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嫌いなやり方&やりにくかったSくん

4年間の教師生活の中でも、思い出に残っていることはいくつかある。中2生の担任をした時のSくんは、いい子だけど、掴みどころのないやりにくい子だった。でもその時はクラスメートの中では男女から人気があり、行事でリーダーシップを発揮できるのは彼だけだった。

シングルマザーの家庭、お母さんは綺麗な人だった。彼が問題を起こした時、お母さんのお店に行ったが、お父さんではないおじさんが、僕も聞きます、と同席。誠実そうな人だったが、なるほど、彼の寂しさの原因はここだな、と思った。お母さんには頼れる人がいたが、彼は多感な時期。いつも何故かオグリキャップのぬいぐるみを机に置いて離さなかった。

何とかもうちょっと頑張ってほしいのに、問題ばかり起こした。万引きで捕まった時は泣いて怒った。あんたどうなっていきたいの?お母さん泣かせて何が楽しいの?って。

能力は高い子だし、性格もいい子だったが、うまく自分の力を良きに出せていなかった。手を焼いたが、一年は過ぎていき。

3年では、彼をどのクラスに入れるかは一定懸案事項に。誰を担任にするかも。私は無理だな、と思われている感じだった。仕方ない、一生懸命やったが、問題の連続だったから。

独自の方法で強固なクラス作りをする、ベテラン女性教諭が彼の3年の担任になった。私もよく可愛がってもらったが、生意気だが、いいクラスを作りたいのか、先生のやりやすいクラスを作りたいのか、どっちなのかな?といつも感じていた。

授業でしかそのクラスに行かないので、詳しくは分からないが、Sくんが、去年以上に落ち着いていない。何か座り心地が悪いのか、自分の居場所を探しながら騒いでいるように見えた。その騒ぎ方が去年のものと違ったので、なんだかおかしいな、と思っていた。

その様子はどの先生からも目に余りだした。ベテラン女性教諭、「なんとかします。」と。まぁこの先生なら何とかするだろうな、だった。

数日後のそのクラスでの授業。ふ~ん、えらくSくんが大人しく座っている。ふむふむ、何か先生の方策が効いたんやな、だった。「えらい今日はちゃんとしてるやん。」声をかけたら、じっと見るだけ。どんな特効薬使ったらこんななるんやろ、と思った。

単語テストをしてたかプリント学習だったのか、その時静かなクラスの机の間を循環しながら歩いてたのを今でも覚えている。

何気に後ろの掲示板を見た。この先生はこういうところもきちっと整頓されていて、いつもすごいなーと思って見ていた。私は何か貼ってもすぐにクラスの子破ったりして、「もうー!」っていつも怒ったりしていた。

だが、え、っと思った。一枚の掲示物を見つけた。授業中なのに凝視した。「え、こんなことしたんや・・・。」

それは、大きめの模造紙に40枚、クラス全員分のメモ書きのような紙が貼られている。その横に、それを要約した担任の学級通信。

読むと、「今クラスで困っている事はないですか?」と。そう、公開処刑である。メモ書きは無記名。そう、Sくんは公開で、クラスの仲間中から、匿名の彼に対する批判の矢の束を受けていたのだ。

そのメモには「もういい加減にしてほしい、そんなに騒ぐならクラスから出て行ってほしい。」「Sくん本当に迷惑、正直嫌い。」もう他にも本当に匿名の力を借りて、Sくんへの罵詈雑言がいっぱい並べられている。

もちろん、中3生なのに、どの授業でも異様に騒がしかったので、皆の訴えは正しい。でも、そんなやり方で、そう、一番辛いのは先生なんかに厳しく言われるより、仲間から嫌われること。その仲間にわざとのように悪口を書かせ・・。悪い先生では無かったが、そう仕向けての取り組みであったことは明らか。もちろん「そんなつもりではないです」ともまた言えるやり方。

授業が終わってSくんを廊下に出した。「あんた、あれ傷ついたんちがうの?でもな、Sくんも悪かったんやで、ただな、あれが皆のSくんへの評価の全てだなんて思ったらあかんで。あんたにはいいところたくさんあるからな。もう一回クラスの子の信頼取り戻せるように頑張り。卑屈にならんでいいで。そこだけ直せばいいだけやから、あまり気にしなや。」と。

うんうん、と聞いていたが、元気は無い感じだった。その女性教諭は職員室横の席だったので、思わず言葉が出てしまった。「先生、さすがにあれは、Sは辛いんじゃないですか?」しかしその先生はこう言った。「クラスの不満の声を集約しただけやけど。」と。そりゃそうだけど・・・。いいクラス作るために、ってそれがいいクラスなんか知らないけど、もう一体何が正しいのか分からなくなる。私のそんな混乱はまぁいいが、Sくんがあまり意気消沈しないようにと願った。

