230505(雑記)

5月5日 いわゆるGW(以下グーと称す)も後半に入っているし更新も止まり気味だったので備忘録でいろいろ記載する。

●ここ最近聴いた作品で印象深かった作品たち
→ヴィエルヌ:交響曲イ短調
→スクリャービン:ピアノ協奏曲嬰ヘ短調

・ヴィエルヌの交響曲は、去年もたぶん鑑賞しているのだけど、今回ほどの強い印象は持っていなかった。なのに今回聴いてみたらドハマりしてしまった。全体の構成は暗→明の4楽章制。ヴィエルヌはフランクの弟子であることからつい3楽章制の交響曲を想像してしまったが4楽章制の約40分の音楽だった。第1楽章は、序奏らしい部分も手短にして、シリアスな主部に入るのだが、この雰囲気がカッコいい(小並感)し、第3楽章のスケルツォもなかなか聴かせる。なによりも4楽章のテーマがいかにも「暗→明」みたいな明るいテーマであり、耳にこびりついてしまった。
埋もれているのがとても勿体ない作品であるが、スコアが出版されていないことや、そのスコアの所蔵先がフランスの図書館であるということから今後も新しい演奏や録音は期待できないだろう。

・スクリャービンのピアノ協奏曲は、序奏からもうエモいの一言に尽きる。そして、ピアノソロが奏で始めるとオケもそこに絡んでくるのだが、なんでこんなに切なくて夢見るような音楽なのだろうかと一種の恐怖さえ感じてしまった。
ただ、ピアノパートには、あまりにもショパンのピアノ作品に酷似しているパッセージが出てくるのでそこはスクリャービンの個性とは言えない部分なのかもしれない(?)
ピアノ協奏曲を聴いたあとに、「法悦の詩」とか「プロメテウス」を聴いてみると、この人はなんでこんな少女漫画風路線から「(頭が)イっちまってるっピ!」状態に逝ってしまったのだろうかと、人間スクリャービンに対して興味が高まる。
とりわけ 「法悦の詩」は、性欲と宗教の喜びを合一させた状態を表現したようなので、そこは私が志す「性の音楽(種の音楽)」に通じるので尊敬に値する作品でもあると思う。

●筋トレ
→相変わらず見た目は激変するわけではないのだけれど、年末年始の大病で3キロ減ったところから、ようやく2キロ取り戻した。
昨年とあるご縁でモデルをさせもらった頃からは、幾分か貧相な体にはなってしまったので、なんとしても戻りたい。
パーソナルトレーナーさんは9月に定年退職され、後任のトレーナーさんにも面会した。私より10歳ほどは上だろうか、30代後半から40代前半のお兄さんトレーナーだったので、色々な要素において期待しているし、きちんと指導を受けたいと思った。

●丁寧な性活
→朝食は常に目玉焼きを食べる という試みを開始して早2か月が経過した。なんとか継続してはいるが、そろそろ今のフライパンでは限界を感じ始めたので、目玉焼き用のフライパンを買いたくなってきた。
→丁寧な性活のメインでもある「禁欲」についても後で振り返るために記しておく。これは、筋トレとも関連しているが、禁欲というものが、一種の、この世界に対するファイティングポーズなのだと思う。
なぜかというと、筋トレは己の身体と精神に負荷をかけて、より強くしていく試みで、それによってこの世界に対して抵抗する力を養えると私はとらえているからだ。
そして、禁欲も筋トレと同じく、自分の身体と精神に負荷をかける試みであると私は思う。だから、オナ禁も、この世界に対するファイティングポーズの一つなんだピ。

己の陰茎を通じて、世界と対話する。その対話から得られた霊感を、日々の営みや自己表現(ここでは音楽)に反映させていく。
それがきっと、私がこの世に性を受けた意味なのかもしれないと、最近になって思うようになってきた。けれど、この思いは必ずしも正しいとは限らない。
だから私は常に自問自答して、性の声に耳を傾けて物事を考えていきたいと思う。




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