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しんめいpさんの、教養としての東洋哲学「自分とかないから」を読んでみたら歌のメソッドとの共通点が沢山だった


西洋哲学には触れたことがあったんだけど
なんとなく合わないなという気がして…
東洋哲学の本を探していたところ、
タイトルに惹かれて買ってみた。

面白くて数時間で読破した。
東洋哲学ってなんとなく取っ付きにくそうな、
ものすごく難しそうなイメージがあったけど
しんめいpさんの分かりやすくて面白い例えのおかげで
なるほどそういう教えなのか〜!と思えた。

とにかく文章が面白くて笑いながら読んだ( ˇωˇ )

上手く感想とか書けないから、気になる人は先に読んできてほしい🥹

ちなみに しんめいpさんはnoteもやってらしてるみたいで。

⬆️こちら



題名の「自分とかないから」がすごく胸に染みた。

世界って意外とシンプルで、なんにもない。
人は本当にフィクションの中を生きているんだなと。

よく、スピリチュアルの世界とかだと

「みんな分解してくとただの粒子なんで物も人も同じだし宇宙のパワーが宿ってる無敵の存在だよ君たち」
(めっちゃ要約してるごめん)

みたいな感じだけど
わたしあんまりそれ好きじゃなくて
しっくりくる人も居るだろうけどね。

しんめいpさんの本には、

人間の身体の細胞って常に入れ替わってて
3ヶ月位でだいたい入れ替わる。
10年前の自分と今の自分は物質的には
完全に別人レベル。

「自分」の体は、食べ物、
「自分以外」のものからできている。
もっと言えば、
鳥も「鳥」も、「鳥」以外のものでできている。
虫とか食ってる。
「虫」も、「虫」以外のものでできてる。
草とか食ってる。 「草」も、
「草」以外のものでできてる。
水とか太陽の光とか。  
この世界は、全部つながりすぎている。  
ちゃんと観察すると、「これが自分」といえるものが
何もないことに気づくのだ。 「無我」である。

空気も、水も、たべものも、
全部「太陽」からうまれたエネルギー。  
ぼくらは太陽のエネルギーを吸って、
飲んで、食っていきてる。  
太陽のエネルギーそのものなんすよ。  
てか「自分」ってほぼ太陽。境界線ない。  
ほら、「自分」、いっきに宇宙とつながるでしょ。  

教養としての東洋哲学:しんめいp

と書いてあって、とてもしっくりきた。
そして、ここはそもそも宇宙でしょ。
だから自分は宇宙の一部に決まってる。
たしかに…と思った。

私はオペラ歌手なので、
ベルカント唱法の精度をあげるために
先生のところに通っているんだけど

先生がよく言うことと、めちゃくちゃリンクしていて
本の感想というか、
東洋哲学とベルカント(先生のメソッドの)の
関わりの話になってしまう……!

すみません!


先生はよく言う。

「空(から)で魅せなさい。」
「人間には既に下から上に向かって伸びるエネルギーが内在しているからそれを信じなさい」
「このメソッドは他力なんだよ」

ってよく言う。

普通、歌のメソッドってのは
「横隔膜をなんたら…」
「喉はこういうふうにあけて…」
「身体をこう動かしなさい」
という教え方が日本の発声教育なんだけど
(それがいけないとか悪ってことじゃない)

先生はそれを言わない。

「自分の居ないバランスで歌いなさい」

っていう。何年も先生とこいるけど
本当に同じことしか言われない。

でもこの本を読んで、先生の言ってるバランスって
こういうことなんだって思ったの。

一流だなと感じる歌手たちって
実際お話してみると、「なんでこんなに普通なの?!」
ってぐらい謙虚で本当に普通なの。

しんめいpさんの言葉を借りるなら、
あの人たちってタオイストなんだとおもう。
「道(タオ)」の使い手だよほんとに。
ちなみに道ってのは、

ひとことでいうと「宇宙を生みだす根源の力」というかんじだ。スケールでかい。

教養としての東洋哲学:しんめいp

ということらしい。
たしかにすごい言葉だけど、すごいよくわかる。

「道」って言葉にしたらもう真の道ではない。
「道」は見ようとしても見えない。
「道」は聞こうとしても聞こえない。
「道」は捕まえようとしても捕まえられない。
「道」はとうてい計り知れないものである。

教養としての東洋哲学:しんめいp

らしいのだ。
でもなんとなくわかる。
先生のところに行き始めて5年。

先生の言っていることは、頭の外にあって
感じようとしたり、考えることでは
行き着かないことなんだなと。

先生に昔よく言われた、

自分に流れるそのエネルギーは常に流れてるから
自分がどうこうしようとかするのとは違う。
自我が大きすぎる。
君はその流れに逆らって自分でなんとかしようとしてる。でも、そうじゃない。
上手くいかないんだとしたとら、
君は自分のことを信頼していないってことだ。

