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意味も情感も拒絶する音楽が必要になるときがある。

新型コロナウイルス感染症拡大によって、社会活動が著しく制限されていた時期の記憶がどうもあやふやです。
最近、仕事の一環でその時期を含めた数年間の出来事を調べているときに改めて気づきました。
その期間の数ヶ月、どうも私は大きな空白にいたようです。

法務省 令和4年版 犯罪白書 第7編/第2章/3 より


私は必要に応じて勤務先その他に出向いて仕事をしていましたが、多くは自宅で過ごしていました。

(この点、医療従事者の方やインフラを支えていらっしゃった方には今なお感謝しています。また、あの状況下で生活やお仕事が大きく変わらざるを得なかった方にも僭越ながらエールを送ります)

朝起きて支度をして仕事に取りかかって休憩して食事を摂って家事をして夜眠り、私は家の中にいてもできるだけ生活リズムをキープするようにしました。
運動不足が気になったので、2日に一度くらいは外を歩くことにしました。
人出が少ない時間帯、といっても夜間は怖いので明け方に。


自分の中での時系列が明確ではないのですが、経験のない状況が日常になっていくうちに、ひとつの変化に気がつきました。

どうも、好きで聴いていた音楽を聴く気になれない/受けつけない。

不思議な気分でした。
毎日心地良く聴いていたものが、極端にいえば徐々に耳障りなものになっていき、ソウルもジャズもロックもポップスも再生しなくなりました。
印象的なメロディや躍動するリズム、美しい歌声、ドラマティックな構成といったすべてが邪魔だとさえ感じました。
出口の見えない閉塞感、とよく形容されるあの頃の状況ですが、やはり脳天気な私でもそれに大きな影響を受けていたのでしょう。

歌詞のある曲はほぼすべて聴かなくなりました。
ただ、この曲を聴いたのは憶えています。

♪ "Where Are We Going?"  by Marvin Gaye
(再生時間 3:55)

「我々はどこに向かっているのか?」
おそらく世界中のひとが抱いたであろう気持ちを歌ってくれていました。


聴けないのならなにも聴かずに生活すれば良いようなものですが、そこは小人の哀しさ、自宅に篭りひとと会うことに制限がある状態で、膨大な情報だけは押し寄せてくる毎日に不安を感じていたのでしょうか。
湧き上がるフラストレーションや真偽不明な言説に対する防波堤を音楽に求めていたのかもしれません。

クラシックはどうかと考えました。
小編成の室内弦楽曲なら一部聴いていられましたが、協奏曲などにはついて行けなかった。
こんな時に有効そうなアンビエント・ミュージックはどうか。
もともとある種のアンビエント・ミュージックの向こうに覗く、癒やしとかニュー・エイジ思想とかがあまり好きではない私です。
当時私が求めていたのは「心の癒し」とかいうものではありませんでした。


ところで、私がよく立ち寄る居酒屋のご主人は現代音楽の愛好家で、店内に流す音楽もそればっかりなので客からは大変評判が悪いのです。
休業中でヒマな彼と電話で無駄話をしているとき、「最近音楽を楽しく聴けないんですよ」と話題を持ち出すと、ひとりの音楽家を教えてくれました。

♪ "Stay On It"  by Julius Eastman
(再生時間 24:29)

ジュリアス・イーストマンは、1970年代から1980年代にかけて現代音楽においてニューヨークを中心に活躍しながらも突然表舞台から姿を消し、49歳で極貧のうちにこの世を去ったそうです。
なぜかわかりませんが、この音楽は息苦しくもイライラすることもなく、聴き続けられました。

♪ "Femenine"  by Julius Eastman
(再生時間 1:11:13)


旋律や主題や情動を避けた末に、ミニマル・ミュージックへ至った/回帰したということかもしれません。

ずっと以前「ダンス音楽として」のテクノ・ミュージックに出会った私は、ソウル、ファンク、ディスコなどの、云うなれば血肉を与えられたリズムの歴史を遡るのと同時に、電子回路を行き来する信号を追って、広い意味でのエレクトロニカの歴史を辿ることも好きになりました。

執拗なまでの反復が呼び起こす高揚と鎮静は、ファンクでもテクノでもミニマルでも同等でした。
ジャンルが何か・BPMがいくつかは問題ではなく、私はこれらの音楽で踊りながら眠り、眠りながら踊ってきました。

私はあらためてミニマル・ミュージックを漁りました。

♪ "Four Organs"  by Steve Reich
(再生時間 15:54)


♪ "Islander"  by Wonder City Orchestra
(再生時間 05:08)


♪ "Masalla"  by Luciano
(再生時間 9:51)


♪ "Gene Takes a Drink"  by Bang on a Can All-Stars
(再生時間 05:57)


拍の反復の中で時間芸術であるところの音楽が時間を失って、意味や意図や感情を必要としないところに私を連れていってくれました。
早朝歩きながら、部屋の掃除をしながら、この手の音楽を聴き続け、私は踊らずに踊り、眠らずに眠りました。


ひとは現金なものです。
あるいは私がいい加減で鈍感な人間だからでしょうか。
いつの間にかソウルもジャズもポップスも、前にも増して聴いています。
もちろんミニマルもテクノもクラシックも。

あの何ヶ月かの空白での音楽体験は、今思えば有意義だったように感じます。
あくまで音楽体験は、です。
あのような生活をまた味わうのは勘弁していただきたい!


追記:
同時期、上に挙げたような音楽と並行して私がのめり込んだもののひとつに落語鑑賞があります。
三代目 古今亭志ん朝師と三代目 桂米朝師の口演記録には、特にかなりの時間楽しませていただきました。
また、緊急事態宣言時に春風亭一之輔師が10日間連続落語生配信をYouTube上で公開してくださったことは大変嬉しかったです。

音楽にいろいろな要素が不要だと感じていた時期に、言葉という意味のカタマリを扱う芸に惹かれたというのも支離滅裂でげすな。


top image : timonev, Thank you for letting me borrow your wonderful work.


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