短編小説 キシ 三歩目『同じ景色のカーブミラー』
あらすじ
古都貴嗣は散歩をすることと写真を撮ることが趣味である。気まぐれに散歩をし、心が傾けば写真に収める。今日も心向くままにどこかを歩き、人と出会ったり出会わなかったり、写真を撮ったり撮らなかったりしながら、その土地にしかない物語に出会っていく。
本文
三歩目「同じ景色のカーブミラー」
「よし、やっぱりここで降りてみるか」
そう心の中で呟き、古都貴嗣(ふるいち たかあき)は流れるように電車を降りる。
古都は電車で数十分かけて高校に通っているのだが、今日はその途中の駅で降りてみた。
本当は高校の近くに住んでいる別の学校の友人とショッピングなどをする予定だったのだが、お昼ごろ向こうに急用が出来てしまい、ゴールデンウィーク子供の日、一人になってしまったのである。古都は一人でぶらぶらすることはいつものことなのでまったく気にしていないのだが、向こうは結構な罪悪感だったようで何回もの謝罪+メッセージ謝罪をもらっていた。別にいいのに。今度おいしいパンでもあげよう。
さて、ともあれどうしたものかなと考えた時、通学路の途中、一つ気になっていた駅があったのでそこに向かうことにしたわけだ。
なにが気になっていたかと言うと、この駅の前後だけやたら自然が多いのだ。
いつも目にしていたホームもその天井や窓の向こうは植物に覆われ囲われなんだか少し薄暗い。
さっき電車を降りたのも古都ただ一人だったようで電車が過ぎ去ったあとのホームは少しだけ流れ込む風とそれに揺れる葉の音だけが聞こえている。不思議な感じだ。
だが古都は自然が好きである。きっとここは自然豊かだろうからそれを是非写真に収めたいと思ったわけだ。
とりあえず改札を抜け、外に出る。
当然駅舎なので駅員さんはいるし、他にも高齢な方がちらほらと確認できるので無人の土地とかではないようだ。若者の姿は今のところ見てないが。
まあそんなことは特に気にもせず、「ああ、近くの町にも高齢化の波が・・・」と少し思ったくらいで外に出た。
駅舎自体もそんなに大きいものではなく、自動販売機が一機あるくらいで他にはなにもない。そして、出口も北側に一か所あるだけの造りだ。とりあえずその場でその珍しい光景を一枚、写真に収める。
外に出るとちょっとしたロータリーがあり、その目の前には東西に真っすぐの道路が一本、さらに向こうは森になっている。
とりあえず道まで出てみて左右を見る。どうやらここは少し山になっているらしく、左右どちらも道も行く先は件坂になっており先が見えない。
うーん。どちらにしようか。
古都が数舜迷っていると、西側から風が吹いた。
よし。こっちにしてみよう。
古都は風の吹いた方へ歩くことに決めた。
今日は五月の頭、子供の日だが、暑い。曇っているのに暑い。
古来よりきっと日本はジメジメした暑さだったとは思うのだが、ここ最近はまたひと盛りといった感じがする。さっきの自販機でなにか買っておいた方がよかったとも思ったが、まずくなったらすぐに戻ることに決め、適当に歩いた。
道端には五月らしい植物がたくさん生え、虫も生き生きとしている。ヒトリシズカという植物の姿も見え、この先はやはり森、というか自然が広がっているのだと実感した。
そして10分程歩いたところで分かれ道を見つけた。
古都が歩いている右手側、山に続く道路が現れたのだ。しかもその道路はなぜだか歩道が普通の道路よりも広い。頻繁に人の行き来があるのだろうかと思い、その山道を歩いてみることにした。
道路も整備されているしカーブミラーも綺麗だ。
人の痕跡はあるが、人が居ない。とりあえず進む。
この山道はかなりくねくねとしている。おそらくこの山はかなり急な斜面になっているのだろう。そして、カーブの度にカーブミラーがあり、どれも嫌に綺麗だ。
古都がカーブミラーを覗くと、当然自分が写っている。そして、足元には黄色とピンクの花が一輪ずつ咲いていた・・・。
古都が何の花か確認しようと自分の足元を見ると、無い。カーブミラーに写っていた花が無いのだ。
流石に驚いた古都が再びカーブミラーを見ると、
ある。
なんだこれは・・・。
なんだか奇妙だが、別に恐怖はない。ただただ不思議であった。
もしや、と古都は思った。
少し来た道を引き返し、一個前のカーブミラーの前に立つ。
やはり、そこには黄色とピンクの花が一輪ずつ咲いていた。
この山、なにかある・・・。
古都はさらに山道を駆け上り、さらに上のカーブミラーを、さらにその先のカーブミラーを見る。
