子供に社会はどう見えるのか

大人になることが楽しみだったのはいつまでですか?

僕は中学一年生までだったと思う。
小さい頃の僕はなんだってできた。勉強も楽しくて、運動も楽しくて、日常は平和で、いつかは自慢できるような立派な大人になって家族と子供と楽しく生活しているはずだと、ぼんやり信じていた。

これはその幻想が壊れていくまでの話。

理想の未来に違和感が出てきたのは小学校の卒業式。卒業証書をもらうために呼名に返事をして、その後に将来の夢を言わなければならなかった。みんな思い思いの夢を語っていた。パイロット、スポーツ選手、芸能人。優しいお母さんになりたいって人もいた。
けれど、自分は何になりたいなんてわからなかった。そして、適当なことを言う気にもなれなかった。将来のことを考えるのは大切なことだって教わったから。みんな自分がなりたいものを考えて書いていた。
私は不思議に思った。どうしてそうなりたいと思うのだろう、と。
それでも、なんとなく、人生はどうにかなる気がしていた。

しかし、次第に進んでいく進路指導。先輩や先生、親達に見せられる現実に、どんどん心が疲弊していった。

大人たちが見せてくれた"大人"は、辛く苦しいものでしかなかったじゃないですか。

「高校生になったらもっと勉強が大変になる。」
そうか。じゃあ僕はついていけないかもしれない。
「高卒で生きていくなんて無理だ。」
そうか。進学しないと生きていけないんだ。
「宝くじなんてお金の無駄だからやめなさい。」
そうか。買っちゃいけない物なんだ。
「子供を育てることは大変だ。」
そうか。子供は産みたくないな。

あれもだめ、これもだめと、曖昧でぼんやりとしていた将来への想いはどんどん狭くなって、辛いことしか見えなくなっていくよね。

生きることに希望はなかった。こんなに辛いことばかり待ち受けていると教わったのに「夢をもて」なんて言われてもできなかった。どうして生きているのかわからなかったし、これ以上辛いことに耐えるだけの生活が続くなら消えてしまいたかった。

高校生になり進路指導がさらに厳しくなる。
毎日死にたいと思うようになって、視界がどんどん狭くなった。
大半の人はそんな現実を見ながらも自分のやりたいことを見つけて、または見つけたふりをしてもっともらしい夢を語りながら前に進んでいったのだと思う。苦しい現実しか見せられていないというのに。
みんなとても強かった。

(今だから考えれば分かる。大人たちが現実を見せてきた理由が。子供の頃に無茶な夢を見て失敗した人や理想と現実の違いに苦しんだ人もたくさんいるのだろう。だから初めから現実を教えることが子供たちのためになると、それが優しさだと考える人が多かったのだろう。)

前向きに支え合っていこう、とすら思えない自分はおかしいと思って調べて、初めてうつ病を知った。
そして、意地悪なインターネットから「うつ病は治らない」「一生病気に苦しみ続ける生活に希望は無い」という情報ばかりを拾った。

漠然とした不安だっただけの抑うつを、大人たちの言葉はどんどん肯定していった。僕は未来に希望を持てないまま、今この瞬間すら楽しめず一生生きていくのだと理解した。
生きていくことには苦しみしかない。そう学習した。

生きていくことの楽しみがわからなかった。

食事は何も楽しくなかった。添加物や油がよくないからと言われ続け、強いておいしく感じたファストフードなんかも食べるのに罪悪感しかなかった。
睡眠も楽しくなかった。寝ても覚めても疲れることしか言われないから。
興味あること?全部無駄だって世間に流れていたから何もわからなくなったよ。

生きていくのが辛い人と群れた。馴れ合った。自分の辛い気持ちを話すことだけが唯一の楽しい時間だった。それぞれの死にたい気持ちを吐露しては、共感して、安心した。ゲームをするのも遊びに誘うのもそのための口実でしかなかった。
「楽しいこと」は、楽しいことじゃなかった。

こうして希望も夢もない無趣味で面白みもない人間が完成した。
そんな僕がどうやって今をいきているのか。
次書くことがあればそんな話をしようと思う。

つまらないお話でしたが最後まで読んでいただきありがとうございましたり
良ければリアクションしてからお帰りください。
僕が喜びます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?