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物語を読む仕事をしています

子どもの頃から物語が好きで、絵本や漫画、小説を読み、映画やドラマを観て、そして色んな人の話を聴いて、そのエッセンスを吸収してきました。

ストーリーから、登場人物の人となりや背景、世界観を想像するのが好きなんです。

学生時代は臨床心理学を専攻。「誰もが自分の人生を肯定して、その人生を全うすることができれば」と、言葉による認知療法的アプローチについて模索していました。

より自分の感覚に近い表現でいうと「誰でも死ぬときに『いい人生だったなぁ』とか『幸せだったなぁ』と思えるようにできないか」と考えてたんです。

今考えると、学生の時にそんなこと考えてたなんて、ちょっとどうかしてますね笑

ちなみに私は「よくやった!」と思って死ねることを目標に、というか行動規範の中心に置いています。

話を戻しますね。学生の時の、そのおかしな発想のおかげで、自分なりに気づいたことが2つありました。

人が身体的に衰弱し、精神的にも弱っているとき、最も助けになるのは、前向きな思考でも、言葉による励ましでもなく「ただ誰かが側にいて、触れること」。

ひとつめは、認知療法のケーススタディ中の気づきです。被験者の方が亡くなってしまい、そのケースは途中で終わりました。

後になって考えると、その方が命をかけて、私に一生ものの大事なことを教えてくれたんだと思います。

ふたつ目は、そのケースの後に行った調査研究で。

人が危機的状況にあるとき、最も助けになるのは、アドバイスでも、叱咤激励でも、前向きな言葉かけでもなく「ただそこにいて、支持すること」。

この2つは、私にとっては大きな気づきでした。何しろそれまでの私にとっては「言葉」が一番大事だったから。

その後、臨床心理士になる道を捨て、ボディセラピストの道に進みました。

予防医療家の加藤雅俊氏に師事し、銀座・六本木にて同氏が主宰するリラクゼーションサロンにて、店長とリンパストレッチインストラクターを兼任。

同時にセラピスト養成スクールでリンパマッサージ講師を務め、丸10年たっぷりと身体と向き合い、昨年独立しました。

今、この仕事をしていて思うのは、身体を通しても、もちろん言葉を通しても「物語は常に語られている」ということ。

身体と言葉、どちらが語る物語も、その人を形づくる貴重なメッセージで、身体も言葉もどちらも大事だということ。

スピリチュアル的なことを言うつもりはないですが、それは心が発信するメッセージだと思っています。

私はプロの読者として、そのメッセージを受け取って、その物語に合った方法で施術したり、レッスンしたり、話を聴いたりする。

身体や言葉を通してメッセージに応えていくことで、私を頼ってきてくれた方の心が安らいで、自分を認めて、いつも気持ち良く過ごせることになるんじゃないか、と思うんです。

そういうわけで、サロンではできるだけ全身の施術を勧めています。そして、話を聴く時間をすごく大事にしています。

メッセージの受け取り逃しはしたくないし、多少時間がかかっても、その方が必要なことがわかるからです。

全体を把握しないと、その中で起きていることがどういうことなのか、理解できないですからね。

ちなみに話を聴くとき(身体と言葉の、です)は、私は「透明な箱」になっています。語り手の物語を受け取る箱。私個人がどう思うかは一切関係ない箱です。

セラピストになってしばらくして、そう実感した日を覚えています。「あー、私って透明な箱なんだなぁ」と。なんだか変な話ですが、その方がうまくいくんです。

noteを始めて、いくつか書いてみて「今度は書くときがきたんだな」と実感しています。

とはいえ、ここで書くことも、たぶんこれまでやってきた事と同じです。

誰かが私の文章を読んでくれて、その人の心が安らいで、自分を認めて、気持ち良く過ごす助けになれるといいなぁと思います。

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▼Instagram(@greenchurch.tokyo)


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junna | GREEN CHURCH
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