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私の救世主。

いま自分がやってること、誰も知ることないんだろうな。とふと思うときがある。称賛されるでもなく、労いの言葉をかけてもらう訳でもなく、でもやらなきゃいけない人がいて、それをやっているとき。
今日、そういう作業を黙々とひとりでやっている瞬間、ひゅっと孤独感に包まれてしまった。まだまだ一日は長いというのに。
そんな気持ちでいる自分に渇を入れたかったので、早すぎる休憩タイムを朝から自分で設けることにした。

そういう時にはやっぱりコーヒーに限る。
私の救世主は、私の作る時間でしか現れてくれない。
まだ「コーヒー飲も」と思えるときは、自分の精神状態を把握できているので、それなりに余裕があるということだと思う。
コーヒーが頭に浮かぶことさえしなくなった日には、かなりヤバめと思われるので注意したい。

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新しく何かをはじめたばかりの頃は、ドキドキとワクワクの作用で疲れや面倒くささは感じにくい。新鮮味があるうちは誰だって頑張れる。でも新鮮味が薄れていくとき、ちょっと頑張れなくなる。家事や仕事、生活に関わるあらゆる雑務が滞りなく行えるくらい体に染みついてしまうと、それによってもたらされる結果や報酬も経験済みなので喜びを感じにくくなる。慣れって怖い。でも慣れによって精神を安定させていると言ってもいい。

私は熱しやすく冷めやすい性格なので、食べ物にハマると飽きるまで食べ続けてしまう。昨日これ食べたし今日はこれにしとこ、というバランスは無視して食べ続ける。ので友人が「え、また?」とよく言ってくる。最近は恥ずかしさもあまりなく、堂々と「イマ コレ ブーム」と言い残して颯爽と立ち去る。でもやっぱり食べ続けると飽きる日がやってきて、ぱたりと食べなくなる。飽きると少し切ない気持ちになる。あんなに夢中になってたのにな。。。というめちゃくちゃ浅い感傷に浸る。

何かを何年も続けている人って、どんなモチベーションなのかなぁと純粋に疑問に思う。多くの人はそれにハマっても途中で飽きて離れることでも、ずーっと長くハマれている人っていて、すごく興味がある。
仕事とかはまぁ外部の力が加わっているから別として、趣味とかね、やってもやらなくても他人が無関心なことってあるじゃない?それにずっと夢中になれる人。ギャンブルはお金が絡む分ドキドキワクワクが必ず伴うので対象外だけど。

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今日はコーヒープレスで抽出。
分解して洗うの面倒だけど今はケトルでお湯注ぐ方が面倒、でも美味しいコーヒーは飲みたい。ってときに活躍してくれる。
4分の抽出時間はのんびり。。とはいかず結局何だかんだ作業してしまった。じっとしてればいいのにね4分くらい。

「ピピピピッ…」となったタイマーによって意識が引き戻される。ああコーヒー抽出中だったね。グッとプランジャーを押し下げたら抽出完了。いいなぁこのお手軽さ。ドリップコーヒーではこうはいかない。美味しいコーヒーという目的のために注ぎ方とかいろいろと神経を使う。だから余裕のないときはこの抽出のハードルの低さがいかに大切か。

コーヒーを注ぐ瞬間に気づく。さっきまでの自分とは全く違う心持ちでいること。ついさっきまで、この先の段取り、1時間先のこと、明日のこと、1週間先のことなんかが隙間なく頭の中でグルグルと渦巻いていたのに、香りを嗅いだ瞬間から脳みそにブレーキがかかる。
「いま」に優しく引き戻される。

いまを味わう豊かさとは、嗅覚、味覚、視覚、聴覚、触覚の刺激を自分がどれだけ感じられるかでずいぶんと違いがあるような気がする。
だから未来のことで頭がいっぱいになってしまうとき、私はあらゆる器官を刺激してくれるコーヒーが欲しくなるのかもしれない。その体験をもたらしてくれる存在という絶大な信頼をおいているのだ。

飲んで一息つくと、少しの冷静さと気力が戻ってきた。
孤独感に包まれる仕事。
きっとそれ、みんなやってるよ。
むしろそんなものの方が多い。
私の知らないところで、誰かが誰かを支えてる。
時間軸は違っても、きっとみんな「ここ」を通る。
物言わぬアンサングヒーローは表明されないからこそカッコいい。そういうことにしとこ。

でも個人的には、誰かのそういう働きに対して鈍感になりたくなくて、アンテナを張っているつもり。誰かの善意で成り立っているものは案外多くて、意識しないとなかなか気づけなかったりする。そういう場面を目撃したら、その人に「ありがとう」って伝えることもあるけど、大抵は第三者にそのことを話す。この人はスポットライトを浴びるべきだ!という人を発掘するのは結構すき。そういう声が回りまわって忘れたころに本人に届く。いつだったかその人がこんな嬉しいこと言われました。と私に報告してくれたことがあって、「お、一周回ってきた」と密かに嬉しく思った。

そんなことがあってもなくても、目の前のことに対してなげやりにならずに取り組める自分でありたい。

たまにコーヒーのちからを借りながら。


ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。