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モスクワテロ事件、その背景と「忘れられた」中東アクターとしてのロシア



はじめに

 ちょうど一週間前、3月22日にロシアの首都モスクワ郊外のコンサート会場で大規模な銃撃テロが発生した。27日時点で当局に確認されているだけでも死者数は143人となっていて、過激派イスラム組織イスラム国(ISIS)が犯行声明を発出している。実行犯とされる4人の容疑者はロシア当局により既に拘束されており、現在は取り調べが行われている状況だ。

 多くの人が事件の凄惨さに心を痛めた一方で、今回の事件で久しぶりに「イスラム国」という単語を新聞で見かけた人も多かったのではないだろうか。事件以降よく耳にするのは、「何故イスラム国がロシアを攻撃するのか」という疑問だ。今回はその疑問に答えるべく、ロシアがイスラム国とどのように関わってきたのかについて、シリアとチェチェンというふたつの地域における経緯を説明しようと思う。

シリア軍事介入(2015-)

 そもそもイスラム国はアルカイダから分派した過激派テロ組織で、2011年頃からイラクやシリアで活動を活発化させている。残忍な統治手法で広大な支配領域を有していた2015年が最盛期で、この頃の活発な報道で「イスラム国」もしくは「IS」という呼称を記憶されている方も多いのではないだろうか。しかし2015年頃から米軍を中心とした有志連合による激しい空爆が開始され、現在では有力な指導者の多くが殺害され、支配領域のほとんどを失うなど衰退は顕著だ。しかしこの時の米軍主導有志連合の攻撃目標はイラク国内の目標がメインで、実はシリアでは別のアクターがイスラム国への攻撃を実施していた。

 それがロシアである。元々(今も)シリアでは権威主義体制のアサド政権が独裁体制を敷いており、プーチンと良好な関係を保っていた。しかしこの時期は国内の反政府組織とイスラム国への対処に苦しみ、政府支配領域がごく僅かになるなど体制の命運は風前の灯火と言われていた。ロシアは2015年よりイスラム国のみならずシリア反政府組織も目標とした空爆を開始しているが、その目的はこのような苦境に陥ったアサド政権を救うためであった。実際に2015年以降現在に至るまででアサド政権は民間人の被害を拡大させながらも反政府軍への反攻を始め、ほぼ元の支配領域を回復している。ロシアは空爆だけにとどまらず、公にしないが民間軍事会社ワグネルや海軍歩兵部隊、特殊部隊など陸上部隊を投入してイスラム国との戦闘を行ってきた。これだけでもイスラム国がロシアを攻撃する理由に足るように思えるが、もうひとつ忘れてはならない歴史がある。

チェチェン紛争(1994-)

Chechnya/チェチェンの位置 Wikipedia「北コーカサス」より

 ソ連末期から北コーカサスのチェチェン共和国ではバルト三国の独立に影響を受けて独立運動が活発化し、ソ連崩壊直前の1991年11月にソ連からの独立を宣言した。ロシア連邦はこれを認めず激しく対立し、1994年から本格的な紛争に突入したのがチェチェン紛争である。地上軍の大規模な派遣、及び民間人の膨大な犠牲と混乱、破壊を伴う紛争は第1次、第2次と2009年まで続き、ロシア軍は武力制圧に成功し現地に傀儡政権を打ち立てたものの大きな禍根を残した。

 15年前の出来事がどのように関係するのだろうか。鍵となるのはチェチェン人はその多くがムスリムであり、紛争の間に現地社会にイスラム教原理主義が流入したことである。当初は民族主義的主張が強かった独立運動であったが、紛争の長期化、経済の崩壊、そしてロシアによる民族主義指導者の殺害により徐々にイスラム教原理主義の主張が強まってきていた。2009年にかけてチェチェン独立達成が日に日に困難になる中で、近隣北コーカサス地域やモスクワなどでの過激なテロ行為に走る原理主義者が独立派から分離し、活動を活発化させるようになったのだ。


 チェチェンからの原理主義者のテロ行為の対象はロシア国内に留まらず、2013年ボストンマラソン爆弾テロ事件の犯人はチェチェン出身であることが知られている。そして2010年以降、ロシアがもたらした破壊と混乱の中でチェチェンで生まれたイスラーム原理主義者が、とりわけ多く流れ込んだのがシリアにおけるイスラム国なのである。北コーカサス出身の義勇兵や司令官はイスラム国の中でも中核をなしており、90年代から続くチェチェン紛争のもたらした重大な影響がイスラム国に引き継がれている構図が分かるだろう。

おわりに

 今回のテロの実行犯が実際のところ何を思ってテロを実行したのかは現段階では明らかではなく、恐らくロシアの公開する情報からその実態が判明することはしばらくはないだろう。ただ一つ確かなのは、ロシアがシリアとチェチェンにもたらした破壊と混乱は10年、20年の時を経てなお現代に暗い影を落とし続けているということだ。どのような主体であれ民間人に犠牲を出すテロ行為は断じて許容されるべきでは無いのはもちろん、昨今は対テロ戦争の時代から大国間戦争の時代への回帰が叫ばれていた。

 しかし残念なことに、国際テロ行為の危険性と、それを生み出してきた地域における破壊と混乱の歴史はそう易々と我々の前から消えてはくれない。ロシアは今も尚ウクライナへの侵略を続けている。我々は現代の混迷する世界情勢が、今後長期に渡りもたらすリスクを直視し続けなければならない。それが今後、何十年に及ぼうとも。


参考文献

冨樫耕介(2021).『コーカサスの紛争』. 東洋書店新社
小泉悠(2021). 『現代ロシアの軍事戦略』. 筑摩書房

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