「借りてきた猫」、もうその言葉がピッタリ当てはまるような、それからのSくんは、クラスでそんな感じだった。でもそれで良かったのかな、そう思って見ていた。

中3生は、1学期は修学旅行があるしクラブは引退前の試合がある。2学期もまず体育祭があるので、その辺りまでは学年が同じ歩調で前向きに進む。怖いのは秋以降である。前回も書いた、学力の差と受験の温度差が、時には大きな問題を引き起こす時がある。

秋過ぎた頃、学年の廊下でボヤ騒ぎがあった。休日に少し火が出たらしく警報機が鳴って宿直の方が駆け付けた時は火は消えて人もいなかったらしい。

その時校舎にはどうも3年生ぽい男子が数人いたらしいが、宿直の方では顔も分からず。誰だったのかな、と次の日の放課後、学年の先生で色々と見て回る。

すると、渡り廊下の掲示板が随分前よりもシートが破られているような、こんなひどかったけ?となり、よく見ると落書きも前よりだいぶ増えている。たばこを押し付けたような跡も。こんなの前は無かったよね、と一同。

「あっ」前述のベテラン女性教諭、「かなんわ、私の名前やん」と。見ると「~~死ね」。じーっと見て、あっ、だった。他の落書きもたくさんあった。「Sくんの筆跡ちゃうかな・・。」いくつもあったので、おそらく。一年間舐めるように見た字である。メンバーの中にSくんもいたであろう、まあそれは目星はつけられていた。

「もう誰やろ、気分悪いわ。」と女性先生。そりゃそうである。私なら泣いてしまう。でも、私はその筆跡がSくんのものかも?ということは、実はよう言い出せなかった。誰かも言えばそれは同調せざるを得なかったかもだが、言ったところで確証は無いし、と言うより、ごめんなさい、確証が無いのも手伝い、言いだせなかった。(人生初告白、主任ごめんなさい!)だから結局ボヤ騒ぎ犯人は迷宮入りとなった。

その先生はそんなの書かれた程度で死ぬ先生ではない。私はSくんが大人しい猫ちゃんになったようで、やはり先生を悪く思っていることがとても気になった。

秋の三者懇談でたまたまSくんのお母さんを見かけたので、声を掛けに言った。万引きの時に家庭訪問して以来だったので、お母さんと会うのは久々だった。「お母さん、Sくん、お家で大丈夫ですか?」と。「あ、先生、去年はお世話になりました。」それくらいの返しだったので、もう担任じゃないしな、と頭を下げて行こうとした。

すると、お母さんが、「先生、あの子、先生に2年の最後の時にもらった手紙、何回も読み返してますよ、反抗的だったかもですが、あの子は先生が好きだったんですよ。」と。

驚きだった。じっくり話そうと思ってもすぐ逃げていくし、本当に糠に釘というか、いつもさらーっとかわされてしまいがち。2年のクラスは上手く行かないことばかりで、生徒一人一人と交換日記もしたが、毎日のつもりが、3日おき、一週間おき、とスパンが延びてしまい、最後はやりきったかどうかも覚えていない。悔いがたくさんあったので、進級の際に全員に手紙を書いた。贔屓は一番嫌いだったので、そんなことはしていないが、やはり気になる生徒には少し長めの手紙にはなった。Sくんにも確かにしっかりと書いた。力があるんだから、それを上手く出せるように頑張りなさい、のように書いたと思う。

そうなのか・・・。そういう風に思ってくれていたのか。

次会った時にわざと釘を刺した。「Sくん、~~先生のこと、もし悪く思ってるなら、あまり悪く思いなや、で、言いたいことがあるなら、堂々と先生に向かって言いや」と。

「はっ?」と言っていたが、もうこれ以上悪い行いはしないで欲しかった。「お母さんと話したで。お母さん困らせることはしなや、大丈夫やな?」と。あの子とじっくり言葉を交わしたのは記憶ではそれが最後の気がする。

受験が佳境に入ると、願書を書いたり、内申書を書いたり、本当に間違えられない事務作業が一気に増える。面談も何回もする。毎日遅くまで学校に残っていた。

お母さん似で、彼もすっとした顔立ちだった。その後幸せになっているかな。モテすぎて落ち着いてへんような気もしなくもない。少しはその後の人生で自信持って生きるようになってるかな。

そんなつもりじゃなかったが、Sくんのことばかりでこんなに書けてしまった。Sくん、あんたのせいで当初の題名まで変えてしまったやんか!

どうしているか分からないけど、どうぞ幸せに暮らしていてくださいね。 (遂に「英語」の文字が一つも無い)

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