父への手紙 17 母の入院
そんな母任せの父にとって、母の入院は青天の霹靂だった。
あれだけ家族に興味を示さなかった父が、私のお弁当を作ってくれたり、母のお見舞いに毎日行くために、毎日早く帰宅して病院にお見舞いに行ってから帰宅するというルーティンを始めたのである。
当時、私は母の病院には一度も看病でいけなかったのだが、そのルーティングが始まってからは、毎晩の夕飯の支度は父がしていた。
もともと、レパートリーは殆どないものの、自炊はできる。
私としても、メニューにこだわりはなく、父の作る夕飯で問題なかった。
父にとっては、毎日私のお弁当を作るのが大変だっただろうと思う。
当時は、お金がない時代だった。
そのため、母が入院中、毎日外食や弁当を外で購入して食べてもらうということすら、出来ればしたくなかった時代だった。
父は、是が非でもお弁当を作った。
お弁当のパターンとして、「一段海苔弁(ご飯の一番上にだけ海苔)」「2段海苔弁(ご飯の上と真ん中部分に海苔)」「海苔卵弁(ご飯の真ん中に海苔をしいて、トップに卵焼きの薄いのを敷く)」「総菜の天ぷらで天丼」「鰻重」と言うようなご飯周りのサイクルが母が作るお弁当にはあった。
父は、このお弁当の内容を母の病室で事情聴取をし、事件現場の再現をしていくわけである。
父は、ビジネスのノウハウから「選択と集中」「破壊と創造」を応用し、海苔弁系列に自分の自炊スキルのリソースを最大限に落とし込むことにしたわけである。
手持ち金がない中で、このリソースを海苔と卵に集中投下する。
まずはメンバー決めから、「白米」「醤油」「卵」「テフロン薄目のフライパン」。
海苔弁は、多くの方が難なく乗り切れる関所だ。
意外と超えるのが難しいセキュリティーゲートは、卵焼きの部分だと思う。
作り慣れている人や、卵焼き専用フライパンのある現代の台所事情をもつご家庭であれば、それ程苦労はしないかもしれないが、「テフロン禿気味」の「丸いフライパン」を使って、今まで卵焼きを作ったことがない、人からすると、卵焼きを作るのは、もしかしたら難しく思えるかもしれない。
ましてや、YouTubeも当時はないので、参考にする動画と言えば、「土井勝の紀文おかずのクッキング」で偶然に卵焼きの日に当たることを祈るくらいしか手立てはない。
父が母の見舞い時に入手する情報が、全てのレシピのAtoZなわけだが、忠実に再現されていたのは覚えている。
母が作る時のものと父が作ったものには、大きな遜色は見られなかった。卵焼きを除いては。
昼時を迎え、クラスメートと共に昼食を食べ始める。
弁当を取り出し蓋を開ければ、意外にもいつもと同じ弁当の内容。
ごはん部分は、黒く海苔がかかり、海苔の下には、軽く鰹節が振りかけられている。
ここも母の作品のレプリカが真贋つけ難く再現されている。
醤油の味も、ご飯の下の方まで適量に満遍なく振られていて、空腹な高校生の胃袋に刺さっていく。
今思うと、おかずに何が入っていたかは覚えていない。しかし、黒いおかずだけは覚えている。
「お弁当に入っている黒いおかずで思い浮かぶものを3つ挙げなさい」という入試問題が将来的に出ると私は踏んでいる。その時のために、ここで予想問題を出しておこうと思う。
「黒い おかず」で検索をかけると、「黒豆」「ひじき」「なすの皮側」「昆布煮」というのが概ね出てくる優先順位だが、入試ではひっかけ問題が出題されることが予想される。そう、この弁当にも、そのひっかけが入っていたのである。
このおかず、下手すると、ほぼ毎日入っているおかずではあるが、父が作った場合に黒く変色したと思われる。
現場では、まさに変色が起こり、通勤時間が迫った被疑者には、もう作り直す時間がない。
被疑者の性格からして、ほぼ確実に「ありゃ~」と声を上げたに違いない、と同時に「今、蓋してしまえば、事件が明るみに出るまでに時間を稼げる」、そう被疑者を思ったのだろう。
変色のタイミングでお弁当に詰め、私がお弁当を取りに来る前に、クライムシーンを綺麗に片づけた。
被害者が、被疑者の犯行に気づいたのは、一緒に昼ご飯を取っていた目撃者の証言を聞いた時だ。
「その黒いの何?」
海苔弁に夢中になっていた私は、白米で大部分の空腹を満たすタイプのペルソナの持ち主で、おかずに気がついていなかった。
目撃者の証言により、黒いおかずに手をかけて驚愕の事実を知ることになる。
