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一人娘が嫁ぎ行く日、思いっきりの作り笑顔で送り出す。かつて父がそうしてくれたように。

子供を産んだのは、31年前。
可愛い女の子。大切に育ててきた。

離婚したのは子供が12歳のとき。養育費を受け取ることもできず、母子2人のつつましい生活が始まった。

自分のことは二の次で、子供の学費、子供の被服費、子供の交通費、子供の食費、子供のための支出が最優先。
やりくりが追い付かないこともあった。生活費がカツカツの時期がなかったわけではない。自分の服は数年間できるだけ着通して、自分の食事はそこそこにした。自分がそうしたかったから。

ただ娘には充分与えてきた。
だから娘は、うちが貧乏だという悲壮感はなかったと言う。
単に「ママはケチだ」と思っていたというから、ある意味わたしは成功した。演技派である。

再婚やビジネスチャレンジや趣味も含めて、変化の大きな人生を選ばず、娘を第一優先に、2人家族で小さな暮らしを維持した。
無理もしたかもしれない。自己犠牲も払ったにちがいない。友人関係や付き合いやパーティはすべて断って、冠婚葬祭への義理も最低限だった。はたから見れば、共依存的母子かもしれない。

奨学金で国立大学へ進んだ娘は、無事、社会人になり自立して、やがて好きな人ができた。

大切な娘、
大切な家族。
何よりも最優先にして、大事に大事に育てた娘。
将来、
娘と一緒に暮らす予定で一戸建てを購入しローンを組んだのは、わたしが40歳を過ぎた時。
将来、
どうせ必要になると墓地墓石を準備したのはわたしが50歳をすぎた時。

「おまえは一人っ子なんだから、長男はやめてね」と口癖のようになにげに繰り返してきた。

ある日のこと。

娘がこんなふうに切り出した。
娘「だからね、長男じゃない、末っ子の次男だから、良いよね?!」
私「ん?」
娘「結婚するね!」


この春、あいまいな報告を受けた。

私「え・・・・そうなの?」
(え、いきなり・・・結婚報告?)
わたしはあいまいな答えを返した。

娘「そうなの大丈夫!次男だから」
私「・・・おめで と う。。。。」

いや、そうじゃなくて・・。

コロナ規制もあり、身内だけでシンプルに結婚話は順調に進んだ。
しかし、

うちの一人娘は、

私が婿養子を願っていることを知りつつも、婿養子をもらわずに、
自分が氏名を変え、
他家に嫁ぎ、
お嫁さんになりたいと強く私に主張した。

一人娘であるわたしの子は、
わたしと家族でいることをやめたいという。

しかも、うちの一人娘は、結婚するにあたり
娘「ママとは同居しない、彼と二人で社宅で暮らしてお金貯める」
という。
わたしと暮らすのは嫌ということだ。

それは娘の人生だから。。。。
娘の自由な選択である。。。。

とてもおめでたい結婚というセレモニーの流れは止まらなかった。
自然に、
娘の望んだ通りの方向へ、すべては具体化していった。

わたしはそういう形で進んでいく現実を
大いに祝福すると言葉にした。

お相手のご親族は山口県にお住まい。
たくさんの新しい親族と席を同じくして、思い切りの笑顔で和やかに結婚式を執り行う。披露宴で円満にそつなくふるまい、にぎやかに楽しい時間を過ごす。若い二人の新居への引っ越しも支援する。
ついに娘の名字は変わり、娘の本籍は下関になる。

しかし
しかしながら実際のところ、わたしの内心は決して穏やかではなかった。
私は独りで嘆き悲しんでいる。毎夜、号泣している

しみじみと涙が止まらないとはこういうことなのだと知る機会となった。
ああ なんと不愉快で、理不尽な状況なのかと。家の中に一人取り残された気分でわたしは、毎朝、目覚めるたびに号泣し、昼ごはんの準備をしながら号泣し、毎夜、風呂の中で号泣した。

残酷だ、イライラする。
なぜ、うちの娘はこんな身勝手な選択を、
なんとも嬉しそうな満面の笑顔をむけながらしたのだろう。一人娘なのに、たった一人の家族なのに。腹立たしい!なんて理不尽!なんて恩知らずな子だ!と、わたしはこの結婚の話が順調に進み始めた時からずっとこころで嘆いている。
内心は悲しくて、嫌で嫌で、号泣しつつ、心療内科で睡眠導入剤を処方してもらう日々が続いた。こんなに悲しい寂しい気分におそわれたことはない。ああなんということ。大切に育ててきて、こんな仕打ちを、なぜ、されなけばならないのだろう。

そしてそして、わたしは
ゆっくりゆっくり思い至る。

わたしの一人娘が、
今、わたしにしているこの残酷な仕打ち。
これらを全部、
昔々、
わたし自身もしたことがある。

跡取り娘だったわたしが、
大切に大事に育ててくれた両親に、
そして、
何より可愛がってくれた祖父母に対して、
してきたことと、これは同じだ。

「お前は跡取り娘なのに、うちを出ていくの?薄情者!」

祖母に1度だけ、そう言われた記憶がある。

あの時とまったく同じではないか。

ああ、なんということだろう。

ああもう取り返しのつかない人生のループの中に、わたしはいる。

因果応報とも自業自得ともいうこのありさまを知って、亡くなった父は今、わたしに、何を言うだろう。

嫁ぐ日、うちの一人っ娘は、良縁結ばれて、安定した優しい彼の元へ嬉しそうに嫁ぎ行く。
母親であるわたしの内心だけが、悲しみでいっぱいだ。
でも、演技派のわたしは本心を隠し、喜ばしい、思いっきりの作り笑顔で、晴れやかに一人娘を送り出す。

私「ママはこれからもいろんなことを言うけれど、彩花は、自分の幸せだけを考えて、自分の人生を選んで良いんだからね」

娘「うん、わかった!」

娘は、とてもうれしそうな顔をしてそう答えた。

大切な可愛いわたしの一人娘は「幸せになります、行ってきまーす」と手を振り、桜色のレースのワンピースで晴れやかにこの家を出ていった。

親の本心など到底、思い至らぬ未熟さと、
悪意などこれっぽちもない純真さのまま、
最高の笑顔で、娘は晴れ晴れと手を振った。

そう。
かつてのわたしもそうしたように。

親の本当の気持ちなど、
これっぽっちも思いやることができない未熟さと、浅はかな純真さのまま、わたしは最高の笑顔で、継ぐべきあの家を出た。

悪意など微塵もない、思いっきりの浮かれ度合いで、
自分だけの小さな幸せに酔いしれながら、
嬉しそうに手を振ってあの家を出ていったのだ。

(ごめんね、お父さん)

今になって親の想いがようやく分かりました。
今更ながら言いたいのは、
亡き父母に、
亡き祖父母に
心からに言いたいことは

「未熟なわたしを許してくれてありがとう。大切に育ててくれて、感謝してます、ありがとうございました。」