父への手紙 16 世界一母任せ
父は、団塊の世代に生まれた典型的な昭和の男。
日本経済の急速な成長に貢献をした傍らで、家庭や育児はほぼ妻任せという世代でもある。
父も、ご多分に漏れず母任せな昭和の男を貫いてきた。
このタイプの昭和男を別の言葉で言い換えると、仕事を取ってしまうと家では、「二宮尊徳像のような動かない読書家」、「家電設置の作業を傍観する野次馬」、「食べる時間になると巣穴から出てくるプレーリードッグ」、少なくとも、父への尊敬の念と世界一の愛情をもって表現とすれば、こんなところだろう。
母任せになってしまっていることが当時の当たり前となっている社会でも、母の領域と父の領域というものがあるだろうと、子供ながらに推察したものだが、「過ぎる」くらいに母任せだった。
まず、家電を購入し、家に届くか持ち帰ると、配線を繋げればならないのは誰でも分かる。
子供なら、概ね父親に配線を依頼する。
我が家でもダメもとで父にお願いするが、「お母さんにお願いして」と母の方へと振られる。
兄が中学や高校に行く頃には、配線物は全て兄が繋げてくれるようになったことが記憶にあるが、それ以前は誰が配線をしていたのだろうと未だに謎である。
お金がない時期に、一度延長コードのコードが切れかかり新しく購入した方がいいだろうと思える状態の時があった。
そんな時、母は購入することはせず、延長コードのコンセント部分のネジを外して中をあけ、切れかかったことをニッパーで切り取り、ケーブルのカバーを剥がして、新たに半田ごてで繋げ合わせて延長コードを修理していたのを、じっと観察していたことがある。
半田ごては、当時母がステンドグラスのクラスを受講していたことで手元にあったのだが、なるほど、本当はこういうことに使うのか、と感心したものである。
普通なら父親にお願いすることだが、我が家は「父を検知、動態確認済みも不在」扱いとなる。
決して家族が不在のフラグを立てたのではなく、父がフラグを掲げるのである。
旗揚げゲームなら「赤」と「白」の旗があって、上げたり上げなかったりするが、父の場合、そもそも「不在」の旗しか持っていない状態で、それを上げたり下げたりするのでもなく、上着と背中の間に旗の棒を指してある状態にしてあると言った方が分かりやすいかもしれない。
そんな感じで「不動の読書」か「餌を探しにくるために巣穴から顔を出す」か「駅伝バカ」に徹する。
父への手紙
親父が全面お袋任せなのは、それだけ信頼を置いているという証でもあると私は思っています。
不安を感じない程に、この人に任せておけば、万事うまくいくと。
ただ、同時に「手綱をもう少し緩めてくれるといいのに」と思っていたことでしょう。
親父もお袋が入院している時に毎日、私のお弁当と朝食、夕飯を作っていたと思いますが、それを18年間、二人の子供に施しながら、帰宅した夫は、大きくなった子供のように、同じように世話をしなければならないとなると、ワンオペでは、燃え尽きてしまうものです。
男が家事育児をやっても同じです。
女性の方がまだ精神力も強くワンオペで回せる人は多いと思いますが、私も同じ役割を暫くやってみて思うのは、「ありがとう」が照れくさくて言えないのは理解できる。
その代わりに「ごちそうさま」とか「お疲れ様」の一言が、全てのマイナスをチャラにすることだけは、知っていても良かったかもしれない。
信頼されて本来嬉しいと思うべきところが、疲労やストレスで「もう頼らないで!」という気持ちに変化してしまうものです。
信頼されることは嬉しいことでも、当たり前に頼ると気持ちのベクトルが変わってしまう。
個人的に思うのは、親父には本来は愛情があるのだけど、自分が伝えられない究極の状況にならないと、それを表現できないというくらいに、朴訥な昭和の男だったのだと思う。
決して悪いことではなく、その時代に生まれた普通の風景に過ぎない。
今は、時代の流れが速く、昔の当たり前を享受できなくなってきている。
そういう時代にも通用する人材になるために、日々学べと言うことを、我々に言い残したかったのだろうと、誠に勝手ながら解釈いたします。
寡黙な教えをありがとう。
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