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新しい街。

気づけばもう1月が終わりそうになっていた。
早すぎる。

最近引越したばかりなのもあってフワフワと浮ついた状態が続いている。
荷造りや掃除もバタバタで終わらせたため前の家に対して感傷的になる暇もなかった。

ネガティブな気持ちで新生活を送りたくなかったしそれで良かったと思うけど、いろんな経験をさせてくれた旧居のことを最近少し思い出すことがある。

古い鉄筋コンクリートの、小さな部屋だった。
玄関は大人2人が入らないほど狭くて、買い出しの荷物を持っていようものならガサガサと周りの壁にぶつかりながら靴を脱ぐ始末。

歩いてたったの3歩で、リビングに着く。
小さなリビングには、テレビとソファ、キャビネットと本棚を置いていた。
ソファは安物でもうボロボロだったけど、絶妙に私の身体にフィットして結構すきだった。いや、ソファに身体がフィットしていったのかもしれない。
肘掛けは無駄に硬くて頭を乗せると痛いから、ほぼペタンコになりつつあるクッションを敷いて寝転ぶのがお決まりのパターンだった。
今そのソファを出されても、すぐさま自分のベストポジションを作り出せる自信がある。

本棚はもうギチギチで、新しく買った本をどこに置こうかと毎度悩んだ。とりあえず積み重ねとこ、と平積みしてしまうから後で必要なとき探す羽目になる。新しい家には大容量の素敵な本棚が欲しい。

キッチンには小ぶりなダイニングテーブルを置いていた。そこから外を眺めるのが一番すきな時間だった。
風で木の葉が揺れていて、そこへ鳥がやってくる。ピチチチ…と聞こえてくる平和な時間。
朝はここでコーヒーを飲んで過ごした。

食器の数はそれほど多くなかったけど、マグカップはたくさん集めていた。食器棚の一番手の届きやすい位置にそれらをスタンバイさせて、今日はどのカップで飲もうかと選ぶ時間がすきだった。
料理のお皿を選ぶ時間は2秒で決まるけど、カップはそれの倍以上時間をかけているだろう。
これだと思って手に取ったものを、やっぱり違うなと思って選びなおしたりする。
どれで飲んだって味は変わらないのに、そこはこだわっちゃうんだなー。

当時家具を取り揃えた頃は、デザインと値段ばかりを気にしていた。おかげで機能性や耐久性に欠けるものが多く集まってしまったように思う。
でも、お金の無駄遣いだったとか、そういう後悔はない。当時の自分の価値観が具現化されたものたちなので愛着はある。

具現化で思い出したけど、ハンター×ハンターのアニメが面白くて何巡もしたな、あのリビングで。
具現化系なら、カイトの念能力が好き。
自分が繰り出す技を自分で決められない制約つきの念能力てのが惹かれる。
気狂いピエロの「いい目が出ろよ〜ッ!」ていうお気楽なセリフがたまらん。

少し前にハンター×ハンターの新刊を読んだけど、小説読むのより時間かかった。まだちゃんと理解できてないと思う。何度も読み直しが必要そう。でも長く浸れる時間を提供してくれるのってありがたいよね。
冨樫先生の頭の中、どうなってるの。
ダメだ。ハンター×ハンターの話をしだすと止まらなくなるからこれ以上はやめとこう。

✳︎

昔から、大きい家に住みたいという願望はなかった。キッチンが狭いのはストレスだけど、広すぎる空間は自分にとって落ち着ける場所じゃないなってことは何となく感じていたから。そんな私にとって旧居はベストな大きさだったと思う。
新しい家も決して大きい訳じゃないけど、幾分かゆとりが出来た。
このゆとりをモノで埋め尽くしてしまわないことが、自分に課されたミッションだと思っている。

前の家はお風呂が小さかったり、虫とよく遭遇したり、細々とした設備が不便だったりと不満を挙げればきりがないけれど、
「あの家住んでてどうだった?」
って人に聞かれたとき
「わたしは好きな家だったよ」
って、真っ先に答えている自分がいた。
いろいろあったけど、あの場所でたくさんのいい時間を過ごしてきたんだなぁとしみじみ思った。

モノを断捨離するときもそうだけど、お別れを決めるときっていろんな思いが溢れてくる。
だから変化することって勇気がいるし、このままでいっか、って私はつい思ってしまいがち。
でも別れるときに、こうやって時間を振り返って、思い出して、噛み締めることでそのモノ自体と大切に向き合えたなと実感できる。

前の家も好きだったけど、新しい家はもっと居心地の良い空間になるように、好きなモノに囲まれて暮らせるように、自分なりに研究を重ねていきたい。

過去は美化してしまいやすい。
今あるモノと空間と人とのつながりを大切して、新しい街でも、ハッピーに暮らしていく所存です。

ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。