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新時代、この波に乗るための切符はどこに売っていた。

どこまでも同じ、無機質で真っ黒なトンネルを背景に揺れる地下鉄。
空いている席に座る。
ふと向かいに座った女性に目を惹かれた。
まだ大学生か、新卒の社会人ぐらいの年齢なのに、どこか老けて見える。
キレイにメイクして、服装だってオシャレにしているのに、この印象はどこから来るのか。
彼女の表情を何気なく見た瞬間、
「あ、この子、いじめられてる」
というイメージが入ってきて、一気に胸が苦しくなる。
目はギラギラと戦いのオーラを放っているのに、頬やほうれい線が年齢にそぐわないほど弛み、背中が独特の形に丸まっている。

自分にも経験があるから分かるのだ。
周囲に悪口を言ってくる人がいて、日々、不当な攻撃にさらされていると、
そんなことない、自分はそんな人間じゃない、
言ってるそっちの方はどうなんだ、って必死に抵抗していても、
だんだん浸透するように相手の悪口が体内に入ってくる。
そうなのかも知れない、相手の言ってることが合っていて、自分は間違っている、
嫌われて当たり前の、迷惑なだけ何の価値のない人間なのかも知れない、
もしかしたらそういう部分もあるのかも知れないと、不安になってくる。
足元がぐらつき、自分で自分を責め始める。
頭の中でいつも、
またアレをしてしまったコレをしてしまった、
また誰かに責められる、また誰かにひどいことを言われる、どうして自分はいつもこんなことしてしまうんだろう、って
自分を責め、反省させ、必死に空を掻くような努力に自分を追い込んで、なんとか今を軌道修正させようとする声が聞こえる。
あまりの苦しさに、抵抗していた最後の糸が切れて「どうせ自分なんか」って自暴自棄になると、
いよいよ張り詰めていた最後の、服装や髪に気持ちを払う余裕がなくなり、背中が丸まり、目が死んだようになって負のオーラを放ち始める。
そこまで追い詰められてしまった人は、一目見ればわかる。
イジメられていたなんて知らなかった。気がつかなかった。
何か大きな事件が起こった後で周囲の傍観者は口を揃えてそういうが、そんなのはきっと嘘だ。

SNSが当たり前になった今の時代、少しでも目立つとどこからともなくアンチが湧いてくる、
最近ではあちこち、そんな悩みを耳にしない日はない。
SNSなど熱心にやらない私には幸いそんな経験はないけれど、学校や職場でいじめられるのとは違う、独特の狭窄した苦しさがあるのだろう。

先日娘に、この曲が大好き 、って、とある動画を紹介されて、心が和んだ。
「ぶりっ子」云々と批判コメントが来た配信者が、その辛辣なコメントを逆手に
自分たちの曲を作曲して歌詞をつけ、特技を生かして可愛くレコーディングまでしてしまったらしい。

才能もステキだけど、こんな風に対処して、笑いや創作につなげていける今の若い人のしなやかさは、本当に羨ましいほどまぶしい。


経済アナリストの藤原直哉先生という方がいて、
やはりそのようなあっという間に論破されそうな論客にもアンチがわくのらしい。
いつだったか対談のシーンの中で、そんな困った場面で藤原先生がどんな対応をされるのかお話しされていて、思わず爆笑してしまった事があった。
そうですか、あなたはそうお考えなんですか、なるほどなるほど。
しかし大変ですなぁ、実のところ大変でしょう、どうですか…

