生まれ育った地元で働いて、地元が嫌いになった話

わたしは地方の10万に満たない、政令市のベッドタウンの市で生まれ育った。
両親はその政令市に電車で通う会社員だった。

両親ともに40を超えてやっとできたひとりっ子で、金銭的理由で県外への進学は許されず、県内の国立大学に進学し、就活は紆余曲折あったが(またそれは別のときに書こうと思う)氷河期のさなか、コネもないのに地元の公務員として採用され、実家に帰ってきた。

わたしが入った組織はそこまで住民と接することがない職場だったのだが、5年前、ごみ焼却場の事務に異動を命じられた。

ごみ焼却場では、庶務、予算決算等の重要な業務のほか、自己搬入をする市民の対応、それに伴う電話での対応に追われた。

それがとにかく、ひどいのだ。
自己搬入をする市民は、そもそもごみの分別の仕方が分からない人が多すぎた。
何が燃えるごみで、何が燃えないごみで、何が資源物で、何が産業廃棄物かもわからない。
説明してもわかってもらえない。
ここでは捨てられないものだと説明しても逆ギレされる。
ごみの分別の冊子やステーションの日程表は広報と一緒にポスティングされているから、わたしは皆がその存在を知らない、見ないで捨ててしまっている事実に驚愕した。
なんで読まないの?なんで知らないで持ち込むの?
そんなことをちゃんと考える暇もなく、リテラシーが低い人たちと、多いときは100人以上、接しなければいけない。
それはとてつもないストレスだった。
明らかに飲酒運転の人もいたし、シートベルトをしていないのは普通、耳が遠くてどう考えても運転すること自体が危険な人たちもたくさんいた。
きちんと対応をしたのに、女に指図されたのが気に食わなかったのか、自分の地位を利用して名指しでクレームを入れられたこともあった。
そんなとき、直属の上司はまったく守ってくれなかった。

5年間働いて思った。

「こんな民度が低い街からはやく離れたい」

今は人事異動で、「まともな人」としか接しない部署にいる。
上司もすこぶる「まともな人」である。
でも、5年間のこの経験から、「地元を離れる」「地元ではないところに家またはマンションを買う」が目標になったのは確かだ。

わたしは自分の県は好きだけど、住んでいる街も人も嫌いだ。
上司に恵まれなかったのもあるが、
心底、この街が嫌いになった。
身体の問題で子どもができないので申し訳ないが、
とても良い立地にある実家も、両親がいなくなったら手放す予定でいる。






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