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ワガママな大人。

子どもの頃より、今の自分の方がずっとワガママになったという自覚がある。
ここ数年ふんわりと感じていたことだけど、明確にそんな自分に気づいたのがつい先日のことで、これは今月のトピックとして挙げられる事柄かもしれない。

普通は逆なんじゃないか。
子どもの頃はワガママも許される。というか逆に聞き分けが良すぎる子を見ると我慢してるんじゃない?とかちょっと心配になっちゃうし。
私は聞き分けが良い子というわけではなかったけれど、空気を読む子どもだったとは思う。それはもう抜群の嗅覚を研ぎ澄まして。

自分が異を唱えなければ物事がすんなり進む。とか、いま思い返せばそれはアウトだろというラインを越えても自分の我慢と引き換えに丸く収めるとか。
そういう術を身につけてからは、その思考はもう骨の髄まで染みわたっていて、なかなか自分を変えることができなかった。
というか、変える必要性を感じていなかった。
周りのみんなが笑顔で楽しい時間を過ごしてくれることが、自分にとってのいちばん楽しい時間だった。

でもここ数年でやっと思い至ったのは、それは決して健全な方法ではなかったということだった。
楽しい思い出はたくさんあるし、これまで出会ってきた人たちと過ごしてきた時間はかけがえのないものだけど、そのときの自分が好きだったかどうかには自信がない。
楽しさを成立させる要員として自分がいる、とさえ思っていたから、自分の感情がどうとかは大して問題ではなかった。

でもいま思えば、それは自分だけじゃなくて周りに対しても失礼なことをしていたなと思う。
それは自分の感情を素直に出しても受け入れてもらえないと決めつけていたようなものだから。
きっと当時、自分が感じた違和感を口に出していても、態度に出してしまっても、ちゃんと分かってくれたであろう人たちばかりだった。
だけどその人たちを信じることが出来なかったんだ。

必要以上に人との摩擦を避けつづけて、反面自分の胸の内は摩擦起こりまくってもうガサガサだった。無意味に精神すり減らしつづけていた。
私にとってはこれが人生の失敗だったと思ってる。

人との摩擦や衝突で失敗する人もいれば、しなくて失敗する人もいる。私みたいに。
正直今となっては『喧嘩How to』 みたいのを誰か教えて欲しいとさえ思ってる。
人と短時間で上手く付き合う方法より、「雨降って地固まる」を経験したい。怖いけど。
まぁ何がよくて何が失敗だったかなんて、結局はあとになってみないと分からないもんだ。

最近私がワガママになれたのは、周りのほとんどの人がちゃんと私の思いに耳を傾けてくれているという単純すぎる気づきだった。
いい人の私でなく、いろんな面を併せもった玉虫色の私として付き合ってくれているという実感も今になってようやく分かった。

だからお世辞はあまり言わなくなったし、笑えないときは無理して笑わない。ちょっと嫌だなと思ったことも必要以上に隠さない。

それで雰囲気悪くなることもあるんだけどねー。
話して分かり合えないことも多いけど、意見を突っぱねられることは少ない。むしろ分かり合えないと感じられる手ごたえも生きていくうえでは必要なんだろう。

つい先日、学生時代の友人と久しぶりにLINE通話をしてお互いの近況を語り合った。

当時の仲良しグループや部活のことを話してとても懐かしい気持ちになった。かけがえのない時間を過ごしたなと改めて思った。

それと同時に当時辛かったことや苦しかったことも鮮明に思い出した。今ではいい思い出、と思えるものもあれば、あの苦しさは経験する必要なかったなと冷静に思うものもある。

「私当時、部活のあのやり方が苦手だった。」
「苦手な人もけっこういた。」

と、話の流れで友人に打ち明けた。

私は当時、愚痴をこぼすようなことがあまりなかったから、上記の発言が意外だったようで友人は驚いていたけど
「でももう学生じゃないし、今は無理に付き合う必要ないからいいよね〜!」
と返してくれて心が軽くなった。

そう、いまは自分の気持ちを表現する術を身につけている。
これはnoteのおかげかもしれない。
自分の気持ちを隠すことのメリットよりデメリットの方が大きいと気づいてからは伸び伸びと表現できている。伝え方や伝わり方は気にするようになったけど。
でもこれは窮屈というより私にとっては面白みのある作業なので、表現できなかった頃から比べると贅沢な悩みだ。

結局は学生であるなしに関わらず、これが出来たらずっと楽でいられたんだ。

自分の感じたことを伝える気持ちよさを知ったとき、それはもう想像以上だった。
以前の私には決して味わうことのなかった感覚で、これはもっと早く経験すべきだったと昔の私に教えてあげたい。

つい先日、相手の発言で少し嫌だなぁと思うことがあり、ふとその感情が自分から漏れ出していることに気づいた。
おやおや、隠しきれてないぞ。
あからさまに「むぅ。。」となっているぞ。自分。
相手を見ると気まずそうにしていた。

「それは良くないんじゃないですかね」
「私はいまこう思っています」

とかきちんと伝えられたわけではない。
ただ「むぅ。。」という態度をかましてるだけ。(子どもやんけ)
これだけでも私にとってはけっこう成長なのだ。

ふと自由すぎる自分の態度に気づいて、途中ちょっと笑いそうになった。それはワガママを言えなかったあの頃より、不思議と大人になったような感覚さえあった。

後日、相手とはちゃんと和解できた。
向こうから気遣いのメールが送られてきた。
あのときの私の態度良くなかったですよねと話した。
相手も申し訳なかったと謝ってくれて、普段通りの関係性に戻ることが出来た。
大人でも間違うんだね。というか間違っていいんだねむしろ。を実感した8月。ちょい小雨振った…?的な出来事。

ワガママも行き過ぎると良くないけれど、今まで経験し損ねてきたそんな対人関係を、これからの人生で回収していく…!くらいの気持ちでもいいのかなぁ、、なんて。


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