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「あ!英検の面接官!!」

英検準1級の二次試験の4コマ漫画、今なら即興で見てもやれそうな気がするが、あれはなかなか上達せず苦しんだ。

結局言いたいことをどれだけスッと英語で出せるかが鍵で、そう思うとあれから10年近く経ち、当たり前か、少しはそういう力もついたか、と思う。

あの時、あんまりにもうまく言えないので、20くらいの漫画の模範解答を全暗記した。でもまた新しい漫画を見ても、「・・・」、すっと言えない。うー、こんなん受からへんやん!!と思って苦しんだのを覚えている。

その最中に、海外勤務になっていた主人が急遽日本に戻れることに。子どもも小学生だったので、それ自体はよかったのだが、荷物が船便でどんどん帰って来て。そんなの片付けている暇なんて無し。勉強せな受からへんし!!一旦主人の部屋に放り込むしかなく。

確か悪い事?に、試験の1週間くらい前に帰国したが、土下座して、頼むから全ての片づけは二次面接が終わってからにさせてくれ、もうやっと辿り着いた準1級合格への最終決戦なんだ、と。(あまり難しいことは言わないので、いいよ、って感じで段ボールの隙間で寝てくれていた・・。)

今なら子どもたちも、私の英語checkに使える程度のEnglish usersにはなったが、その時はかろうじてまだ聞けるのは主人しかおらず、段ボールの部屋に押しかけ、確か前日に、4コマ漫画の英訳を聞いてもらった。

「え、そんなんで受かるん?」散々汚い部屋で暮らすように強いられ、どんだけできてるんか思ったら、それ??みたいな顔されたのを覚えている。

しかしそれは正直なところ本当だった。その日が試験の前日だったが、もうやることはやった上での仕方のないあの時の実力だった。

試験会場はいつも散々英検やTOEICを受けている大学。すごく緊張しながらあの日もそこへ行ったのを覚えている。

部屋の前の椅子で待機。久々に手のひらに「人」と書いて飲み込んだ。
もう死にそうなくらい緊張していた。

名前が呼ばれ部屋に入った。

眼鏡をかけた、インテリ風の、上品そうなおっちゃん?、どこかの会社のおえらさんみたいな感じ・・・。

面接官の印象はそんな感じだった。

説明を始められる、綺麗な英語、どこか海外駐在でもなさってたんやな・・・そんなこと思いながら、恐怖の4コマ漫画を渡される。

若い青年と年老いた老夫婦、多分親子、おじいさんが木から落ちた、リンゴ農園の絵、ラストのコマでは青年が車窓を見つめ物思いにふけっている・・・。こんな話だった。

「りんご農園を経営する年老いた両親の元を離れ、都会で働く青年。ある日その年老いた父親が木から落ちて負傷した知らせが。取り合えず急いで帰郷、父に代わり農園を手伝う。もしかしたら、仕事を辞めて田舎に帰って農園を手伝った方がいいのかな、そんなことを考えながら車窓を見つめる。」

1分準備だけでここまで丁寧には思えなかっただろうが、大体は用意し。

面接官が言う。「Go ahead.」(全部鮮明に覚えてる・・・。)

何でかは全く分からないのだが、自分でもびっくりするくらい言えた。
何で言えたのか本当に分からない。

面接官は、後でよく分かるようになるのだが、非常に思われたこととかがご表情に出るタイプかと。この漫画スピーチ終わった瞬間、「よしよし」と言わんばかりに頷かれる。「あ、いけた?!!」私もそんな気分だった。

質問に入った。
あの頃の私、いやつい最近までは、もう試験で下手に”I think~”なんて話し出したら、後が続かず、えらい目に会うことがしょちゅうあった。あの時も心に強く「要らんこと言わんぞ!」と思いながら質問に挑み。

準1級の2次試験のQuestionは確かあの時5問あった。(今もかな)
1,2番は軽めの問題。5番はかなり自分なりの意見を言えないといけない、そんなのだった。

1,2番は俗に言うYes No問題。軽めに切り抜ける。3番が、確か「このストーリーから何か日本の農業の問題点が見えますか?」のような問題だった。

うーん、そりゃ日本語で言えたら、農業従事者の高齢化とか、若い人手がないとか・・・。
しかし、それな、言い出して英語で言えんかったら落ちるがな・・・。

「Yes, Japan has some problems with agriculture・・.」

こんな風に軽く逃げながら、最低限だけ答えた。

すると、この面接官(先生)、なんと怪訝な顔をされたのである!
まるで、「うん?そんな答えだけで準1級の二次が通る思ってんの?!」そんな感じで・・・。

これはどうしようかな・・・。それではあかんのか、もう一個先まで突っ込まないとあかんわなー・・・。恐る恐る意を決して言った。

「Ah, exactly, Japan faces some difficult problems with agriculture. For example,・・・.」