卵焼きだった。
そう、黄色いはずの卵焼きのことである。検視官の科学的な言葉を借りると、「黒く焼け焦げた本来は黄色い卵焼き」が正式名称となる。
「焦げついた卵焼き」と友人には答えた。
文字通り、「苦い」思い出となった。
翌日、母はまだ入院中。お弁当は海苔弁。
今回は、海苔卵弁。
ごはんの真ん中部分に海苔を敷いてと最上部に薄目の卵焼きを乗せている奴だ。
この日も、同じ友人とお昼を迎え、お弁当の蓋を開ける。
ごはん部分は、卵焼きの黄色い配色でモダンに決めて、あまりいやらしくなく、質素で謙虚におかずを添えてある、今風の精進料理とでも言っておこう。
いつものように、ご飯側から手を付ける。
ごはん中間部の海苔と醤油が卵焼きと口の中で不協和音を奏でる。
その違和感は何なのかがいまいち分からないながらも、更に一歩、もう一歩と箸を進める。
その時、不意に卵焼きの下から、海苔が顔を出した。
なんと、父の行きな計らいで、ご飯中央部の以外、上部にも海苔を敷いてからの卵焼きだったのか、と逆期待外れで、いい感じに期待を裏切った。
粋だぜ、昭和魂。
ただよく見ると、薄い卵焼きから剥がれ落ちたような黒い海苔に見えたので、思い切り卵焼きを持ち上げてみた。
すると、全体的に黒い海苔がくっついていて、というか、卵焼きの一部であることが検視結果の末発覚、検視報告書には、「卵焼きの片側全焼、卵焼きという家屋は半壊、事件をもみ消すために、全焼箇所をご飯面に突き合わせることで、事件の隠ぺいを図ったと思われる」と書かれてあった。
帰宅後、被疑者に事件現場で目撃したことを問いただしてみた。被疑者は、
「これが初犯だ。悪気はない」と続ける。
「ごまかしても無駄だ。初犯ではないだろう。以前も卵焼きをを焦がして、そのまま蓋を閉じたことはないか」と問いただす。
被疑者は、軽く苦笑いをした後で
「もう時間がなかった。今、蓋を閉じれば、昼間ではばれないと思った。」という。
どこで、この弁当の精製術を入手したのかと尋ねると、病院で寝込んでいる女性から情報を得たとのこと。
被疑者は、その女性を自分の妻と主張した。
1週間ほどの弁当を、連日連昼目撃し、海苔弁を除くと、焦げが散見されたが、弁当をコンビニで買って食べさせようとは思わなかったのかと被疑者を追い詰める。
男は、
「お金に余裕がなくて、渡す金もままならない。その中で妻が体調をおかしくして、まず頭に浮かんだのは、子供の昼飯代がない!でした。自分は、作ったこともなかったので、妻から情報を聞き出すと、秘伝のレシピをこっそり教えてくれた。『もう、これしかない』という思いでなくなく犯行に及んだ。焦げだけに、苦い思いを沢山されたことを詫びたい。」
検察側も今回の件に関しては、情状酌量の余地ありと、1週間の卵焼き調理に執行猶予を与えて、保護観察処分とした。
以降、卵焼きを焦がすことから無事に足を洗い、最終的に経営者への階段を上り詰めた。
父への手紙
親父の作った弁当は、1週間から10日程食べさせてもらったが、味としては母のものと遜色ない仕上がりだったと思う。
卵焼きは、慣れなければ、手間のかかる料理だから、失敗するのは仕方がないと思う。私も卵焼きは、上手く作れてないけれど、今はYouTubeもあるから何とかなっている。
それでも、まだあそこまで全面的に焦がすことが出来ていないことから、焦がした父の偉大さに尊敬の念を抱くばかりです。
親父は、家庭にあまり関心を示さなかったものの、母の入院中、毎日早く帰ってきては、見舞いに行く姿を見ると、やっぱり夫婦なのだなということを感じました。
アルツハイマーを患ってから家族にうれし涙を見せるようになった様に、本当は、伝えたい感情が多くあったのでしょうが、ザ・昭和の男の世代に生まれた社会的同調圧力にあらがうことが出来ずに、沈黙の愛情を貫いたのかもしれませんね。
この手紙を書いている時は、親父がなくなってから2週間以上経過している。
最後に棺に一緒に入れられなかったのは残念だけれども、親父の不器用な人生をいい形で終わらせるために、親父が伝えたかったであろう感情を推察して明文化して後世に残しておくことにします。
真っ黒な卵焼きをありがとう。苦かったです。
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