「実際、大変だと思いますよ」
ニコニコと笑いながらおっしゃる。
その人は明らかに、わざわざ高名な経済アナリストの講演にまで出向いて難癖をつけたくなるほど、日常にストレスが溜まっている。
そのストレスは、本人はそう認めることは出来ないだろうが、
藤原直哉とは多分1ミリも関係ない。
本当はそのストレスの大元と向き合い解消しなければその人が楽になることはないのに、それと向き合うのは億劫だし恐ろしいから、わざわざ気取った服着て理論武装して藤原直哉に喧嘩を挑む。
なんともご苦労さまなことだ。
しかし、「大変ですなぁ」なんて言われるときっとその人は、
「あの藤原直哉が、自分の「大変な」考えを傾聴しようとしている、
なんだ、なかなか見所のある奴ではないか」
なんて考えていい気分になって、アンチをやめてしまう可能性だって、あるのではないか。
もしかしたらファンになってしまうかも。
そんなシーンを想像すると、笑い上戸な私はもう笑いが止まらない。

なるほどそうやればいいのかと、いつだったか
実際にメールで不愉快に絡まれたここが好機とばかり「大変ですなぁ」なんて返信しようとしてみたことがある。
しかし書いたメールを読み返すとそこには、あの軽快さは微塵もなく、
侮蔑や、分からせたいと言うイヤぁなエネルギーが乗って
とても藤原流は再現できない。
「バカにしているわけじゃないんですよ。
ただ、本当に大変だろうな、と思うんです」
とは、藤原先生。
なるほど、自分にはまだとても到達できない境地だと諭された気がして、すごすごと諦める。

先日、息子の学校の体育祭があった。
私には、自分の感情をコントロールするのがどうにも難しい、と感じるイベントというのがあって、誰かのお葬式や子供たちの体育祭というのは、中でも特に気が重い、憂鬱な行事だ。
本当はどんな場面も、みんなと同じに卒なく目立たず振舞いたい。
頭では、今どのように振る舞うべきか、よくよく分かっている。
なのにそのような場面にいつも人より感情移入してしまい、
激しく泣いたり、笑いが堪えられなくなったりしてしまう。
体育祭について言えば、やめればいいのに、どうしても応援に我を忘れて大声を出してしまう。
自分の独壇場だと自負していた俊足、なのに前走者のバトンのミスで半周以上の取り返せない遅れの中、ただ歓声の消えた微妙な空気のトラックを、一番最後に走っていく子もいる。
早く終わってくれと体育祭を呪いながら渋々参加した、なのになぜかここで自分が抜くか抜かれるかがチーム全体の重要な勝敗を分けるような場面で走らされてしまう子もいる。
それでも順番は回ってきて、大勢の観客の前で競技をさせられる。
親のみならず、ビデオに一眼レフに携帯を何台も構えた一族の大応援団がやってきて大きな声援をおくってもらえる子。
そうでない子。
さまざまな事情や背景を抱えた子供たちの姿を、ただ黙って目の前に見送るのが、私にはどうしても耐えられなくなってしまう。
目の前のその子供が、誰からの声援も受けずに走っていく、そんな思いが一瞬でもその子の人生に傷をつけるなら、
その痛みに耐えるくらいなら、もう、自分が周囲からどう思われるかなんてどうであっても構わない。
プッツンと糸が切れる。
いろんな思いを滲ませて目の前を走っていく子供一人一人に、一言、
見てるよ、頑張ってるのを知ってるよ、って、声を張り上げずにいられない。

どうして自分は、みんなと同じに考えられないのだろう。
どうしてみんなと同じに、振る舞えないのだろう。
普通の人のフリをしたいのに、いつも失敗している気がする。
自分の子供が、あのグラウンドに向かって狂ったように応援している変な人は自分の母親だと、友人にバレて辛い思いをしては忍びない。
だからサングラスと帽子とカメラで万端に顔を隠して出かけるが、
それでもふと油断した瞬間に知り合いに会って、声をかけられたりしてしまう。
多分、周囲のビデオを撮っていた人のすべての映像には、
私の叫び声が入っているだろう。
うるせぇな、自分の子供でもないのに、って、
みんなビデオを見返してきっと怒ってるだろう。
そうやって2日、3日と、体育祭が終わっても頭の中の自分責めが始まって、
眠れなくなる。

