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ジャズ現在進行形/または世界地図と旅する男②

翌日、私はいつもより少し早く起きて、いつものバス停とは反対方向のみどり屋へ向かいました。
ミスタ・ジェイコブズが朝と夕方、小学校の正門前に立って、子どもたちの安全のために『勝手に交通監視員』をしていることを知っていたからです。
バイパスからはずれたその道路にはほとんど車通りがありませんが、彼は真剣な表情で子どもたちを見守り、登下校する全員に声を掛けているそうです。

私がみどり屋に近づく頃には彼はその役目を終えていて、店の前を竹ぼうきで掃除しながら、私に気づくと挨拶をしてくれました。
「おでかけですかー?レレレのレー」

「これ、すごくいい曲ばかりだった。貸してくれてありがとう」
カセットテープを差し出すと、ほうきの手を休めずに、
「あげるつもりで渡したんだよ、邪魔じゃなかったら持っていてくれ」
と返してきました。

「でも、大切なものじゃないの?思い出の曲だったり…」
ミスタ・ジェイコブズは微笑んだままこちらに向き直り、
「大切な音楽は」
と、自分の左の胸を軽く叩きながら言いました。
「ずっとここで鳴っている。君も、俺も」

私はそれ以上どう返したらいいか判らず、カセットテープを握ったまま、疑問に思っていたことを口にしました。
「なぜ、こんな田舎の村にやってきたの?」

「音楽を聴くためだよ」
彼は私の不躾な質問にも、変わらず穏やかに応えました。
「音楽?だったら都会の方がいろんな種類のをたくさん聴けるんじゃないの?」
とさらに問いかけると、
「ああ、たくさんある。どこの国でも都会には音楽が溢れかえってる。そしてその中で長く暮らしてると、この音楽が聴こえなくなる」
もう一度自分の左胸を指し示しました。

集めたごみを傍らの塵取りですくい上げると、彼は両手を払いながら言いました。
「そろそろ次の場所へ行こうと思う」
「え?どこへ?」
「さてね、ここ2年ばかりは北半球にいたからな。今度は南がいいかもね」

私はバス停に向かう前に自宅に戻り、むかし父からもらった1979年製のSONYウォークマンをひっぱり出して、ミスタ・ジェイコブズがくれたカセットテープをセットし、その日じゅうそこに記録された曲を聴き続けました。


♪ "Come With Me (The Ride is Free)"  by Joyce Elaine Yuille

イタリア人のプロデューサーとフィンランド人のバンマスがNY出身の素晴らしい歌手と組んだアルバムから。
スモーキーでいて伸びのある声、ニュアンスに富んだ歌唱、全てが最高。


♪ "Paseo en 6/8"  by Marialy Pacheco Trio

ハバナ生まれ、ブリスベン在住のピアニストのリーダー作から。
軽やかなキューバの香りと優雅さ、トリオのアンサンブルも緻密かつ情熱的で本当に素敵。


♪ "MINOR ISSUES"  by Moses Yoofee Trio

ベルリンを拠点とするトリオ。
手に汗握るドラムズとベースの上で舞う鍵盤。
エレクトロの色彩も緊迫感を高め、その強靱な音に没頭してしまう。


♪ "Wave of Stars (feat. Mohini Dey)"  by Lorenzo Ceci

フュージョンを現代に鳴らすミラノのギタリストと、ムンバイ出身の天才ベーシストのコラボレーション。
思わずマハヴィシュヌ・オーケストラを連想してしまいました。


♪ "All Black Everything"  by Amy Gadiaga

こちらも女性ベーシスト、パリ生まれでロンドンにてデヴュー。
キュートでナチュラルな歌声も魅力的、ソングライターとしての実力も間違いないところ。


♪ "The Light"  by Yussef Dayes

現在のロンドン・ジャズ・シーンを代表するドラマー、初のリーダー作より。
娘さんの声をフィーチャーし、様々な音で織りなす限りなく美しいグルーヴ。
泣かせにかかってくる映像にも、まんまとハマってしまう…


♪ "Ford Focus 1999"  by daoud

モロッコにルーツを持つフランス人トランペッター。
やわらかいトランペットはもちろん、ヴィブラフォンとベースの味付けが好き。
かわいいCGアニメに、なぜか引き込まれること必至。


週が明けて月曜日。
私は村役場に書類を提出するため、また小学校とみどり屋の前の道を通りました。
授業が始まっている小学校は日差しを受けて古い教会みたいに静まりかえっていて、みどり屋の店先ではおばちゃんがひとり、ベンチに腰掛けて正門のあたりを眺めていました。

「ジェイちゃん、行っちゃったよ。昨日のうちにね」
こちらを見上げたおばちゃんは、さすがに寂しそうでした。
「土日はウチも学校も休みだろ、子どもたちは知らなかったからね、今朝は泣き出しちゃう子もいたりして大変だったよ」
「そっか…」
私もミスタ・ジェイコブズが掃除していた店先と正門前を眺めました。

ふと視線を転ずると、小さな店の奥、帳場の後ろの壁に見慣れないものを見つけました。
ミスタ・ジェイコブズが持ち歩いていた、ボロボロになった大きな世界地図がピカピカに光る画鋲で貼られていました。

「ジェイちゃんが貼ってったんだよ」
笑いながらおばちゃんが教えてくれました。
「これ以上使ってるとテープの補強も追いつかないから置いてくって」
近づいてみると、地図の隅にある日本列島の、ちょうど村のあるあたりに赤いサインペンでぐりぐりと丸印がつけられ、すぐ横に下手な文字でこうありました。
「No.152 ありがとう ヒサヨさん ずっと元気で」

おばちゃんは冷凍ケースからパピコを取り出すと、一本を私に差し出してまたベンチに座りました。
私も隣に座って、次の地図に最初に印がつけられるのはどこだろうね、と話しながらアイスを最後の一滴まで楽しみました。


top image : BRRT, Thank you for letting me borrow your wonderful work.


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