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夏の映画感想文。

ジブリ映画『君たちはどう生きるか』を観てきた。
記憶が定かなうちに、感想を書いておこうと思う。

以下ネタバレ注意です。



戦争での火災で母を亡くした主人公の眞人。
眞人は父と2人で疎開先へ移り住むことになる。
そこで母にそっくりな新しい母親(夏子)を父から紹介される。その女性はすでに身籠っており、なんと母親の妹だという。

お屋敷での生活が始まると、眞人はアオサギという変な鳥にちょっかいを出される。
この鳥がなぜかめちゃくちゃ煽ってくる。眞人が腹を立てるのも仕方ない。
このアオサギ、唯一この映画で公開されてたキャラクターだからいつ出てくるんだろうと気になってたけど、だいぶクセつよだった。

お屋敷での生活も、新しい学校生活でも眞人は馴染めず鬱々とする日々。
そんな中、夏子が体調を崩し後に行方不明になってしまう。
森へ入っていく夏子を目撃していた眞人はアオサギに誘われ異世界へと足を踏み入れる。

✳︎

ここまでが現実世界のはなし。
これ以降は異世界での出来事になるので記憶があいまい。いろんなことが起こり過ぎて、え、どゆこと?な場面も盛りだくさんだった。

以下、印象的だったことを書き留めていく。

鳥の多さ

アオサギに始まり、ペリカン、インコ。
いろんな鳥の描き方が面白い。
集団で襲ってきたりして異世界の中では味方というより敵(?)に近いかも。
でもアオサギは鳥の皮を被った人間の姿をしている。人と鳥両方の性質を持ち合わせているのかな。

キャラクター性

フワフワでいかにも害のなさそうなワラワラと呼ばれる生き物。
はたまた眞人を食べるため狡猾に命を狙うインコたち。
両者とも分かりやすいキャラクターで物語を物語として成立させてくれている。
しかし、これ以外のキャラはというといまいち掴みどころがない。それぞれの持った多面性を感じさせる描き方で、これがこの物語を難しくしている原因のひとつかもしれない。

例えば、ワラワラを集団で食べてしまうペリカンは一見悪のように見える。しかし、この世界では食べ物が少なくこうするしかないのだと瀕死状態のペリカンが訴えるシーンがある。
ワラワラを食べたとて、多くの仲間は火で焼き払われる運命にある。
ある意味、生き方を縛られた者たちだ。

夏子に関しても、心境があまり読み取れない。
行方不明になったのだって、本当は子どもを産みたくなかったのか?とも感じられる。
眞人との関係性で悩んでいたのかもしれない。

それに比べて父親に関しては、割と捉えやすいキャラとして描かれている。金と権力を使って何でもやる、みたいな。
家族思いではあるけど、終始物語で蚊帳の外感が否めなかった。
母と子という結びつきの方を強烈に感じさせる描き方だったから。

象徴するもの

積み木、墓の門、ワラワラ、アオサギ、インコ
それぞれ何かを象徴しているように思えるけど、それが何なのかはよく分からない。

アオサギは案内人でもあり、仲間のような存在でもある。最初は憎たらしい印象だったけど、異世界を冒険する上では心強い存在だった。

インコは、現実世界でいう他者や世間ということだろうか。
大勢で襲ってきたり、眞人を騙して食べようとしたり、油断すると飲み込まれそう。
ただインコたちにも生活があり、仲間とケーキを作ったりしてる姿は少しかわいい。権力への傾倒や集団行動を重んじている様子も伺える。
いちばん人間に近い存在のように思えた。

セリフ

異世界シーンではとくにいろいろと説明が欲しい場面が多い。けれどそのほとんどで親切な説明はなされない。だから個人によって解釈は分かれると思う。

個人的にジブリっぽいなーと感じるのが、先導するキャラから主人公が忠告を受けるシーン。
「人形には触るな」
「そのまま下がれ、後ろを見るな」
「石に触れるな」
とか禁止事項を淡々と伝えてくる感じ。

現実とは違う理(ことわり)を持った世界で旅してる…!感。ドキドキする。
謎ルールに対しての詳しい説明はもちろんないので、戸惑いも主人公と共にしながら進んでいくことになる。まさしく冒険。