ある。そこに写る鏡の中に、古都の足元に黄色とピンクの花が一輪ずつ。小さくて種類まではなにかわからないが確かにある。
流石にここまで来ると少しの恐れが出る。しかし、古都の心にはそれ以上の好奇心が湧き上がっていた。
古都がカーブミラーに向かってカメラを向ける。
一体どう映る・・・。
古都は嫌に冷静にカメラを構え、レンズに目を近づけ、覗く。
「・・・ない。」
そこに写る光景に古都は流石に驚きを隠せなかった。
「・・・えていない・・・。」
そう、
「カメラを構えて、いない・・・。」
奇妙に綺麗なカーブミラー。そこに写る古都貴嗣は、カメラを構えていなかった。
そして、足元には、黄色とピンクの花が一輪ずつ。
これはなにやらまずい気がする。
だが、一枚だけ、この激情を一枚残しておきたい・・・。
そして古都が微かに震える指でカメラのシャッターを切る瞬間―――
―――チリーーーン…―――
緊張で血流がけたたましく響いていた耳に、静寂と共にその音は鳴り響いた。
その音を聞いた瞬間、ハッとした古都はカメラから顔を音の方へ向ける。
さらに続いている山道の上の方、木々の間に建物が見えた。
はあ、はあ。
古都の呼吸は荒くなり、変な汗もかいていた。喉も乾いている。
救われた、と感じた。
古都は恐る恐るではあるがその建物の方へ足を進めた。
蕎麦屋があった。
その建物は古めな平屋。外に座るスペースもあり、「そば」の看板。そして、扉を覆う暖簾には「流」の文字。
入り口の端には風鈴がかけられている。先ほどの音はこれか。
古都は不思議の中に急に現れた建物が蕎麦屋だったので呆気に取られてしまった。
だが、同時に冷静も取り戻せた。
冷静になると自分の身体の状況を感じ取れる。お昼も食べていないし喉も乾いている。寄らせてもらおう。もしかしたらこの山についても聞けるかもしれない。
人が居れば、の話ではあるが。
だが暖簾は出ているし綺麗な汚れも見当たらない。綺麗な紺色だ。
一歩一歩踏みしめ、店の前へ。
ガラガラ・・・
暖簾に手をかけ、扉をあける。
「すみません・・・」
店を覗くと外装よろしくなかなか年季が入った内装であった。
四人掛けのテーブルが4つに畳席の場所もある。
そして、店の一番奥、こちらから見える厨房に人が居た。
「いらっしゃい!」
その人はこちらに気付くととても元気よく、微笑みを浮かべながらそう言った。
「どこでも好きなとこに座って!」
店員は厨房にいる初老の男性だけのようで、なにやら厨房で作業をしている。仕込みだろうか?
古都はせっかくならと畳の席に座ることにした。
「あ、お水欲しかったら悪いんだけどセルフでお願いできるかい?」
「あ、はい」
厨房からそう言われ、古都は厨房の前に置かれたウォーターサーバーに向かう。なんだか現代的である。
「この水、朝山から取って来た湧き水だからおいしいですよ~」
「そうなんですね、いただきまず。」
「品書きは席にあるので決まったら言ってくださいね」
「ありがとうございます。ちなみにおすすめはなんでしょうか?」
なんだか店員さんの気さくさもあり、古都は謎の緊張感から解放されていた。
「そりゃ、蕎麦食べて欲しいけど、兄ちゃん若そうだしがっつりしたかつ丼とかもいいんじゃないかなあ?」
「いいですね、じっくりきめさせてもらいます」
「はいよ~」
席に戻り水を一口。
「おいしい・・・。」
さっきまでの緊張感からの解放もあってかとても美味しく感じ、自然と微笑みも出てくる。
美味しい水が入った胃袋は食事を求めてきた。
古都はテーブルに置かれたメニューを手に取る。メニュー、というかお品書きと言った方が確かに納得するそれはラミネートがされておらず背表紙は紐でまとまっただけだ。これまた年季が入っている。
メニューは蕎麦とうどんがメインでざるそば、ざるうどん、天ぷら付きのもの、かつ丼セットに天丼セット。天ぷらはデフォルトでかき揚げやナス、舞茸がある中、季節の山菜も楽しめるようだ。
「すみませーん」
「はいはい、お決まりですか?」
「ちょっと悩んでて、山菜の天ぷらってなにがあります?」
「山菜ね、今日はタラの芽、ウド、こごみ、こしあぶらがありますよ。」
「ありがとうございます。じゃあ、ざる蕎麦と山菜の天ぷらをお願いします。」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね、」
古都は店主に軽く頭を下げ、待つことに。
待つ間、先ほど起きたことを冷静に振り返ってみることにする。
