求められた存在
六代続いたラーメン屋の看板を下ろすことになった。主人は無念でならなかった。しかし不況に勝つことはできず、融資をしてもらうことも叶わず、泣く泣く店を畳んだのだった。閉店を嘆く客は多かったものの、誰にもどうすることもできなかった。閉店を知ると、いろんな客がラーメンを食べに訪れた。男も女も子どももお年寄りも、ほかにも本当にいろんな客が主人に別れの挨拶をかけた。
店を閉め、椅子やコップなど、もう使わないであろうものたちを、主人はひとりで淡淡と片付けていく。使い古されてきたコップ一つ一つにも客の笑い声が染み付いているようで、主人は何度も涙をこらえ、ダンボール箱に廃材を詰めていった。
最後に主人は、閉店後に店員に手伝ってもらって下ろしたラーメン屋の看板を手に取った。朱色の地に、金文字で「らーめん熱魂」と、りっぱな文字で書いてある。この文字を書いたのは初代の店主である。
六代目の主人は看板を抱え、軽トラックに積み込んだ。
これから、山を越えた先の、ゴミ処理場に持って行くのだ。この看板は手放し難いと主人は思ったが、持っているのもつらすぎた。夜も遅くに、主人は軽トラックの運転席に乗り込む。決心が鈍らないうちにこれらを遠くに捨ててしまおうと思ったのだ。
エンジンをかけ、軽トラックを発進させた。
暗い山道の途中で、草むらから何かが飛び出してきた。よくふとった、まんまるい獣が目に入るや、慌ててブレーキを踏んだ。横切った動物が何だったかは分からないが、轢かずにすんだ。急ハンドルも切ったので、ガードレールすれすれで車は止まった。
数秒の時差があり、ラーメン屋の主人は重たいものが壊れるような大きな音を聞く。急いで車から降り、ライトで下を照らしてみると、店の看板がはるか下に落ちているのを発見した。
木木の生い茂る急斜面で、取りに降りることは難しい。まして暗闇の中だ。主人は頭が真っ白になって、立ち尽くした。後続車がやってきてクラクションを鳴らした。けたたましい音で我に返る。そして、これが運命だと諦めて看板を置き去ることにした。
主人は再び軽トラックに乗り込み、他の廃材を積んで走り出した。振り返らずに前だけを見た。
やがて、エンジンの音が遠ざかって行き、山は、しんと静まった。
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