マドモワゼル愛先生 「常々の体感が悪いという不幸」
私たちは常々、何らかのべール(色眼鏡)を通してしかこの世を見ることが出来ない。独自のべール、個々人の観念を通すことで、リアルな世界を感じることが出来ずに一定方向に規定された外界しか見ることが出来ないようにされている。
心理学的に言えば無意識、占星術的に言うとそれは、月の影響であるということが出来る。

リアルな世界、真実、本質は、本来はそれに触れることで常にエネルギーの交換が出来るもの。自然と元気の出るもの。しかしべールによってそこから切り離された私たちは実は、無自覚のまま、常に月にエネルギーを奪われている。
その繋がれない不快感、エネルギーの枯渇を無意識下で感じているからこそ、私たちは生きていることが苦しいのだ。
自身が本来持っているはずの真我、魂に触れられない葛藤を手放して、テレビやお上の言われるまま、外側から言われるままを受け入れる何も感じない生き方を選んだ人たちは、一見ラクになったように見えて、実は緩慢な自殺が始まっている。
苦しさを感じることは、本当は不幸ではない。
むしろそれを感じれるということは、まだ諦めていないということ。
苦悩は、真我を求める道につながる入り口であり、唯一の道標である。
苦悩を感じることは、実は私たちに与えられた大切なヒントだ。

体育祭が終わり、反省大会を一晩中していた、朝。
さぞかし自分は、浮腫んだようなひどい顔をしているのだろうと鏡の前にたつと、
意外なほど、シュッとした顔をしている。
その瞬間、肩の力がふっと抜けた。
そうか。
以前はその自分責めも、今、自分が自分を責めているということにも無自覚だったし、それが苦しいと感知することすらもなかった。
でも少なくとも今、自分はまた自分責めをしていると自覚できるようになると、
責めている自分と、それに反論している自分、そのせめぎ合いだけでなく、
ああ、またやってるって傍観している、第三の視点を持つことが出来るのだ。
責める側にも加担しない、身の保身のために姑息な行動をとったりしない、
はあ?お前らなにやってんの?って、そんな客観的で自立した誰かが泰然とそこにいてくれるだけで、責められている自分は少しだけ、救われる。
そんなことが、あるのかも知れない。

エキセントリックな母に、幼少からずっと苦しめられてきた。
自分は苦しいと悲鳴をあげてよかったんだ、これは甘んじて全て受け入れ、我慢し続けるべきことではなかったのだ、
毒親、なんて言葉が世間に認知されるようになって、自身の置かれた状況をしっかりと自覚できるようになったのは、この10年余りのことだろうか。
一緒に暮らしていた子供の時分ならまだしも、大人になってとっくに自立した後も一向に干渉が治らない母の態度に、
わかりやすく撥ねつける勇気はない、しかしもう張ちきれそうに限界が来ている、
そうやって、自分を騙し騙し耐えてきた距離感から、少しずつ今までやった事がないほど遠くまでそろりそろりと逃げ始めた頃。
とうとうそれを察知した母が、激昂して泣きながら私に電話をかけてきた。
お前がもし中学受験に落ちたなら、あの時自分は、お前を殺して自分も死ぬつもりだった、それほどまでの愛情を持って育てて来てやったのに、
そんな親に感謝できないんだとしたらお前は悲しい人間だ!
言われた瞬間は怒りと恐怖のあまり、頭が真っ白になってしまった。
それでも後日、もう少し冷静になってそのことを話しにいったら、
自分はそんなことは言ってない!
中学の時はなんとか受験に受かりそうだったから殺そうとは思ってない、
殺そうと思っていたのは成績の悪かった、大学受験の時だ!
と言われて唖然とした。
そのやりとりを横で聞いていた父は一言、
「実際に殺したわけじゃないんだから、いいじゃない」
と言った。

