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アドラーは言うけれど…その2

できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。

アルフレット・アドラー、「人生に革命が起きる100の言葉」(小倉広著)を読むと、いくつか気づかされることがある。「自己啓発の父」と言われるアドラー。世の「自己啓発本」には「成功するためのたったこれだけの習慣」といった類が多い。いとも簡単に見えるが結局、ほとんど誰にも成し得ない「習慣」が書いてあるのだ、というのは読書嫌いでひねくれ者の考えだろうか。

人生は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は「解説」にはなっても「解決」にはならないだろう。

そうかもしれない。

何でもかんでも後付けだ。自分が今ひねくれているのは小中学校の成績が劣等だったからだ、高校時代が灰色に見えるのは父が入学式の日に亡くなったからだ、仕事でうつになったのはおかしな先輩がいたからだ。

過去の成績も、父が亡くなったことも、おかしな先輩がいたことも、それがなかった時には戻れないのだから、解決になるはずがない。

今この瞬間と、その一瞬先の連続(=未来)は誰にも分らない。よって、過去も未来も解決には結び付きそうにない。
未来が自分を規定しているとはどういうことだろう。未来は自分でいかようにもできるということだろうか。それとも自由な未来を自ら決めて狭めてしまうということだろうか。ちょっと思慮が足りないか。

できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。今の自分を認める勇気を持つ者だけが本当に強い人間になれる。

そうかもしれない。

ずいぶん自分を責め続けてきたように思う。特に理由はない。だが今年は「できない自分を責めている自分」を大いに認めたと思っている。さてそれで強い人間になれるのだろうか。

「気づきを得る」という言葉をよく聞く。何かに気づくまで歩き続け、探し続け、考え続ける。仕事でも何でも、よい結果をもたらした時は「死ぬほど」考えて考え抜いた後だった。今後はどうだろう。歩き続けても気づかずに終わるかもしれない。

だがそれはそれで意味のあることなのだ、と思いたい。

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