見出し画像

「楽しむ」という難しさ(自分を観察する)

物事に取り組む時に、その物事を「楽しむ」ということができると、集中もできますし、ストレスも感じにくいでしょう。そして、継続して物事に取り組めば結果に跳ね返る可能性も高くなります。

でも、その「楽しむ」ということが、難しいのです。

「楽しい」も一律ではない

同じことをしていても、捉え方は千差万別です。その行為が楽しいと感じる人もいれば、苦痛に感じる人もいます(例えば、飲み会なんてわかりやすいかもしれません。楽しい人も苦痛な人もいたりします)

さらにいうと、楽しいと感じている人であっても、どこに楽しさを感じているのか、というのも個々に違います(例えば、スポーツ観戦です。選手を見たい人もいれば、試合を見たい人いますし、試合応援を楽しみたい人もいます)

どれも優劣があるわけでもないですし、それぞれに違う楽しみ方があるということです。

問題は、自分自身がどんな楽しみ方をする人なのか、ということです。

結局、自分に興味を持つこと

はたして、自分はどんなことをしている時に「楽しい」と感じるのだろうか。

逆にどういったことに「つまらない」と感じるのだろうか。

こういったことは日常の中では、あまり意識的には取り上げないように思います。そういった「楽しい/楽しくない」よりも、仕事の納期や成果といった指標に意識はいきがちです。当然外的な評価は後者をもとにしますから、そうなって当然ではあります。

しかし、あまりに外的な評価や見方ばかり意識を向けているというのは、自分自身のこと(感情や思考)に興味関心を向けないということと同じです。

「そんな自分の気持ちよりも、仕事!仕事!」

「とにかく一つでも成果を出すことだ!そしたら楽しいはずだ!」

自分のことを機械的に扱うのは、ストレスが高い状況の対処としては、有効なように感じます。しかし、人間は機械ではないのですから、どこかで限界がくるものです。

私も過去に一度「ダウン」したことがあります。

その時は、自分は、からっぽの抜け殻のような感じでした。自分は存在しているけど、同時に存在していないような気持ちでした。


どうか、自分自身のことに興味・関心を持ってあげることを。

他人の見方も大事ですが、自分で自分のことをよく見てあげるために、時に自分に問いかけを。

自分らしい、楽しい瞬間ってなんでしょうか?







最後まで読んでいただきありがとうございます。感想・コメントをいただけると嬉しいです!