お前は心配な子だ。
だからあれもこれもやるな。
自分たちが決めた、自分たちが通ったのと極めて似通った、
小さく平凡で細い細いたった一本の安全そうな道だけが、
幾つになっても子供の私が取るべき唯一の選択肢。
そんなことない、そんなアドバイスはいらない、
失敗するかも知れないけど自分はやってみたい、
いくらそう抵抗しても、今度は、
こんなに心配してやってるのにお前はなんと傲慢なんだ、
エゴイストだ、心配してもらってるくせに、お金かけてもらってるくせに、
親に対して感謝の心も持てないのか、
そんな性格だからダメなんだ、その性格をどうにかしろ、と無限ループが始まる。
何時間も夜中までお説教が続く。
今まで、父や兄がそれに救いの手を差し伸べてくれたことは一回もなかった。

本当に欲しかったものは、
どんな吹き荒れる嵐も恐れず、
椅子に座って、手を握って、私の話を聞いてくれる誰かだ。
その憧れは、今もずっと、憧れのままだ。


コロナによる延期という憂き目にあいつつ開催された東京オリンピック
今ではその大会運営の裏側にどんなお金が流れていたのか精査が続き、すっかりケチがついてしまったが、そのオリンピックで初めての種目に選ばれた、スケートボードで金メダルを獲った青年の話が印象に残った。
青年は父親にスケボーを習い始め、15歳でプロになるため単身、渡米したという。
私など口をあんぐりしてしまうほど桁違いの勇気、信念、人生観、そしてそれが金メダルという偉業へつながるわけだが、
実は私の印象に強く残ったのはそのことよりも、彼の父親のエピソードの方だ。
彼の父は、息子の試合を「ドキドキしてしまって」見れないのだという。
オリンピックの決勝戦すら犬の散歩に行っていて、近所の人に、金メダルを獲ったと興奮気味に声をかけられて初めて決勝戦のことを思い出し、
慌てて家に帰ったと確かどこかの記事で読んだ。
アレをするんじゃないか、コレをするんじゃないか、失敗するんじゃないかと周囲に「心配」されるほど、パフォーマンスを下げる迷惑な行為はない。
大会の大小はあれど、かつてスケボーで同じ緊張感に立った父は、
どうしても息子を心配してしまう自分のことをよくわかっている。
そしてその心配が、息子の幸せのためにはクソミソの足枷にしかならない呪いだ、ということをよく知っている。
ただ信じて、預ける。
なんと立派な、愛情深い父だろうか。
なんと素敵な、親子の信頼関係なんだろう。

母親が、自分のために誕生日に用意された特別なケーキをテーブルに運べという。
いつも肝心なところで失敗する自分は、緊張しながら慎重にそれを指定されたテーブルに運ぶ。
しかし足元の段差につまずいて、ケーキを落として台無しにしてしまう。
すると
「ほらやっぱり!やると思った!」
母親のうんざりしたような檄が飛ぶ。
やると思ってたのなら、最初から自分がやってくれればいいものを。
そのような自身の幼少からのエピソードの数々を参考に、それを、
親の考えていること、親の恐怖心は、そのままミラーニューロンという脳の働きによって子供に移されてしまっている、と説いたのはこの本の著者の大嶋信頼先生だ。
誰かに心配をされると言うのは、乱暴にまとめれば、あなたには出来ない、あなたには無理だ、と言われているのと同義、ただの迷惑行為、呪いでしかない。
恐ろしいのは、そのような無意識のミラーニューロンによる遠隔操作は、やられている側の意志の力では逆らうことはできず、断ち切るためには自身の力で、その思考の中で起こっていることを癒し、乗り越えなければならないと言うこと。
そうでなければ、過干渉で心配性の母親から地球の裏側まで逃げたとしても、たとえその母親が死んだとしても、
その人の心は自由になることは出来ないのだと言う。
そうだろうと思う。
私の祖父母は両家とももう亡くなっているが、
私の両親はいまだに、お墓まいりに日々のお仏壇の手入れ
そうやって自分たちが苦労を厭わずそこに誠意を込めているからこそ
自分たちのみならず子や孫たちまでが、他の親族よりも手厚く
仏になった両親に守られているのだと頑なに信じている。
死んだ両親により良い子供だと思われたいという思いに、こんなに老いた今も自覚のないまま囚われている。
亡くなった人間が、子孫が自分の墓参りを真面目にやったかどうかを天国から監視していて、
高いお金を払って立派な坊主を呼んできたコイツには褒美をやろう、
真面目に墓石を掃除に来なかったコイツにはバチを当ててやろう、なんてそんな権限を持てるものか。
たかだか生きて死んだだけで、ただ一生懸命に今を生きている個々の人間の人生に、そんな横槍を入れる権限をどうして持つことがあるのだろうか。
私にはまるで理解できない。
そんなふざけた権限を死んだ人間に与えてくれる、そんなくだらない神などいるものか。
そんなことがまかり通るなら、この世は大混乱だ。
母は自分を、亡くなった祖父母の誰にも専属で守ってもらえるほどの縁を持てなかった私の、自身が守り神のつもりなのだと言った。
どうしてこれほどの愛情を、理解できないのか、感謝できないのか、と。
私はゾワーっとして、
まだ死んでもないのに自分で自分を神にしてしまった愚かな母を、
心の底から禍々しいと思う。

