【映画感想】「アメリカン・スナイパー」は本当に番犬だったのか
※ネタバレありです。
テレビでよく名前を聞いたりする有名人が死去すると、「あの人も死んでしまうんだな」と若干不謹慎な感想を抱く時がある。数万人もの一般人に愛されるあの人も、病や事故で普通に死んでしまうものなのか、と。
「アメリカン・スナイパー」という映画を観た。「クリス・カイル」という実在した狙撃手の半生を描いた自伝的映画である。イラク戦争で百名以上もの敵兵を狙撃した事で知られる、伝説的スナイパーだ。
その戦績を見ればわかる通り、クリスの射撃の腕は天才的だった。それを目にした同僚の兵士は彼を「伝説」と称賛し、一方の敵側は「悪魔」と恐れ懸賞金まで掛けていた程である。彼が両軍から怪物的な存在として見られてたのは、言うまでもない。
この映画では、そのクリスがあくまで「人間」である事を重点的に描写していると感じた。彼が――その戦争の原因がどうあれ――純粋な正義感から軍に志願し、しかし戦場に心を蝕まれていく様子は、クリスが「伝説」でも「悪魔」でもない事を私たちに見せつけてくるのだ。
同僚は死に、弟は精神を病み、愛する妻は電話の向こうで泣き続ける。戦場から帰還しても、銃器の幻聴が鼓膜に忍び寄ってくる。如何に伝説的スナイパーと言えど、魂までもは悪魔の様に残酷になれず、しかし英雄の様に強固にもなれなかったのだ。
誰が番犬/狼なのか
クリスは幼少期、父親から「世の中には3つのタイプの人間がいる。羊か狼か、羊を守る番犬だ」と教わり、同時に「羊を守る番犬」になるよう育てられる。その教えが骨身に染みているのだろう。彼は戦場に立つ理由を「多くの仲間を守る為だ」と話していた。
果たして、その教えは正しく働いていたのだろうか。確かにクリスは仲間を守る為に銃を取った。しかし、彼の父親は「愛する者を守れ」とも教えている。幾度も妻に涙を流させるカイルは、本当に番犬の務めを果たせたと言えるのだろうか。
また、クリスの宿敵となる凄腕のスナイパー、ムスタファにも家族や生活があった事を指し示す描写が何度もあった。彼が属する勢力は子供を電動ドリルで殺すような連中であり、この映画に限れば邪悪と見られてもなんら不自然ではない。しかし、ムスタファもまた、大切な者の為に銃を取った「番犬」なのもまた事実である。
このムスタファの存在が、この映画の構造を単純な勧善懲悪に終わらせない役割を担っている。クリスは番犬だったのか、ムスタファは狼だったのか。戦争が生み出す不条理な模様を、この二人は描いているのかもしれない。
ラストシーンにて、クリスが同行者に射殺される事が字幕一つで語られる。感動的な最期を迎える訳でも、かといって無惨な死を遂げる訳でもない。それまで仕留めてきた敵兵達と同じく、伝説の狙撃手は銃弾一発で呆気なく死ぬのだ。
「イラク戦争は元々アメリカが始めたものだ」とか、そういった話は今ここですべきではないと思える。重要なのは、例え伝説と称賛される男であっても、家族を愛する一方で戦争に精神を蝕まれ、そして弾丸一発で死ぬただの人間に過ぎないという事なのだろう。
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