からっぽ男の憂鬱・2021/03/24
「文学部」もしくは「文芸部」
と、題してみる。
今日は独り言を思うままに書いてみる。
すでに何万遍も書いていることかもしれない内容になりそうだけど、「総決算」として、大目に見てほしい。
「Scary Monsters (And Super Creeps)」
独り言のお伴はデヴィッド・ボウイの「Scary Monsters (And Super Creeps)」というアルバム。
映写機が始まるような効果音のあと、いきなり「ニンジャのようなボイス」で収録されている日本人女性の「シルエットや影が 革命を見ている」と叫ぶ。日本人だと気恥ずかしくなるようなナレーションなのだけど、それにボウイの熱唱が絡むと、あら不思議、緊張感あふれる異国情緒あふれるロックナンバーになる「It's No Game」で幕が開く、「ロックスター」ボウイ最後のアルバム。
この次に出す「Let’s Dance」というアルバムで「スーパースター」になる、というのが俺の思うボウイ像。
パンクロックの台頭で、多くの「過去の」「化石のような」ロックを否定する若者が増えていった中で、否定されなかったロックスターのひとりがボウイだ。
そのパンクロック&ニューウェイブへのボウイの答えがこの「Scary Monsters (And Super Creeps)」。
「恐ろしい怪物」に呑み込まれそうになる「Scary Monsters」(怪物ギターを弾いているのはR・フリップ)、自分の代表曲の登場人物を「トム少佐は、ただのジャンキー」にだと言い放つ(=過去の清算)「Ashes To Ashes」、「右向きゃ右・左向きゃ左 ファッションなんてそんなもん」と当時の「ファッションビート」で歌う「Fashion」、「僕は10代の尖った生き方の見本なんかじゃない」とキッズへ言い放つビッグナンバー「Teenage Wildlife」、と、俺にしちゃ名曲揃いのアルバムだ。
高校時代から聞き込んでいるアルバム。ひょっとしたら、「The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars」の次に聞いているかもしれない。
からっぽ
自分には、何もないと思う。
からっぽ男だ。
中学時代から「勉強」をしないで来た。
高校受験も「勉強」を(ほぼ)していない。
大学入試も推薦入試で、しかも「勉強」をしないで行った。
当然の如く、「勉強」の場である、大学で挫折した。
紆余曲折あって、今に至る訳だけど。
中学生の時に、勉学で生きていくことを止めた。
代わりに「演劇」を流し込んだ。
それがいかに「裏目」に出たか。
わかると思っていた演劇がわからなくなってしまった。
自分自身の「何もない」「何者でも無い」「何も出来ない」が、俺の中で蠢いていた病気を爆発させてしまった。
今思えば、それで良かったのだ。
「何者でも無い」学生を「教育」する場だったのだから。
自分自身の揺らぎに、耐えられない、それほど未熟だった。
「勉学が出来ない」ことが、周りと自分との距離を生んだ。
いや、違うな。
「嫉妬」だ。
嫉妬を生んだ。
感情が歪んでしまったのだろう。
実際問題として、精神を病み、「統合失調感情障害」が発症した、というのもある。大学入学当時から、30キロ太ったし、人前に出るのがひどく怖くなり、飲み会の席では黙ってしまうようになった。薬の副作用だというのもあるけれど、感情の捻れが激しかったせいが主だろう。
戸川純と「20th JUN TOGAWA」
この時期に戸川純の音楽に触れるようになった
きっかけは、紙ジャケブームの頃、戸川純も初期アルバムを一気にリリースしたから。
俺はその中の1枚で、戸川純本人が選曲・リマスターした「東京の野蛮」というベスト盤を買い、ヤられた。
次に手を出したのが、まだ発展途上だったヤフオクで手に入れた「20th JUN TOGAWA」だ。
ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」を、幽玄な原曲とは逆ベクトルの、混沌としたバンドサウンドに乗せて歌っている。
この曲以外にも洋楽5曲、日本の歌1曲の、全部女性ボーカルのカバーアルバムだ。
このアルバムの印象を、当時の自分に落とし込んだ、そのまんま「ラジオのように」というタイトルの芝居を2006~7年に書いた。
データはフロッピーディスクに入っていたので、手元に台本データは無い。