昨年末に、親から絶縁を言い渡された。
すると先日また連絡があって、もう一度話し合うべきだから日程を調整しろという。
日程調整もしないし、もう会うつもりはないと伝えると、父から激昂したメールが来た。
「このメールを持って、絶縁といったことは撤回する」
私は、私という一人の自立した人間に対して、最低限の敬意を払うべきだ、と伝えたのだが、父は
これまで通り、人間として当たり前の敬意は払っていく、と書いてよこした。
「お前は今日からクビだ、やっぱりクビと言ったことは撤回する、明日から出社しろ」、日常を、そんな風に人と接しながら仕事をしているのだろうか。
相手が自分の子供になると、敬意という言葉の意味が、彼らには途端にわからなくなってしまうようだ。
ずっと、母の私に対する暴言を、父が干渉せず傍観していたのは、
自分がそこに巻き込まれるのが面倒くさいから、自身の身の保身のためなのだと思っていた。
でもどうやら父も、母と全く同じ感性の人だったらしいということがわかって、
理不尽に激昂された恐怖と悔しさに、震えるほどの怒りがこみ上げる。
茫然自失で携帯を握りしめる私の只ならぬ様子に、学校から帰ってきた息子がどうしたのと声をかけた。
簡単に状況を説明すると、どうしてもそのメールを、自分にも読ませてくれとニヤニヤしてくる。
迷ったけれど、私はそのメールと、自分が震える指で書きかけた返信メールの両方を、恐る恐る息子に見せた。

「俺なら、『撤回することを撤回するっ!』ってそれだけ書いて送るよ。
まあでも、自分の書きたいように書いたら?」
読み終わった息子は、ぷーっと吹き出しながらそう言って、どこかに行ってしまった。
そうか、心にこだわりのない人はこういうとき、こういう人間に対してそのように反応するのか。
その息子の笑い声を聞いて、やっとホッと肩の力が抜けて、時間が動き出す。


