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ハウツーを捨ててブンガクを

ハウツー本の並んだ部屋なんて…

「〇〇の書き方」「〇〇の文章教室」「〇〇になりたきゃ〇〇をしろ」

はっきり言って、字面が野暮ったいのである。

書きたいから書くのだ。書けないところを無理に書くこたあない。
そう言うのは簡単ですがね…とおっしゃるなら、アナタどれだけ読みました?
ハウツーじゃない、文学作品。教科書に載るような。

ハウツーをいくら読んで学んだつもりでも、本物の文学作品を読まなければ、著される文章からは薄っぺらで軟弱な刺身蒟蒻みたいなモノしか伝わらない気がしてしまう。
もちろんハウツー本を読んで芥川賞を取った人もいたかもしれないし、ハウツー本に罪はないのだが、個人的に宝くじを買って当たるのを待っているようなイメージを持ってしまうのである。

かく言う私も「文〇の学校」という思い返すと恥ずかしい名前のセミナーというかスクールに通っていた。主にライターになるためのノウハウを教えてもらったのだが、私たち受講者が知りたいのはそんなものではなかった(私感)。

振り返ってみると、私たちは文章を書くことを通して自分自身を知りたかったのだと思う。つまり自分探しの一環。
いいトシこいて自分探しですか、というため息が聞こえなくはない。
かと言ってみんな作家になれるとは思っていなかったし、作家でもなくアマチュアでもない文章を書く人=ライター と解釈してライター養成講座に集まったのだと思う。
だから、ライターが請け負う「雪かき」のような仕事、例えば自分が興味を持てないテーマでも掘り下げて調べたり、対人恐怖を堪えてインタビューするのはまっぴらだった。
そんなことを考えながら受講していた私たちは次第に出席率が悪くなっていった。

受講者のほぼ全員が職業を持っていたので、ライターになれないからといって特に問題はなかったようだ。本業がキツすぎて転職を考えて受講した人も少なからずいたと思う。スタジオコーディネーターとか、ITエンジニアとか、話を聞いていると恐れ入るようなキツい仕事内容だった。そんな中、私は主婦という本当に気楽な身分であったのだ(今もだけど)。

10回ほどの講義ももう終わる、という時だった。
東日本大震災が起こった。

先生の1人が気仙沼のご出身で、ご実家もそこにあるという。かなりショックを受けながらも、震災から何日か置いて講義を行った。
私は、その先生にインタビューした。震災が起こって、気仙沼がめちゃくちゃになっているのをテレビで見た時の心境。
「割と冷静だと思っていたけど、ニュースを聞いてから買い物に行って帰って、こんなものが?というようなものが電子レンジに入っていたり、おかしな行動をしていて…」とおっしゃられた。

そうおっしゃる先生の、少し震えるような唇を今も思い出す。冷静沈着、厳しいことで有名な先生だったが、少し目も潤んでいた。

ライターというものに興味は無くなったものの、大震災の激動を共有した人たちがいたことは、私にとって大切な出来事だったと思う。

東日本大震災経験者は、ハウツーでは学べない何かを、自分の血肉になる経験をしたのではないだろうか。


私は物書きになりたかった。それは文学の余韻だった。

文学を読んで感じたこと。驚くような人物描写。何度も肯いた比喩表現。打ち震えるような作品のもたらす感動。それらを自らの手で他者に与えられればそれ以上の喜びはないと思ったから。

ああ。本を読もう。映画を見よう。芸術に触れよう。それらの芸術に確固たる自分の意見を持とう。自分の血肉になる経験をしよう。そして文章を書こう。

何事も、そこから始めるしかないのだ。
図書館でも行くか。

#文学 #文章 #ハウツー本 #日記 #芸術   

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