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ありがとうの意味|フィリピン

1989年、フィリピンの地方にあるジャングルの中の小さな病院でした。
山賊や海賊も出る地域で、テロ活動も活発な時期でもあり、実際に日本人の商社マンが誘拐されて身代金を要求されている時期でもありました。
 
日本の公的機関による医療プロジェクトとして、地方の基幹病院に対して医療機器を提供する計画で、私自身は一人の技術者として、もう一人の日本人技術者の同僚とともに、現場で作業をしていた時のことです。
 
日本から届いた木枠梱包で運ばれてきた医療機器を病院に設置する必要があるため、高温多湿の気候の中で、作業着も汗びっしょりになりながら、現地技術者10名ほどとともに作業をしている真っ最中でした。
 
二人の若い看護師さんがやってきて、「ありがとうございます。(Thank you very much.)」と言われました。
 
どうしてお礼をしているのか聞いたところ、「これまでは患者さん達が来ても、必要な道具がないことで何もできなくて辛いことが何度もあったけど、日本からこれらの医療機器が届いたことで、これからは何かできそうだという希望が湧いてきました。」と言って病院の中に戻っていきました。
 
このお礼の一言で、私の頭の中ではこれまでの苦難が全て報われたような気持ちになりました。
 
何の才能もお金もない自分が、開発途上国の人達の役に立ちたいと思い、コツコツと英語の勉強もしてきましたが、大学に入るのも2浪して、在学中も経済的な事情で1年半も休学、自分はいったい何のために生きているのだろうかと悩んだり、自分の希望とは全く異なる会社に就職したり、仕事もうまく行かずに転職したり、それでもあきらめずに努力を続けてきていました。
 
さらに当時のフィリピン現地は、テロ活動もあって治安も悪く、しかも作業場所となったのは地方のジャングルの中の病院で、そこにたどり着くだけでも大変でした。
 
そういった過去の経緯や実際に作業している病院の敷地内での状況までが、一気に走馬灯のように思い出され、それがそのお礼の一言で全部報われた気持ちになることができ、自分のやってきたことに間違いはなかった、困難な状況を乗り越えてきて良かった、これからも開発途上国の人達のためになることをしていこうと、新たな決心をした大事な出来事になりました。
 
明るく楽しいフィリピンの人達のことは今でも忘れられません。

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