いまならわかる。

心は常に無防備なバランスだよって
先生よく言うの。
タオイストだ……………

なにせ先生のメソッドの名前は、
「幸せになるための声」って名前がついてるからね。
先生のブログはこれ⬇️


本を読んで思ったけど、
東洋哲学ってすごく自然で、馴染むし
日本にも「ものには全て魂が宿ってる」的な考えも
すごく似ているんだろうなと思った。

先生の言うことって、

自我は小さく、そしてありのままの自分で在れ。

みたいな感じで。

え?!どゆこと?!
っておもって5年間。
考えたり、やろうとしてみたり、
「同じことの繰り返し」を何年もやっていた。
ある意味これは修行していたんだなと思った。

目を開けながら何も見るな。
みたいな感じなんだよ。

歌のメソッドなはずなのに、
自分の生き方とリンクしているの。

種から根が伸び葉が伸びいつしか木になる。
雲から雨が降り川になって海に流れ蒸発し雲に戻る。

みたいな歌のメソッドだなと思ってた。
まさにその「宇宙の根源」から発せられる声が
ベルカントなんだと改めて思った。

何年も修行してもしかしてこれか?っていう感覚が
芽生えてきた時に
この本に出会って確信に変わった。

東洋哲学ってすごい。とっても自然。
しんめいpさんのおかげで本当に読みやすかったし
すんなりと受け入れることが出来た。

自分でも勉強してみたい。
私って、自分に厳しい生き方をしてたんだと
改めて思ったんだ。


私の内面や精神への興味は中学生の頃からあって
「自分ってどんな人間なのか」を知りたくて
まじで普通の人がやらないであろう時間とお金をかけて
結構最近まで「自分」について勉強?内観?してきた。
四柱推命、算命学、ホロスコープ、欲求タイプ診断、猿人類診断……外見の診断もやった。
流行りのパーソナルカラー診断から、骨格、顔タイプ、テイストスケール診断。

ほんとに、何年も。
やって良かったとは思う。自分と向き合い続けたからこそ、研ぎ澄まされた感性とか物事の深いところ、
本質を見ようとする力がついたなとおもう。

でも結果的に思うのは、

自分らしさを求めるほど自分らしさから遠ざかる。

ってことだった。

そして自分を知れば知るほど
認識もしていなかった自分の「欠点」
気になるようになってしまった。

外見の診断は分かりやすい。
「〜ベースの〜の骨格だから」と言われた瞬間、
「つまりこの色は似合わず、私の骨格だとこれは太ってみえる」という、知らなかった「欠点に思えること」が
浮かんできたりする。

というか、私はそうだった。

そういうことを続けているうちに、
「正しい人間になる」「正解を選ぶ」みたいになった。
そこからおかしくなっていった。
「あなたはこういう人です」と言われた瞬間から、
それに縛られるようになった。

自分を知ろうとすればするほどなにかが狂う気がして
どんどん苦しくなった。
もともと、「完璧にやらなきゃ」とか「自分の人生は自分で切り開くんだ!!」っていう熱血タイプだったから
余計に自分を追い込んでしまったんだろうね。

そういう自分に厳しい人が選ぶ「選択」って
もれなく「自分に厳しいこと」なんだと思う。

だから、当時教えて貰ってた先生(音楽の)は
本当に厳しくて、常に「正しい音楽とは何か」
押し付けられてるようで
自分の気持ちを否定し続けられているように感じた。

音楽は私にとって人生そのものなので、
「正しい」にずっと縛られてきたんだと思う。

そしてパニック障害になった。
ある日突然、昨日までおくれていた普通の生活が
出来なくなった。
(これについては前回の記事に詳しく書いてます)


だから、本のタイトルである「自分とかないから」って言葉が胸に刺さった。

前回取り上げた、soratoさんの不安症の本にも
同じようなことを思う。

私にはsoratoさんの本にもしんめいpさんの本にも
似た共通点を感じる。

「自然な状態」って共通点があるんだなって思う。

なんか長くなっちゃった!

今日はここで終わり。
私も東洋哲学、勉強してみようかな(ღ*ˇ ˇ*)。o♡

いい本だったな。
出版してくださって、ありがとうございました。

すごく大変なんだろうけど、
もしまた出版の予定があるなら是非読みたいなぁ。


次は先生のメソッドについてかけたらいいいな!


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