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幡野広志著『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』を読んで思うこと

幡野広志さんは、やはり文章が鋭く興味深く素晴らしいと思う。
「写真が上手い人」とか「文章が上手い人」は結構いるのかもしれないが、写真と文章の合わせ技はとても武器になる。その武器を持っている人だと思う。狩猟をしていたり、病気を持っていたり、人生の経験値が深みのある文章と写真を作り出すのかもしれない。

私は写真初心者ではないと思う。写真中級者といったところだろうか。
高校時代は写真部でフィルム現像・プリントを齧り、大人になって仕事でネット通販用の簡単な商品撮影をしていた時期もある。30代を迎えて再び写真にのめり込み、プロのワークショップにも参加した。その時にグループ展に一度参加した。愛機はCanon70D。10年ほど前のものでミラーレスではない。ミラーレスと比べるとかなり大きいが、まあ使えないことはない。そのほかにも収納に眠れるハッセルブラッドやオリンパスのフィルムカメラなどもある。

というのも、親戚が写真を生業にしていて、幼い頃から写真をやりたいといえばサポートが惜しみなく与えられた。その人以外のプロの助言もいくらでも得られるような環境下で育った。

そういう人がこの本を読んで思うこと。
とても頷けるところがたくさんあった。
以下、引用です。ネタバレ注意。

「いい写真」は「伝わる」写真。だけど、言葉がないと伝わらない。

一章より

前回の投稿で私は「被写体と撮影者の関係性が伝わるとき、いい写真だと思う」というようなことを書いた。これに近いのかもしれない。しかし写真にタイトルをつけても文章はつけない人も多く、これも表現方法なので人それぞれなのかな、と思う。
物の見方、感性が研ぎ澄まされた上で、それがうまく文章化できる人が、先述の「武器」を持っていると言えるのだと思う。

好きだから見ている、だから見たいものを撮ればいい。

二章より

これも、好きなものを表現すると自然と面白いものになる、と私は前回の投稿で書いた。

ナルシストもどうかと思うけど、自分を卑下しまくるのもどうかと思いますよ。

二章より

これは写真論というわけではないけど、確かに日本人って謙遜とか卑下することが大好きな文化で、それが趣味の写真にまで及ぶ時がままある。
基本、腰が低くないと見て貰えないような気がしてしまうのだろうか。
アマチュアカメラマン同士で写真を見せ合う時も、「こんなの撮ってみたんだけど、ダメかな?」みたいな入り。「これいいでしょ?」みたいな人はあまりいない(私の周りでは)。
しかしプロの世界では謙遜していては始まらないだろうと察する。プロの世界じゃなくても、自分を卑下しすぎると相手に写真を見せるチャンスも失うと思う。
やはり自信を持つバランスを自分で考えていきたいと改めて思った。

写真に大切なのは写真以外の知識と経験。

三章より

写真は芸術・表現の一つなのだから、他にも学ぶべき芸術、映画や絵画や漫画や音楽などなんでも、あると思う。そういう意識があってこそ、文章に深みが出てきて、写真にも影響してくると思う。


ここまで、うんうんと頷きながら読んでいたの、だが…
途中で衝撃の文章に出会う。

三分割構図では撮らない。

三章より

さ、三分割法って、私がよく使う、黄金分割のことか。。。(調べたら正式には違うようだが)
ちょっと右上とか左下とかに寄せるアレね。。。
自分でデザインする気持ちでやってしまっていた。これは恥ずかしい。
確かに歪んでしまうよな。
デザイナーと撮影者の仕事は切り離さなきゃいけないのね。サムネ写真を作る時などにレイアウトするのはアリなのか。

それから、参ってしまったのがRAW現像である。
幡野氏はRAW現像をしてこそ、みたいに書いているが、RAW現像しないと写真をやっていると言っちゃいけないという決まりはないだろう。
プロのワークショップに行っていた当時はRAW現像もしていたが、もはや紙にプリントしなくなり、JPEGでも問題ないと私は思っている。
なぜなら私にはiPadの他に10年前のMacしかないから。
iPadは新しいものだが、RAW現像となるとスペック的に厳しい。だから私は中級者にも満たないのかもしれない。撮る枚数も少ないし。
もちろん画像処理はしている。でもPhotoshopは今は使っていない。Appleの写真アプリで簡単に色補正などをしている。基本はSNSに投稿するための画像だから、それでいいと思っている。
確かに画質はいいだろうけど、本気でRAW現像するなら設備投資がいるのである。趣味にどこまでお金をかけるかという問題と個人的には思う。

「単焦点レンズ一本でいい」「基本絞り優先オート」といった、カメラの設定の話は大体同じことを考えていた。
私も今は70Dに50mmf1.8の単焦点レンズをつけっぱなしにして、何を撮るにもそれで撮っている。景色を広くとか部屋全体を撮りたいときなどはiPhone11の広角を使う。70D用のズームもあって、昔はかなり使っていたが、今はあまり必要性を感じない。埃などが入るのでレンズ交換を頻繁にしたくないのもある。

技術的なことはいろんなやり方があるけど、せっかくデジタルでフィルム代もいらないんだし、いろんな設定で撮りまくるのが吉と私は思っている。絞りやSSや感度を極端に変えてわざと同じものを同じ照明で撮影してみるとか。それでこうすればこうなる、と自然と覚えればいいんじゃないだろうか。そういうことをしているとうまさを求めるあまりいい写真から遠ざかるのだろうか。

というわけでまとめ。
写真の指南書といえども、あくまで「幡野流」のものであることを忘れてはいけない。幡野さんは神ではない。ここに書いてあるからってその通りにする必要はないし、写真だって表現なんだから、自分なりのものを見つけていくべきだと思う。指南書を読んでその通りにしなきゃ気がすまない人ほど自由度が低いためにうまく表現できないのではと思う。
技術的なものはさておき、私はこの本で特に写真に対する向き合い方、表現者としての考え方などがとても勉強になった。
いい写真を撮りたい欲はあれど、私はアマチュアだし、基本は「好きなものを好きなカメラで好きなように撮って好きな方法で現像し好きなように発表」すればいいと思っている。
私の写真は私にしか撮れないのだから。自信持っていきましょう。


「白いたべもの」
静かな早朝、大好きな食器を撮りたくて。

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