若白髪菊

湧き上がる声なき声を発作的に書くブログ。

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最近の記事

歳を取った顔

今年で海外に住むようになって10年だ。まだ10年かという気もするし、もう10年かという気もする。アメリカかぶれした日本人ほどアメリカ人をわかっていない、というのは持論だが、一丁前にアメリカかぶれが板についてきた。アメリカに来た頃は20代半ば、繊細で傷つきやすくこまやかな神経をしていた。それは10年前の写真を見ればその若く未熟な感性は顔つきにでている。最近の写真を見てみると、もちろん加齢に伴いしわもたるみもしみもある。しかし10年前にはなかった貫禄というか、動じない岩のような存

    • ベストな学校

      子供を迎えるにあたって、私たち夫婦は揉めている。何でもめているかと言うと、引っ越し先である。今の家が手狭になってきたので、不動産バブルの様相強いこのタイミングで一旦売却し、新しくもう少し広い家に引っ越したいというのが大きな理由だ。大きな家ならばここはアメリカ、どこにでもある。しかし、理想の大きな家を見つけるのは容易ではない。また、不動産の値上りや家賃収入の見込みを考えると、大きければ良し!と飛びつくわけにはいかない。 私たちにはこの問題を複雑にしている要因がもう一つある。そ

      • この外見だったからこそ

        私は黒人のパートナーとかれこれ10年以上結婚生活を続けている。ふとした時に思うのだ。もし私が私でなければ、私は黒人のパートナーを選んだだろうか、と。私は彼の性格に惹かれ、結婚した。そのことに一点の嘘はない。しかし、黒人のパートナーを選ぶという心理的背景がなければその結果には至らなかったであろう。生まれてからずっと田舎町で育ったが、大方の人は同じ日本人と交際し、結婚している。黒人が周りに全くいない環境に育ったにも関わらず、なぜ黒人である彼を生涯の伴侶として選んだのだろうか。

        • 大和魂を持つ黒人

          世界は日本人に対して並々ならぬ尊敬を持っているだとか、日本人の評判はすこぶる良いなどという表現をそこかしこで目に、耳にする。日本人の謙虚さ、勤勉さ、真面目さ、親切さ、正直さを世界の人々は熱狂し、礼賛していると言わんばかりの印象を与える表現に触れることが多い。複数の海外の都市で暮らした経験から、それは完全な誤りではないと思う。でも、完全な正解でもないと思う。その美点は確かに認められているように思うが、この美点に続くのが日本人はチョロ松であるということも追記しておいても良いのでは

        歳を取った顔

          母たちのファンファーレ

          土曜の朝4時、携帯が鳴きわめく。私を怒鳴りつけてくる。ブルーライトが私を睨みつけてきやがる。負けじと片目をつむり憎たらしく光る画面を睨み返す。 昨日は私の大切な友人と家族ぐるみでディナーをし、本当に楽しい時間を過ごした。柄にもなく幸せな気持ちでいっぱいの夜。充足感に満ちたりて眠りについた夜。 母か。寝ぼけたままで電話を取る。 あんた何しとったん。 寝てた。こっち朝4時なんやけど。 ああ、ごめんごめん。それよりさ、昨日みゆちゃんのお母さんに会うたんよ。 こちらが朝4

          母たちのファンファーレ

          黒人のパートナーになると

          質素倹約が身についている。足るを知り、身の丈にあった生活をする。私にとっては息をするように自然なことであり、努めてそうあろうとするのではない。私の最も心地良い状態を体現している状態を表した言葉が質素倹約なのである。こんな様子をみた友人からは私はかなり貧しいと思われているようである。とくにひと世代上のお姉さまたち、バブルを経験し、そのバブル臭が腋臭の如く染みついた方たちにとっては、大層滑稽なことなようである。身の丈以上のものを得ること、そしてそれを周囲に孔雀の如くきらびやかに、

          黒人のパートナーになると

          剥離

          心が剥がれてしまった感覚ってわかります?先生?例えばね、すごくきれいな花を見ているのとまったく同じ瞬間にコンクリートがぐるぐる混ぜられている様子が浮かんできたりとかね。50M走走らなきゃいけないんだけど、走る前から走り終わるまで掛け軸が頭から離れなかったりとかさ。走り終わったら、掛け軸からアヒルがグガーグガー鳴きだしたりとかさ。私みんなそうだと思ってたんですよ。受験勉強してた時とかは、本当にやばくて。微分積分やりながらたい焼きがひたすら焼かれていく様子が頭にどくどく流れてきた

          酸っぱい葡萄 酸っぱい美人

          ちょっと顔がかわいいからってあの子はツンとしてる。美人は性格悪いわ。 母は美人を見るたびに、こういった。幼い私に向かって、美人は性格が悪いから近づくなと。母の言葉がこの世界のすべてであった私は教えに忠実に美人には近づかなかった。ところが、美人が近づいてくる。私からは決して美人に近づくことはない。母は私の友達を見てはかわいいからって気取っている、と批判した。 私の友達は美人ばかりだ。控え目に言っても美人ばかりだ。類は友を呼ぶって言うからどうせあなたも美人なんでしょう?と思っ