まず、この山は山道がくねくねしており、そのカーブごとにカーブミラーが置かれている。そして、そこに写る景色は、どこも同じ景色であり、その景色は現実のものとは異なっていた。思い返せばカーブミラーに写る古都は少し老けていたように感じる・・・。思い返してその鏡の中の景色を頭に浮かべていると、それでさえなんだか引き込まれてしまいそうな感覚に陥る。
「大丈夫ですか・・・?」
現実に引き戻してくれたのは店主だった。
「あ、はい・・・。」
「ざるそばと、山菜の天ぷらと、サービスの天ぷらです。」
店主はそういうと古都の前に注文したざる蕎麦、山菜の天ぷらを置き、さらにおまけでかき揚げと舞茸の天ぷらを置いた。
「え、いいんですか・・・?」
「ええ、もちろん、あなたのような若者は珍しいので」
「そうなんですね、じゃあ、ありがたくいただきます。」
さて、不思議なことはあれどこういう水が美味しいところの蕎麦は美味しいと相場が決まっている。今は目の前の蕎麦に舌鼓を打つとしよう。
蕎麦はまずなにもつけないで食べると良いらしい。嘘か本当かはわからないが、美味しい蕎麦はちゃんと香りから楽しみたいのでそうする。
冷水で締められているのか艶やかなそばを半口分ほど取り、そのまま口へ。
ずるるっ
勢いよく蕎麦を吸い込むと吸い込んだ空気に蕎麦の香りが乗って喉や鼻腔を抜ける。
蕎麦本来の香りがしっかりと感じられ、このままでもとても美味しい。
やはりこの食べ方は正解のようだ。
そして香りを感じた後はしっかりと蕎麦を味わう。
これまた噛むたびに蕎麦のおいしさが広がる。
もう飲み込んでしまった。
本当に美味しいものは喉が求めてくるので消えるのが早い。古都はもう一度そのまま食べてみることに。
やはり美味しい。なんだか元気が出てくる味である。
このまま食べ進めてもいいのだが、せっかく色々な薬味が並んでいるのでそれらも試してみよう。
まずは塩とワサビ。これで食べてみる。
これは、最高だ。
先ほどの蕎麦本来の味わいを少しの塩味が引き上げている。先ほどよりも甘味を強く感じる。そしてワサビ。とにかく香りがよすぎる。こんなワサビは初めて食べた。そして全然辛くない。すっと一瞬で抜ける爽快な辛さ。ワサビは自分ですると味が段違いだと聞いたことがあるが、それを痛感させられた。
このまま全部食べてしまいそうだ・・・。
一旦水でリセット。やはり美味しいなこの水。
次はいよいよ蕎麦つゆにつけていただく。
そばを一口分取り、蕎麦つゆに3分の1ほど付け、勢いよくすする。
蕎麦は蕎麦つゆにつけすぎない方がよいな。蕎麦の香りを強く感じ、それを支える蕎麦つゆ、出汁の旨味香りが追随する。蕎麦の主役は蕎麦である。
もう一度、次はワサビも添えて。
ウマい。
たぶんずっとにやけている。
店主と目が合い、店主も嬉しそうだ。恥ずかしい。
さあさあ次は天ぷらだ。
天ぷらはまず見た目から凄い。
薄衣の天ぷらだが衣が立っている。すでに脳内に「サクっ」という擬音が聞こえている。
じゃあ、まずはタラの芽から。以前に祖母が作ってくれた記憶があるので久しぶりの再会だ。
塩を少しつけて、一口で。
サクっ、じゅわ。
おいしい。ほろ苦さと甘みが同居していて大人な味わいだ。揚げたての薄衣はサクッと音で楽しませてくれ、タラの芽は果汁?というのかはわからないが瑞々しい。
そんなこんなでしばし楽し美味しい時間を過ごさせてもらった。
古都が一息つくと、
「これ、蕎麦湯、要りますか?」
と店主が蕎麦湯と湯呑を持ってきてくれた。
「ありがとうございます。」
まずは蕎麦湯のみで、これまた落ち着く。その次からは蕎麦つゆを蕎麦湯で割っていただく。
ほっ、っと一息つく。
最高の時間を過ごさせてもらったが、やはり頭の中にこの山の不思議なことが浮かんでくるので店主に聞いてみることにする。幸い今は他の客もいない。
「すみません。」
「はいはい、どうしました?」
「少し伺いたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう?」
「先ほどここに来る前にカーブミラーがあったんですけど・・・」
そこで店主が遮った。
「あー、はいはい、あなたも見たんですね、鏡の中を」
「あ、はい。そうです」
「何が写ってました?」
「ええと、黄色とピンクの花が一輪ずつと、少し歳を取った自分です。」
「そうですかそうですか、そりゃいいものを見ましたね」
「え?」いいもの、とは一体どういうことだろう?
