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喜怒哀楽、その総量の絶対値が豊かな人生

喜ばしいこと
怒れること
哀しきこと
楽しいこと

嬉しいことや楽しいことが多いほうがいいと今でも思っている。だが実際にはそうではないことも知っている。だから等分であればそれでいいではないか、と五木寛之サンのエッセイを読んでそう思っていた。

還暦からの底力(出口治明著、講談社現代新書)で紹介されている、小田島雄志サンの考えは「人生の楽しみは喜怒哀楽の総量である」というものだ。喜んだり怒ったり、哀しんだり楽しんだりがたくさんある方が面白いし、人生は豊かになるはず、だからプラス・マイナスの計算ではなくその総量の絶対値で捉えたほうがいいと出口サンは言っている。

そうなると、自分がこれまで散々味わってきた(と思っている)「哀」の部分が多い---すなわちマイナスの大きな絶対値を持つ---我が身としてはぐっと「豊かな人生」に転じることとなる。

だがそれは振り返れば言えることだと思う。その深い霧の中にいるときは辛いのだ。出口も見えなければそのまま一生涯晴れることもないだろうと悲観することもしばしばだ。

ブッダも究極のマイナス思考からスタートしたことを考えれば、そう気軽にプラス・マイナス関係なく絶対値が大きければよいという考えには至ることができない。

それこそ、マイナス思考なのかもしれない。
だがそう思ってしまうものはしかたがないのだ。皆が出口サンのように、或いは小田島サンのように考えることはできない。しかしながら、一縷の望みというか、新たな視点を持つことができるのは「嬉しい」。

心の持ちようで鬱が晴れることは実感としてわかっている。それがコントロールできない状態が病であることもハッキリしている。

よく研修などで見かける、喜怒哀楽の感情を表す曲線を手書きで示すグラフを書くとするならば、やはり、ジグザグしながらも緩やかに右肩上がりになっていればそれで良しとする他はない。

流行りの書籍を読んで、それでも素直にハイハイとは聞けないけれど、それが自分でもある。

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