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          日陰色の天使

          お母さん、私、天使を見たことがあるんだよ。 天使さまは踊りが大好きで。バスケットボールみたいなおしりをゆらゆら。カンガルーの楽しいステップ。手をたたいて。お腹のなかから踊りが湧き出てくるんだよ。 天使さまはいつもお歌を歌っているの。とっても温かい声がお歌に乗っかっているんだよ。お母さんのおなかにいた頃に聞いた優しい声でお歌を歌うんだ。 天使さまのおててにはいっぱい絵が描いてあるんだよ。大切なことを忘れないために体に描いておくんだって。 天使さまはね、いつもお勉強してい

          日陰色の天使

          がぼがぼとごとごと

          むかしむかしあるところにがぼがぼがいました。 がぼがぼは踊りが大好き。嬉しいことがあるとすぐに踊ってしまいます。おしりをふりふり。くるくるまわっておててをたたく。 がぼがぼは歌うことも大好き。一人で歌うのも大好きだけれど、みんなで歌うことはもっと大好きです。なぜならたくさんの鈴がコロコロと転がるからです。 がぼがぼはお父さんとお母さんがいません。みんながお父さんでお母さんです。こどもたちはみんなお父さんとお母さんの子供です。 がぼがぼのおとうさんやおにいさんはらいおん

          がぼがぼとごとごと

          ティーンとの関わり方がわからない

          できもしない善行の安請け合いをしてしまったのではないか。朝方の目覚めきれない温かいベッドの中で質問される。私は自分の器以上のことに足を踏み入れているのではないだろうか。最近の目覚めはいつもこの自問自答で始まる。 最近アフリカンアメリカンの高校生を放課後預かっている。ただでさえティーンは取り扱いが難しい。のに加えて私が預かっている彼は家庭に事情があり、繊細な思春期、喧嘩に明け暮れている。非行少年と言われる瀬戸際である。いや、もう非行のタイトルは獲得済みであろう。 学校という

          ティーンとの関わり方がわからない

          イタい過去を嗤う私

          イタい過去ほど消えないのはなぜだろう。辛い・悲しい過去よりもなぜかイタイ過去のほうがふとしたときに脳裏に浮かび上がってくる。辛い・悲しい過去は情緒があり、味わい深いものであるのに対してイタイ過去は思い出しただけで赤面し、思わず嘲笑してしまうようなものである。 先生に私も投げて!と言えなかった。次、私も!と言えなかった。水の中でその場でジャンプした。どの子供より高くジャンプした。先生に気づいてほしくて。水中で、だれよりも高く、誰よりも多くジャンプし続けた。 早朝の霞の中の意

          イタい過去を嗤う私

          田舎文明の純粋さは時に刃に

          首都圏という言葉には単純に経済圏という意味での圏が使われいるのではなく、文化圏・文明圏という意味こそがその本来の意味なのかもしれないと思う。今日イスラーム圏の本について読んでいて、数年前に生まれ故郷に帰省したことを思い出した。結婚式に出席したのだ。実家は日本の片田舎。 いくらネットで先進的な情報が驚異的な速さで拡散されようとも、そしてその情報がネットを通じて地方にいる者にもアクセス可能になっても、そこに住む人たちは男尊女卑、長男神話、結婚と出産こそが女の幸せ、という3つの柱

          田舎文明の純粋さは時に刃に

          美しい朝のみすぼらしい女

          春の朝の太陽を見つめていた。まだ寒さの残る朝。鋭い虹色の光の剣が降り注ぐ真っ青な空を、仕事中であることも忘れその美しさに心奪われて立ち尽くしていた。あまりの美しさに柄にもなく、祈ってしまったではないか。何を?言葉にするにも憚られるくらい柄にもないことを。 背後から弱弱しい声がする。Excuse me Ms、How can I go to House Of Hope? 振り返ると女性が立っている。褐色の肌は乾燥で白い粉を吹き、アフロヘアーには細かい埃と糸くずが絡まっている。ま

          美しい朝のみすぼらしい女

          Can't Breathe-それは僕であり、僕らなんだ

          僕は熱烈野球少年だった。所属する野球チームの練習が終わって、くたくたになった帰り路。13歳くらいのことだったと思う。いつもの帰り道とは別のバスに乗って野球の道具や練習着の入った大きなカバンとバットを持って僕は家に帰る途中だった。僕の家は貧しかったから、練習道具をなんとかMomと教会の寄付でどうにか買ってもらった。僕にとってはそれは宝物だったんだ。僕は練習道具はいつもピカピカに磨き上げてカバンに大切にしまっていた。 あまりにお腹が空いていたので僕はバスを降りて近くにあったコン

          Can't Breathe-それは僕であり、僕らなんだ

          169番通り 小さなコミュニティがうねりだした

          田舎で育ったせいでというか、おかげでというか、近所の人同士が野菜を交換しあったり、お互いを助けあったり、ということは当たり前に目にしてきた。子供のころはそれが煩わしく、べたべたとした近所づきあいのように思っていた。大根が取れたと人の家の縁側に座り私たち兄弟を抜け目なくチェックする近所のおばさん。お寺の掃除終わりに立ち寄った自慢していないふりをして自慢をしに来るおばさん。炊き込みごはんをおすそわけに行くと2時間は帰らせてくれないおしゃべり大好きおばさん。筍を持ってきた次いでに上

          169番通り 小さなコミュニティがうねりだした