誰かを心配する心こそが深い情愛だと信じてそれを今まで日課にしていた人に、それがどんなに酷い行いかなどと説き伏せ、やめさせることなど出来ない。
やっぱりこちらがそれを、気にしない、受け取らない、そこに感じてしまう怒りや悔しさや抵抗やこだわりを、歯を食いしばって捨てていくしかない。
毒親は子育ての仕方を知らなかっただけなんだから許してあげるべきだ、
なんて言う専門家がいるが、
実際、私も母にもそう言われたが、
これから自身と向き合おうとする人たちのためにも、
専門家ならばできればそういうことは言わないであげてほしい、と切実に思う。
許した、と思い込むことの方がずっと簡単なのだ。
許すべきだと自分を騙し説得し、内側が壊れる寸前まで現状維持する方が、
親を断罪し事実と向き合うことの何倍も楽なのだ。
何度も自分の心を封じ込め、関係性を破壊し変えることよりも、
なんとか許そう許そうともがき続けたからこそ、私たちはこんなところまで来てしまった。
私の両親が、前述の金メダリストの青年の立派な父親のように、子供への依存を断ち、自身の「心配」に打ち勝つ術をこの歳まで身につけてこなかったのは、
彼らが生まれつき、唾棄すべき、軽蔑すべきクズ人間だったからではない。
どこまで深く、騙されたか。どれほど深く、眠らされていたか。
この世界に、酔わされ生きてきたか。
どうして自分がこんな目にあうのか、なぜこの歳になって突然精一杯育てて来た我が子にここまで突き放されたのか。
永遠に答えがわからないというのは苦しいだろうなと思う。
それでもそれぞれに人は、自分なりの解釈をつけて、答えらしきものを見つけて納得していくのだろう。それはもう個人個人の学びであって、私が立ち入るべき領域をはるかに超えている。


なぜ人は心配という感情に打ち勝つ事が出来ないのか。
それはその背後に、本能的な恐怖があるからだ。
人はそのトラウマという二度と味わいたくない恐怖に、条件反射的に反応する。
自分は理路整然と正しいことをしていると思い込んでいる人が、そこには実は正当な理屈などなく本当はただ怖いから、何とか屁理屈を捏ね繰り回して体裁を整えただけだ、ということを自覚するのは至難の業だ。
恐怖を感じるその先には、さらに恐怖に打ち勝てずに自分を信じてくれなかった
周囲へ、自分へ、
猛烈な怒りがある。
それらをただ感じ取れるようになるまでに、1日も休まず365日走り続けたとしても、何年もかかった。
トラウマを克服するというのは、気の遠くなるような作業、しかしそれに向かおうとする人が増え、社会が少しずつ変化し、その負担はどんどん軽く、時短できるようにな時代になった、と言われている。
サポートしてくれる人も実際増えている。
そのことは大きな希望であるが、やはり大変なことであるのは変わりない。
現実に何が起こっていたのか、真実を見据え、そこに取り残して来た
怒りを、迷いを、恐怖を、慟哭を、感じきって初めてそれを、
笑い話に昇華できる。
もう二度と、どんなに醜悪で私の尊厳を踏みにじるような物言いにも、
怯えることも、いちいちピリリと反応してしまうこともない自分を、
確立していける。
自分を、もっと客観的に、自信を持って好きになって、
もう大丈夫だって信頼してあげる事が出来る。
自分に変えられるのはやっぱり、今を生きる自分だけだ。

マドモワゼル愛先生 「日本の今後の運命について」

抗わない、争わない。争えば、神との一体感から外れていく。
あとのことは自然や天におまかせをして、自分はただ目の前のことを一生懸命にやる。その真髄を、日本人という民族はどこか深いところで知っていたのではないか。
明治以降に作られた軍国主義日本は、どうもその日本の本来の姿からはかけ離れた、日本的なるものを奪われた姿に見える。
サタニックな力には、抗えば負ける。決して自分の負けを認めず、膝をつくくらいなら世界を滅ぼしても構わない、追い詰められればなんでもする、という考えのものに、間違いを正してやろう、負かしてやろうという角度で立ち向かえばこちらが滅ぼされる。
しかしその力ももう、時間切れになって来ている。なれば今この過渡期、我々はどうするか。一度飲み込ませればいい。もう耐えられぬところを耐える。すると神かかる。
日本的な縄文から、渡来人が入って来て融合していった弥生へと時代が移り変わった過渡期にも、おそらくそのようなことがあったのではないか。


