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いっぽうその頃F1界隈では - 超マイナー時代のテレビ放送

F1そしてサッカーだってマイナースポーツだった

マイナースポーツの愛好者は熱心である。

情報量が少ないが故に数少ないテレビ放送があれば見逃すまいとしてそれに熱狂しさらにそのスポーツに対する忠誠心が増すのである。

マイナースポーツと言えばかつてのサッカーがそうであった。

サッカーが国民的な認知を受けるのは、1993年のJリーグ開幕とその後のワールドカップ出場を待たねばならなかった。

そんなサッカーのマイナー時代に一筋の光をもたらしたのが「三菱ダイヤモンドサッカー」と言うテレビ番組であった。

熱心なサッカーファンがマイナー時代を回顧するに当たってこの番組を語るのをあなたも見聞きしたことはあるだろう。

録画放送ではあったが週に一度、本場ヨーロッパを中心に海外のサッカーを見ることが出来た。

筆者も奥寺康彦の出場するブンデスリーガの試合などを良く見ていたし楽しみにしていたものである。

プレーの質の高さは勿論のこと観客が一体となってチャントを叫ぶ、あのスタジアムの雰囲気がなんとも羨ましかった。

当時、世界のサッカーに触れる事ができたほとんど唯一と言って良い貴重な映像情報源だったのである。


さて、いっぽうその頃のF1界隈である。

日本ではサッカーと同様、簡単には定着しなかった。

F1の日本グランプリは1976年(F1世界選手権イン・ジャパンの呼称)初めて富士スピードウェイで開催され、1977年にも連続して開催された。

学校の授業が終わるや否や飛んで帰ってテレビを観た記憶がある。

1976年の日本グランプリは、映画「ラッシュ/プライドと友情」のクライマックスにもなっているので当時の様子に興味のある方はどうぞ。

しかし、1977年開催時のヴィルヌーブのレース中の事故で観客に死傷者が出た事、環境問題などによりモータースポーツのイメージがまだまだ良くなかったこともあり、3年目以降は開催されなかった。

結局、F1が国民的な認知を得るのは、ホンダのエンジンサプライヤーとしての復帰と中島悟のレギュラードライバー起用、そして鈴鹿サーキットで日本グランプリが行われる事になった1987年以降まで10年もの間、待たねばならなかった。

だがそれまでの間、サッカーに「三菱ダイヤモンドサッカー」があったようにF1にもTBSのF1ダイジェスト放送があって、それはそれは楽しみにしていたものである。

日曜の午後の放送だったと記憶しているが(違っていたら御免なさい)、心待ちにしていたものである。
ほぼ月1でダイジェストでレースの模様が放送され見所はちゃんと押さえられていたと思う。

解説は間瀬明さん。(おお、懐かしい!)
ちなみにこのTBS時代の実況は、今思い出しても自分にはしっくりくるし好きである。

ブラバムのネルソン・ピケット(当時の表記)が好きで、ルノーのアラン・プロストが敵役だった。

プロストは、後年アイルトン・セナとライバル関係となり熾烈な競争を繰り広げるのだがなぜか自分にとっていつも敵役なのだった。

そして(記憶が飛び飛びで申し訳ないのだが)”壊し屋”アンドレア・デ・チェザリスが絡んでくると実況陣もまたチェザリスかよみたいな空気になり、テレビを見ているこちらもドキドキしながら何か起こるのを期待してしまうのだった。

とにかくF1が走るのが見たくてワクワクしながら待ったTBSのF1ダイジェスト。

F1界隈にも「三菱ダイヤモンドサッカー」のように語りたくなるテレビ番組が確かに存在したのである。


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