大叔父と塔の正体

ある日空から降ってきた巨大な石。そこに塔を建設したのが大叔父だった。
大叔父は石の塔を建設後、失踪している。
異世界への入り口である塔に足を踏み入れた眞人は、その中で大叔父や夏子、少女時代の母(ヒミ)と出会う。
時空の折り重なり。生死の境目。
そんな世界に眞人は迷い込んでしまったのだと考えられる。

大叔父は眞人と出会ったときにはすでに異世界の住人となっており、世界の均衡を司る役割を担っていた。
ある意味、この世界に囚われているようにも見える。

ふたりの母

異世界のなかで夏子を探し出した眞人は、「夏子母さん」と初めて呼ぶ。
今までは「父の好きな人」なんて表現してたから、改めて夏子と向き合おうとする心境の変化が伺える。
そんな眞人と対峙したことで夏子にも変化があったのかな。
現実世界に戻った後、無事に弟が生まれ家族4人で過ごす様子が描かれている。

現実世界の話しでは、眞人の母(ヒミ)は少女時代に失踪していた時期があるらしい。
しかし1年後変わらぬ姿で戻っており、その時の記憶はない。
おそらくこの1年間は、異世界で眞人と過ごしていた時間なんじゃないかな。
ヒミは眞人の世界と向き合う姿勢に触れ、この世は捨てたもんじゃないと思ったんだと思う。
後に自分が戦争で死ぬことが分かっていても、元いた現実世界に戻ることを宣言する。

NOを出した訳

大叔父が担っている役目。世界の均衡を保ち、平和で平穏な世界を創ること。眞人をその後継者としたい旨を大叔父が伝えたとき、眞人はそれにNOを出す。

自分に宿る悪意を無視して綺麗な世界を創造することは出来ないという答えだった。
この瞬間、眞人のなかできっといろんなものが駆け巡ったんじゃないかと思う。

母を失ったこと。
自分本位で作ってしまった傷。
冷たく接した夏子への態度。
瀕死のペリカンが訴えてきたこと。
母が残してくれた本で涙したこと。

たぶん眞人のなかで、いろんな種類の後悔と葛藤があった。
たとえ今後平和が待っていようと、それらを無に帰すのはNOだろうと。
そのひとつひとつにまだ自分でケリをつけてない。
そしてこれからも、そんな自分と日々対峙することになるだろう。
だから、NOを出したのだと思う。

自らの決断と覚悟で進もうとする眞人を目にした夏子やヒミは、後に現実世界へと帰っていく。
異世界での出来事を通して眞人自身が変化し、その姿を目にした異世界の住人もまた変化していくという関係性が印象的だった。
時空が交わる場所で、それぞれが帰る扉を開け放つシーンがいちばん好きだった。眞人のいた世界は『132』の扉だった。

大叔父の願いは叶わなかったけれど、願いは願いとしてそれは誰にだってあるものだと思う。
ただみなが同じ思想を持っているとは限らないし、「どう生きるか」は自由だ。でも自由だからこその責任も生まれる。
自分で選んだ道だからこそ感じられる豊かさもあれば、切り離せない苦しさもある。それらを同時に享受する責任を負わなければならない。

眞人の成長を見ながら、大叔父が積み上げてきた積み木について、私はどうしても考えてしまう。
理想郷を夢見た大叔父は滑稽なのだろうか。何かを願い続けることは、独りよがりなのだろうか。積み木と向き合った時間に価値がないなんて、誰かが言ってしまえるのだろうか。

大叔父も、この世界に少しずつ歪が生まれていることには気づいていたのだと思う。
負のサイクルから抜け出せないペリカンや、それに食べられる運命のワラワラ。そして自分自身が、決して崩すことの出来ない積み木を積む使命を背負っていること。

あの世界が一度リセットされることは、必要だったのかもしれない。

✳︎

観終わった直後は「何も説明できない。。」だった。
でも、もの凄い作品を観たというのは間違いない。
よく分からないのに、でも頑張れば理解できそうな気がして、一分一秒スクリーンから目が離せなかった。
ジブリを観ているというより、 ジブリを体験してるなって感覚がすごく久しぶりで興奮した。

エンドロールで米津玄師さんの『地球儀』が流れる。

小さな自分の正しい願いから始まるもの
ひとつ寂しさを抱え僕は道を曲がる

ここの歌詞が私はいちばん好き。

映画を観た。ただそれだけ。
でも、夏の思い出ひとつ作れたなぁと思える。
本当に良かった。


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