子供たちはこの3年余り、学校生活をコロナに振り回されてきた。
コロナ騒動が始まってほんの数ヶ月で陰謀論者になってしまった私は、
無意味なマスクを、高齢者の命を守るため、などという名目で学校の中でまで強要されることに、当時は激しい葛藤を抱えていた。
一部のご高齢の校長先生や教頭先生の命を守るために、子供たちは全校生徒一丸となって、学校でマスクをつけて体育をしたり、黙食させられたり、プールに入らされたりするのか。
子供たちにそんなことを強いるより、コロナになるとご心配のある一部のご高齢の先生たちが、マスクしたり隔離したり、休職したりされればいいのでは?
せめて、この騒動に踊らされて、振り回されてしまったこと、誤った過剰な対応があったかもしれないことを、いつかは子供たちに潔く謝ってもらいたい、という気持ちがあった。
でも、教育委員会にも保護者にも怒られないようバランスを取りながら、同時に受験という実績を上げ、自らもワクチンを打ってブラック企業さながらの激務をこなす先生たちを、子供たちは微塵も責めようとは思っていない。
私だってそんなことをするつもりは毛頭ないのだが、
むしろ私のような頭のおかしい陰謀論者に万が一にも先生たちが攻撃されないよう、庇おうとしている節さえある。
彼らは、誰も悪者を作らないまま、この話を終えようとしている。

誰かを責めたくなった時、相手の中に見える欠点は、よくよく精査すると例外なく、自分もそれを持ち合わせているものだ。
近親憎悪、なんて言葉があるが、結局私たちの怒りというのは、
そこに巻き込まれそうな危うさを自身の中に感じるからこそ、我が身をそこから守ろうとして発動するのだ。
相手を説得してやめさせるのではなく、厳しい言葉を言って黙らせるのでもなく、
相手を論破して「参った」と言わせるのでもなく、
自分の中のそれを見つけ、ただ黙々と変える。
自分が変わる。
すると簡単に、動かし難かった周囲がくるりと変わっていく。
この数年、少しずつ少しずつそれを体験したからこそ、実感したからこそ、ようやく周囲の出来事に振り回されなくなってきた。
相手の中のそれに、自分の嫌な部分が呼応しているうちは、怒りの応酬から出られない。
しかし、少しずつ距離をとって、もう相手と同じ次元にいなくなると、
相手のその欠点に対して、やったことに対して、腹が立たなくなる。
そうですか、あなたはそうなんですね、しかしそれはなかなか大変な選択をされましたですなぁと
適正な距離から、相手に干渉することなく、寄り添えるようになる。
歩を合わせ、共に生きれるようになる。
現代を生きる私たちにもきっと、失ってしまったかもしれない日本人の真髄を、DNAの記憶の底から掘り起こすことは出来るはずだ。

普通に怒る。我慢できることしか我慢しない。
そして、相手を責めない、争わない。
今時の若い人たちというのは、生まれついてその人間性を、すでに体得しているように見える。
私にとってはこの世界とは、やってもやってもどこまでも学ぶことばかりだが、
これからやってくる世界はきっと、あの子供たちが体現していく、レベチの世界だ。
ついていけるのか?
今きっと私たち大人はみんな、それを訓練されている。

日頃、学校の先生と関わっていて、尊敬してしまう部分がある。
それは、この変わりゆく時代に、世論に、しっかりと対応していく柔軟性を持っていること。
ひと昔前は体育祭なんて言えば、軍隊のように隊列を組んで、過酷な騎馬戦にケガと隣り合わせの組体操
「今日まで、苦しい練習や怪我に耐えて来ました」なんて放送委員のコメントがあって、それに親たちが思わずウゥっと感動する、なんていう流れがお約束だった。
昨今の体育祭にはもう、その息苦しさはない。
私にはそれが、新しい時代の風がぐんぐんと入ってくる景色に見える。


さあ、あなたはこの新時代に、ついてこれるか。
幾つになっても人生はチャレンジだ。


写真は六義園。
珍しい形の紫陽花が、ちょうど見頃を迎えていた。
今月の上生菓子は、なでしこの花。



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