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経験か?それとも本質か?(人間にとっての「旅」)

旅行による楽しい経験があるから、旅行になかなか行けない今、旅行を渇望するのでしょうか?

もし、旅行の楽しさ、というものをそもそも経験しないで育ったのならば、渇望もしないのでしょうか?

もし経験論的な立場をとるならば、これはYESということになるのでしょう(ただ旅行の楽しさを知る人からその良さを聞くということでも、好奇心は生まれるでしょうから、そういった擬似的な経験もなければ、ということにはなるでしょうけど)

もし合理論的な立場をとるならば、NOということになるかもしれません。そもそも人間は本質的に「旅行」というものを欲する部分がある、ということになるかもしれません。そうであれば「人間は社会的動物である」といった名言と同等な位置に「人間は旅をする動物である」なんて名言を作っても良さそうです。

思考するだけでは、なかなか白黒つくものではなさそうですが、面白い問いのように思います。

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