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定点観測的に。

長く一緒に仕事をしている人がいる。
その人とはプライベートで会ったり連絡を取ったりする関係性とは違うけど、私にとっては特別な存在だ。

会うのは仕事でだけ。
でも私のことを長く知ってくれている安心感があるし、私もその人のことを長く知れているという自負がある。
先輩であり、同僚であり、仲間でもある。

同じ職場で働いていると、人のいいなぁと思う部分と合わないなと思う部分が少なからず出てくるものだけど、その人に関してはもうそういう次元を越えてしまったように思う。
気が付けば、ただ健康で元気でいてくれたらいいなという存在になっている。

近頃、社内で誰かが異動することがほのめかされていて、どうやら私やその人もその対象に入っているようだ。
あー異動かぁ、、と考えたときに一番最初に思ったのが、あの人ともう一緒に仕事できなくなるかもしれないな、、ということだった。

新しい場所へ行くことの心配とか、心細さとかそういう漠然とした大きな不安より、朝あの人と交わす「おはようございます」がなくなるのか、、というリアルな喪失感の方がずしんときた。

今思えば異動が少なくない職場で、こんなにも長く一緒に働けたことは奇跡だったのかもしれない。

異動や退職で遠く離れてもいまだに連絡を取り合っている人たちはいるし、物理的な距離だけで人の縁は切れないとは感じてる。
でもその人とはプライベートで会うことがない分、接点がなくなってしまうなぁとぼんやり考えてしまう。

仕事以外でも仲良くしている人とは、仕事モードとプライベートとのギャップを知っていたり、職場では話しづらい悩みなんかも共有している分、いろんな側面を見れているし見てもらってるなと感じている。
心置きなく自分をみせれて、全幅の信頼を寄せている人たち。

でもじゃあプライベートの時間を共有していない相手との関係性ははたからみてどうなのだろう。
本当のその人を知らない?
ビジネス上の付き合い?

いやでもやっぱりそんな事ないと思うんだよね。
私は職場でしかその人と会わないけど、誰よりも長くそばでその人のことを見てきた。

同じ場所で同じ時間に挨拶を交わして、コーヒーを飲む。
なんか今日ちょっと疲れてる?と感じたり、花粉症の季節だから鼻声だなと思ったり、アウターが新しくなってる、と発見をしたり。

たまに帰りが一緒になれば、ちょっと込み入った話もする。それがお互いにとってのガス抜きでもあり、まぁぼちぼちいきましょうという励まし合いでもあった。

その人の私生活や背景はぼんやりしか知らないけどさ、私はそうやってその人との時間を過ごしてきたことがすごく良い関係性だったなと思う。

この距離感だからこそ、定点観測的な立ち位置でその人のことを見続けられた。
踏み込みすぎないからこそ、フォーカスしすぎないからこそ、同じ場所で一緒に過ごした長い時間が意味を持ってくる。

働く場所は同じとはいえ、取り巻く環境は昔と比べてガラリと変わった。
人が替われば環境や雰囲気も全く違ったものになる。

でもその人といる瞬間だけはいつも、変わらない空気感に包まれる。
目まぐるしく変化するものの中に変わらないものを再確認して、私は心のどこかで安心する。
その人とはもはや「あれ」や「それ」で会話が成立できちゃう関係性である。

抗えない変化に揉まれながらもなんとかその場に立ち続けられたのは、まぁあの人も頑張っているしな!と言い聞かせてきたからでもある。

まだ離れることが決まったわけではないけど、いつまで定点観測を続けられるだろうかとふと寂しさがよぎった今日この頃。

あの人も私のことをそんな風に見ていたりするのだろうか。

いつかその時がやってきたら、こんな関係性でいられたことに目一杯の感謝を伝えるつもり。
出来ることなら、別の場所で次会う約束もしよう。



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