するとこの面接官(先生)、「よし!」と言わんばかりに、大きく頷く・・。「そうや、それくらい踏み込まんでどうすんねん!」ほんとにそんな感じだった。

震えるような準1級の2次試験。エネルギーを全て使い果たし終わったが、うん、いけたんちゃうかな・・・、というのが終わった時の感想だった。

そして合格通知が来た。長かった、3年、9回の準1級受験。やればいつかは辿り着くんだな・・・。そう思えた合格だった。それが夏の暑い盛りの頃だった。

さぁ、1級と言ってもまだだいぶ差あるしな、で。どう勉強していこうかな・・・と。

そんなある日新聞広告を見ていると「T大学社会人学び直し講座」という、東大寺などの綺麗な写真の入った広告を発見。どうもガイドの勉強をするらしい。「英語による観光ガイド人材養成プログラム」というものだった。

面白そうやん、歴史は好きだし、英語での勉強で、カリキュラムを見ると、毎日午前に2時間。英語の勉強、ガイドになるための基礎知識、仏教の話、そしてガイディングの実地もある。約4か月間の受講でたったの三万円だった。文科省社会人教育の選考を勝ち抜かれた講座の為、支援が厚かった。

「これは行きたいわ・・・。でも30人しか取らないのか・・・そうやな~行けるかな、まずは説明会やな。」

初秋のある日、その大学の説明会に参加した。びーっくりした。後でその人数が分かるのだが、360人来ていた。会場立ち見が出るくらいの人。早めに来ていたので前の方に座れたが、これは何倍や・・・、って感じで。

横の人とすごい人ですね~と話しながら、開始時間を待った。

時間になり、ある先生がまず登壇された。この講座を作った責任者の当大学の教授である。

もうあの時の驚きは本当に本当に忘れられない。

「あー!!英検の面接官!!!」

周りの人が振り返るくらい大きい声で言ってしまった。横の人もびっくりして、「へ、今何て言いました??」って。

そう、あの準1級の面接官の、海外駐在のどっかの会社のおえらさんに見えたインテリ風おじさんは、T大学の英語コミュニケーション学部(この学部今は無い)のエース、K教授だった。

びっくりした、あの方、そうやったんや・・・。あのあからさまに、良かったら頷いてくれた感じ、あかん時に「受かる気あんのか」と言う感じ・・。ものすごく印象的な面接官だった。

そうか、私の次の道はこれやな、よしこの試験に受かって講座を受けよう。きっとこの先生について行けば何か良いことがある。それまで全くの独学で手探り状態だった。

普段働かない私の第六感がビンビンに動いている!!

説明会後先生に質問に行ったが、英検の事は言い出せなかった。厳しそうな先生で、出席日数の事を聞くと、休みが多そうな人は受講しないでほしいと。いや、出席します出席します、って感じだった。

まず書類選考通過、条件に準1級があった、良かった、準1級通ってて。
そして試験はTOEICを少し短縮したような筆記、英日、日英の訳、そしてspeakingの面接試験だった。

この講座は、本当に当時、この地域で一世を風靡し、この地域の英語関係の人は皆知っているし、修了生で英語関係で第一線で働いている方もめちゃくちゃ多い。最初は春秋に開催、途中から年に一回の計9期まで、つまり270名くらいの人が修了者となった。

私?
そんな簡単に手にしたいと思ったものが手に入る人生では無い。
特に英語は・・・。
結果的にはその後泣きながら、所用で受けられない時もあったので、4回受験、やっと6期生となれた・・・。これもまた珍道中であった。

しかし、結果的には、この6期、おそらく先生と一番仲の良い期になる。そしていっぱい、英語の大切な仲間ができた。今のベースは全てここから。その時に登録用にメールアドレスを作らないといけなく。私が一番大好きな単語とその年の「2010」、思えば平城遷都1300年のmemorial year、その二つを組み合わせて作った。(単語がちょっとややこしく、英語関係じゃない人なら大抵メールちゃんと着かないのだけが難)

もう10年経ったか、どう成長できただろうか・・。まだまだ先生に報告できることが少ない生徒なのである。しかし、この時からまた、私の人生が大きく変わったのは間違いないと思っている。

次はその講座について書いていきたい。
先生、くれぐれもコロナ、気をつけてくださいね。(仲間一同)




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