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プレゼントは突然に。

プレゼントは、予期せぬところからやってくるからプレゼントなのかもしれない。

近頃、同僚や後輩から心温まるメッセージをもらう、という珍事が立て続けに起きている。
いやさすがに珍事は言い過ぎだけど、そんな機会はここ最近なかったから受け取る側のリアクションが上手くできてるか不安。

というのも最近は自分のことで精一杯で(いやいつも)周りに対して大したサポートもできず、自分の不甲斐なさをこれでもかと感じていたので、そんな言葉を受け取れる資格なんてない!と思ったり、いやでも頑張ってたからある!と思ったりで内心はふわふわとしている。

「あのとき、こんな言葉をかけてくれましたよね。」みたいなことを伝えてくれたりするんだけど、大抵が「へー私そんなこと言ったんだー」くらいなもんでほぼ忘れてる。
そんななかで「へー私良いこと言ってんじゃん」と謎の上から目線で思うこともあれば、「やべぇ今はそのモチベーションねえ」と焦ることもある。

過去の自分からムチ打たれるなんて、なんて滑稽なんだ。
いやね、でもありがたい。
自分の言葉を自分以上に大切にしてくれてんだなと思うと、責任を感じると同時にやっぱり嬉しいなと思う。
自分の蒔いた種は知らない所で育ってたりするんだなぁ。

私は末っ子だし、本来甘えられるより甘える側を得意としてるんだけど、それでも年々立場は変わってくるもんで、大人スキルを身につけようと必死な毎日。
そんななかで、自分で自分の言葉に励まされるというなんとも不思議な経験だった。
しかもそれが自分以外の誰かを通して伝えられたもんだから感慨深い。
逆輸入。と、思った。

✳︎

昔書いた気がするけど、プレゼントはささいな日常の中にあるちょっとしたサプライズがいちばんグッとくる。
誕生日とかクリスマスとか記念日とか、そういう特別な日じゃない日にもらうやつ。

これは小さなもので喜べる健気さアピールみたいのをしたいわけでなく、行事としてのプレッシャーから解き放たれた自分の方が、そのモノの価値を素直にありがたく受け入れられるからだ。

特別な日はちょっと構えてしまうし、あげる側でも相手の期待に沿えるかどうか気になるし、たいていお返しがあるし。

私は変に自意識過剰なので、プレゼントという儀式が後に待ち構えていると思うだけでソワソワしてしまう。その日を普通に過ごせない。
モノより、「モノをもらう私」を必要以上に意識してしまうのだ。
これでは選び抜かれたモノに対しても失礼だ。モノに罪はない。
だから、これは本来もっと喜ばれていいはずの品物なので、特別じゃない日の方でください。というシチュエーションはたまにある。
そのときの私、もっといいリアクションできるから。

この自意識過剰の視点では、あげる側にいるときでも考えてしまう。
やっぱり自然に湧き上がる驚きや喜びを与えたい、と思うとこれを渡すのは特別な日じゃねぇ。今だ。となって、何の変哲もない日にモノをプレゼントしてしまう。
相手がびっくりしないように高価なものは避けるけど。

「プレゼントは気持ち」っていうけど、本当にそう。
いま何かしらの気持ちがあることの形がプレゼントだ。
と、そう言い聞かせてはいるものの正解は分からん。

最近もらって嬉しかったものは、栞と書き心地の良いペン。
あとご当地ラーメンと、コーヒーとチョコレート。
そのラインナップから、雑貨屋さんに行ったのかなとか、どこかの道の駅に寄ったのかなとか、おしゃれなカフェに行ったんだなとかいろいろ想像できる。

逆に自分があげたものは、ユニークな日めくりカレンダーとおせんべいとお酒。あとコーヒー。
うん、ただのお土産だね。

これらを見つけたとき、「あ、あの人すきそう!」てなったから。
「え、いいの!?」みたいな自然なリアクションがこちらも嬉しい。
いいんですいいんです、気負いせずもらってくださいな。こちらも思いつきですから。
でも日ごろの気持ちはちゃんとこもってますから。

✳︎

人とのコミュニケーションも、特別な日に特別な言葉で綴らなくても、相手には長く残っていることがある。
逆にどれだけ言葉を尽くしても、分かり合えないこともある。

私はいつも、人は簡単に分かり合えない生き物だと思っている。
言葉にそれほどの期待をしていない。
でもその前提で生きているからこそ、伝わることそのものがサプライズのような、与えられたプレゼントのような、そう感じられる場面が時間差でやってくることがある。

伝わらないかもしれないけど言葉にした。っていう事実に少し誇りを持てたし、何よりそれを伝えてくれた仲間に対して、私もこうありたいと改めて思わせてくれた。
逆輸入、大事だ。

あのとき励まされた言葉や支えになったひと言は、私のなかで大きく育っています。
と、伝えるべき人たちに
遠くない未来で、私もちゃんと伝えに行こうと思う。


ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。