸の粋=ファッションなど、あらゆる文化・芸術を育んだのが遊郭でした。

好色とはただの「色好み=性的なことに異常な関心がある人」という意味ではなく、「クールな人」という意味。流行に敏感で口の利き方も洒落ていて人への気遣いも洗練されており、教養があって三味線などの音楽も嗜むような社交的な文化人のこと。

結果としてこのような人はモテるので、遊郭では遊女もそこで遊ぶ男性ももてはやされたわけで、だからこそ遊郭で文化が花開くのです。特に遊郭で遊ぶ男性が遊郭でモテるためにクールになろうと必死に努力するその結果が遊郭文化として結晶する。一方で遊女は旦那衆を楽しませるために子供の頃から学問や芸事を嗜み、人間の機微を身につけていく。

だから江戸の文化は粋で洒落てて魅力的。

そんな文化が歌舞伎の中に生きて継続している。だから歌舞伎は魅力的なのかもしれません。

特に男の場合は「モテたい」というのは強力なインセンティブになるので「性を媒介にして自分磨きに勤しむ」というのは邪道ではあるかもしれませんが、とても現実的で実体的。江戸時代ではこのような自分磨きを「色道」と読んだそうです。

著者曰く

遊郭は、性を中心にそのような総合的な文化を創り上げた場所です。西鶴が遊女たちについて書いたことも、性そのものではなく、このような性の文化のことなのです。食欲が料理と演出によって真に贅沢で幸福な時間に生まれ変わるように、性欲や愛欲も、贅沢で夢のような経験に生まれうるのです。

▪️日本におけるジェンダー差別の残存

著者は最後に、

2021年時点でジェンダーな差別は依然として存在しています。非正規雇用の約70%が女性であるという実態はどう変えることができるでしょうか

彼女たち(遊女のこと)は家庭の中に閉じ込められた近代の専業主婦たちに比べれば、自分を伸ばす機会を与えられたのではないか、とも思うのです。

まさにその通りですが、専業主婦を望んでいるのは女性自身でもあるように感じます。できれば玉の輿に乗って仕事を辞め「専業主婦になりたい」という女性は現代でも特に20代の女性で43%もいる、という実態を知っておくべきです。

残念ながら女性の誰もが著者(法政大学元総長)のようにキャリア志向なわけではありません。

専業主の人は今でも周りから違和感を持ってみられてしまいますが、専業主の人はそんなことはありません。

著者のご意見同様、はやくこんな時代が終わってほしいと思います。

▪️生物学的な男女の違い

「女性の人権」という視点でみれば、あってはならぬ遊女の世界。しかし残念ながら生物学的には男と女の性に対する立場は全く違うというのはここで知っておくべきです。

なぜ遊女が成立してしまうのか、については、生物学的には「オスは量を求め、メスは質を求める」という進化論上のオスの方のセオリーからです(詳細は以下参照)。

有性生殖するほとんどの生物は、皆この原則に従っています。なぜなら、その方が生物種は繁栄しやすく、絶滅しにくいから。そして人間も例外ではありません。残念ながら生物学的な有性生殖する生物の性質は、ジャンダー的な価値観とは全く異なっているのです。

まさに生物学者更科功のいう「残酷な進化論」です。

性にまつわる、特に男性が女性を殺めたり傷つけたりする犯罪も全て「残酷な進化論」の成れの果て。

ただし一方で、私たちは人間ならではの理性も備えており「残酷な進化論」を克服できる術も身につけている、ということも知っておくべきです。

*写真:伊勢にもあった遊郭街「古市」の麻吉旅館(2023年4月撮影)

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