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「誰かの言い分」を学ぶための読書

先日、「noteの発信が難しい」という記事を更新しました。

これがセンチメンタルな内容だったためか、一部のフォロワーさんを心配させてしまったようで、お優しいコメントを頂きました。
ありがとうございました。

ただ私は人よりも気にしすぎるきらいがあるだけで、根っこにいるのは理系気質のバキバキ論理野郎なので、失望させてしまわないように気を付けたいと思います。

今日はそんな話を一つ(どんな話?)。


謎を解き明かしたい


私は「解明できないこと」が嫌いです。

化学屋としての生活が長いのもあり、「何で?」と思うと放置できません。

特に「理解できない人」についてはそれが発動しやすく、
「なぜそんな言動をしたのか」を解き明かしたくなる傾向にあります。

だから、普段ほとんど怒ることがありません。
「なぜこの人はこんな酷いことをするのだろう?」という疑問が先行してしまうからです。

そうしている間に6秒が経過するので、怒りが表出しないのですね。


私にとって「あおり運転をしてきた若者」も「自分を叱りつける上司」も「ベビーカーを蹴るおっさん」も全て、一旦は「謎の人」という箱にブチ込まれます。

その後、例えば「あおり運転」であれば、「車内に自分しかいないことで、周りの目というストッパーが働かないのだろうな」とか、そんなことをボンヤリ考えます。


この「誰かの言い分を考えること」を習慣にするのはアンガーマネジメントとして有用で、そのために普段積み重ねている読書が役に立っています。


『死刑について』を読んで


2年前、平野啓一郎・著『死刑について』という本を読みました。

一時間程度で読み終わるので、重いテーマを扱いつつも胸焼けしない良い本だったのですが、本書は一貫して「死刑制度反対」の姿勢を取ります。


私は反射的に「何で?」と思いました。
人を意図的に殺めた人間が死刑になるのは「やむを得ない」と考えていたからです。

どんな理由があっても人を殺めてはいけない

これは小学一年生でも分かる当然の道徳で、現に日本人の80.8%が「死刑もやむを得ない」と考えていることが本書では示されています。


私はそれまで「死刑を廃止すべき」と考える人のことは1ミリも理解できなかったし、理解しようともしてこなかったです。

でもこの本の中には、少なくとも「そういう目線もあったのか」という「言い分」がありました。

死刑制度自体が、“相応の理由があれば人を殺めても良い”ことを認める一因になっている

第二章 「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに向き合って より

私たちは、被害者の感情を、ただ犯人への憎しみという一点だけに単純化して、憎しみを通してだけ、被害者と連帯しようとしているのではないでしょうか?

第三章 多面的で複雑な被害者の心に寄り添うとは より


この体験があって以来、私は「誰かの言い分」を知るために読書を続けています。

息子の左利きを矯正したがる祖母の言い分を知ろうとしたり、
アマゾン熱帯林の伐採を強行したがるブラジルの言い分を知ろうとしたり。

今後も続けていきたい習慣です。


まとめ


とりとめのない記事になってしまいましたが、今回は私が普段意識している「誰かの言い分を考えること」について書きました。

しがらみや確執は「相手を理解しない人」と「相手を理解しない人」との間に起こります。

読書によって満遍なく広い知識を得ることで、「言い分は理解できる」状況を増やしていきたいですね。

読書によって得られた知見を交え、日記やエッセイを書いています。
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それでは、また。

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