でも、数年前に「これをニイモトに借りていたの忘れていたから返すよ」と、大学の先輩のトロさんから、貸したどころか存在すら忘れていた、草稿ノート&上演台本を渡された。
そして、数年、それを返してもらったことすら忘れていたのだけど、出てきた。
草稿やプロット、今と全然違う書き方をしていたことを思いだした。
今度、折を見てはデータ化しようと思う。
書いた頃の記憶は、地上波のテレビのモザイクもような嵐の彼方に消えているので、この15年で自分がどうなってきたかを、加筆なしで公開しようと思う。
「ラジオのように」
手元に翻訳した歌詞がある。
読んで欲しいので載せてみる
仏語なので、歌詞カードからの転載。
怒られたら、ゴメンして謝ります
Comme A La Radio
(ラジオのように)
By Brigitte Fontaine
それは全く
ラジオで言っているようなもの
ただの音楽
何でもない
ただの言葉、言葉
言葉
ラジオで言っているようなもの
何の妨げにもならない
トランプする
じゃまにならない
高速道路で眠る
じゃまにならない
お金の話をする
じゃまにならない
それは全く
ラジオで言っているようなもの
何もない
ただ物音がしているだけ
沈黙は耐え難いから
他にも耐え難いものがあるから
二人の間では、それはラジオ
沈黙を埋めるための
ほんのちょっとした物音
ほんのちょっとした物音
ただそれだけのもの
ほんのちょっとした物音
怖がらないで
それは全く
ラジオで言っているようなもの
この瞬間に、何千匹もの猫が路上で轢かれています。この瞬間に、アル中の医者が若い娘の身体の上で「まさか死ぬんじゃないだろうな、このあばずれめは」と罵っています。この瞬間に、5人の老婆が「今は20分前なのか5分前なのか?」と質問し始めています。この瞬間に、大勢の人々が人生は恐ろしいと思って泣いています。この瞬間に、2人の警官が救急車に乗り込んで、頭を負傷した若い男を川へ放り投げています。この瞬間に、1人のスペイン人が仕事を見つけたことにとても満足しています。
世界は寒い
寒い
誰もがそれに気付き始めている
そして何処かで
火事が起こる
寒すぎるから
翻訳家さん、翻訳して
でも
怖がらないで
それが何だか分かっている
それはラジオ
そこでは何も起こらない
重要なものなんて何もない
何でもない
何でもなかった
ただ物音がしているだけ
ただの音楽
ただの言葉、言葉
言葉、言葉
言葉、言葉
ほんのちょっとした物音
ほんのちょっとした物音
ラジオで言っているようなもの
(訳・潮田敦子パルー)
「文学部」、もしくは「文芸部」
俺は桜美林大学の、演劇のコース第1期生だ。
当時は「桜美林大学文学部総合文化学科」としか名乗っていなかった。
「専修」の「せ」の字もなかった。
大学入学当時は、恐ろしく何もなかった。
学食がいくつかあって、一番高級な学食では(学食にランクがあったんす)ビールとワインを楽しむ教授がいたり、体育館の隅っこにスタジオがあって、そこくらいしか居場所がなかった。
2年目にもう一個スタジオが出来て、4年目に今メインで使われている劇場が出来た。
今や、その建物も老朽化(!)で、新しい劇場が出来るんだってね。
思えば遠くへ来たもんだ。
……んなことをメインに書きたいんじゃなくて。
俺は文学部でいながら文学を学んでいない、という「勉学コンプレックス」がある。
「学歴コンプレックス」はないんだけどね。
ひねてしまっているのね、アタクシ。
文学部に入り直すには、今の俺にはハードルが高いので、せめて中学生・高校生のやってる「文芸部」くらいには入りたいのですよ。
「文芸部」を馬鹿にしている訳ではなく。
文学をもっと愛したいのだ。
青春を「演劇」で過ごした分、俺の中のもう片輪の「文学」を愉しみ直したいのですよ。
ノート(≠note)に創作を書き散らしたりしたい。
ノートに小説を書き殴りたい。
「I CAN BE SHIT, MAMA」
THE YELLOW MONKEYの中の隠れ人気曲。
俺はこうやって、「SIT」な「嫉妬」に「SHIT」したくないので……。
どうにか一生懸命に、生きていこうと思う。
アッカンベーしたまま。
今日の終わりに
自分の思うことを書いていたら、こんな時間だ。
毎日更新が切れる!急がねば!
んじゃ、また!
ってノリの気分。
おしまい。
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