「あの鏡にうつるのはその人の真実です。たまに悪いものもうつるようですが、多くの人はその人の内面とその人が一番幸福を感じる時がうつると言われております。」
「はあ、あれが僕の真実の姿・・・?」
「まあ、鏡に関しての細かいことは私もわかりかねるのですよ、」
「鏡に関して、というと他にも・・・?」
「ええ、この山についてでしたら」
「是非聞かせてください。」
店主の話によると、この山は他の土地よりも生命に溢れているそうだ。
なんでそうなのか、いつからなのかは店主にもわからないらしいが、それはかなり大昔かららしい。店主がここで蕎麦屋をやっているのも代々受け継いでいる店で、この山で採れたものをいただきながら還元しているとのことだ。
「命は連続しています。流れ、合流し、強くなる。いただく、とはそういうことで、私たちはこの山然り、自然からその流れをいただき、生きている。」
この山は特にその生命の力が強く、この山のものは食べると活力がもらえると昔から言い伝えられてきた。そして、その生命力故にその流れに沿って人智を越えた現象も起きてしまうそうだ。特にそれらの流れに逆らう時、つまりは山を登る時にそれらに出会うことがあるらしい。
古都の場合は、その流れの途中で自分のこれから行く流れの途中を垣間見た、ということになるようだ。
「蕎麦は清めの食べ物であり、古くから日本人の体に馴染んだ食べ物です。その歴史は約1万年。そんな太古からずっと日本人の“そば”にあったわけです。」店主と目が合う。
「長い年月をかけ、創意工夫により今の形になりました。そして現代では一年中いつでも食べられており、節々で願掛けの役割を担っています。今日は子供の日でございますが、今日も端午蕎麦というものもあります。」
端午蕎麦、または節句蕎麦は子供の健康や長寿を祈る意味合いで食べられるようだ。
蕎麦もワサビも山菜も昔から生え育てられているこの山は、単純生命力、自然の力の他にもそういう人間の願いだったりする不思議なパワーが溜まっているのかもしれませんね、と店主は笑う。
「私はこの山でそばを通して流れの手助けをしているわけです。まあ、蕎麦を打っているだけですがね、」これまた笑う店主。
「あ、そういえばこの店の名前って・・・」
「ええ、流れる、と書いて“る”です。」
「る、ですか。」
「ええ、父にはわかりやすい名前だろうと言われてましたね、」
「良い名前だと思いますよ、流れる。素敵です。」
「ありがとうございます。そうだ、是非この後山頂まで登ってみてください。そこにはこの山の起始の源があります。力を感じてみてください。」
「わかりました。」
じゃあ、と古都がお会計をしようとすると、「お代は結構ですよ」と返された。
「いや、おまけまでしてもらってそんな」
「いいんです。さっき言った通りですよ、今私は次の若い世代、あなたに一つ流れを作りました。受け継がれて、流れ続けるからこそ長く続くのです。是非、今日のことを覚えていてください。」
「そうですか・・・。ありがとうございます。」
古都がそう言った時、次の客が入って来た。
常連らしい夫婦の元に店主が向かい、古都もこの店を後にすることにした。
「不思議なことが起きても、流れのままに受け入れてみてくださいね」店主は最後にそう言った。
山頂は開けており、その中心には大きな一本の木が生えていた。樹齢数百年くらいはいってそうなほど大きいその木。確かにこれがこの山の生命の源流だと言われれば納得だ。
そしてその木に近づくと、その根元には様々なお供え物が置かれている。
きっとこの山から命をいただいた人がお返しに来たのだろう。
そしてまた誰かに繋がる。
山頂からの景色は最高なものだった。古都の住む町も、友人が住んでいる街も見える。そして、知らない誰かの町々、家々が広がる。
この景色もいつかは変わる。絶えず変わり続ける。
古都は今という歴史を残そうと、そしてそれを記そうとシャッターを切った。
下山途中に再び蕎麦屋「流」に寄った。
すると古都と入れ違いでやってきた夫婦と店主が楽しそうに談笑していた。
店主は古都に気付くと手招きして、水まんじゅうをご馳走してくれた。
ぐんぐんどんどん成長していつか誰かに届く小説を書きたいです・・・! そのために頑張ります!