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美しい朝のみすぼらしい女

春の朝の太陽を見つめていた。まだ寒さの残る朝。鋭い虹色の光の剣が降り注ぐ真っ青な空を、仕事中であることも忘れその美しさに心奪われて立ち尽くしていた。あまりの美しさに柄にもなく、祈ってしまったではないか。何を?言葉にするにも憚られるくらい柄にもないことを。

背後から弱弱しい声がする。Excuse me Ms、How can I go to House Of Hope? 振り返ると女性が立っている。褐色の肌は乾燥で白い粉を吹き、アフロヘアーには細かい埃と糸くずが絡まっている。まだ冬の寒さが残る早春の朝。なのにコートも身に着けず、薄く、汚れたセーターによれたカーゴパンツ姿。履きつぶされたコンバースの偽物は穴が開いている。寒々しい鰹節のようなくるぶしが裾から覗いている。彼女の質問をしっかり聞き取れた自信がなく、聞き返す。How can I help you Lady?彼女は上目遣いに同じ質問をする。何かに怯えたような目をしている。彼女はJames streetにあるHouse of Hopeに行きたいのだ。

私は近辺のストリート名を曖昧にしか知らず、たぶんこのまままっすぐ行けばJames Streetに突き当たるはずだと言った。彼女の手に握り絞められた地図を見る。地図を握る彼女の手はあかぎれし、血がにじんでいる。寒さで震えている。髪は何日も梳かしていないだろう。そして彼女の薄汚れたセーターには血がついている。そして地図の出発地点はここから約2時間は離れている場所だと気づく。彼女はHouse of Hopeに行くためにかれこれ寒空の中を2時間歩いてきたのだ。

地図なんていつから印刷していないだろう。スマホに行先を入力すればあとはスマホの指示通りに進むだけのご時世に彼女はスマホを持っていない。車社会のアメリカで車も持っていない。皮肉にもその時私は普段肌身離さず持ち歩いているスマホをオフィスの中に置きっぱなしで外に出てきてしまった。財布も持っていない。

I am pretty sure you will get to James street if you keep straight.  Sorry I left my cell in my office, let me grab it to check it out for you.  そういってオフィスに戻ろうとすると、彼女はThank you Miss.  と震える声で言った。たった一瞬だけれどその目に光が宿る瞬間を見た。不思議な瞬間、不思議な一瞬だった。心臓が止まるような。射貫かれるような光。携帯を持って戻るとそこにもう女性はいなかった。

ホームレス問題や不審者の問題で見知らぬ人を警戒する風潮が強い。助けを求めるふりをしてひったくったり、最悪の場合人を刺したりという事件も多発している。貧しくみすぼらしい身なりの人に対してあからさまに避ける人は多い。彼らはこの世界に存在していないかのように。この女性を見たとき、私だってそうした可能性はある。無論、警戒感を持つことは正当な自己防衛だと思う。しかし、だれも歩いていない工業地帯のだだっ広い道を血の付いた薄いセーター一枚と破れた靴の女性に不思議と私は警戒感を抱かなかった。それはあまりにも完璧なタイミングだったからだ。

彼女が消え去ったあと、オフィスに戻った。なんだかすっきりしない気持ちで。きっと彼女は助けが必要だった。私は彼女を助けられたのだろうか。あいまいに道案内しただけで確信できない。James StreetのHouse of Hopeを検索する。女性用DVシェルターだ。彼女は一縷の望みをかけて寒空の中2時間も歩いて希望の家House of Hopeに行こうとしていたのだ。車の鍵を掴み、もう一度外にでる。車を走らせる。もう彼女はどこにもいない。私はもっと何かできたのではないだろうか。彼女が希望の家にたどり着けたことを強く祈る。その朝太陽に祈っていたのとおなじくらい強く。

これは私の無駄に豊かすぎる想像でしかないけれど、この出来事はあまりに完璧すぎる。その朝、私は美しい太陽と空に見とれながら、柄にもないこと、神様ってどんな姿をしているんだろうなどと思いを馳せていた。あまりの太陽の美しさに見とれていた子供のような曇りなき思いが通じたのだろうか。人っ子一人歩かないだだっ広い道端にボロボロの服を着た女性が後ろに立っていた。足音もなく。気配もなく。もしかすると彼女は神様だったんじゃないかなんて思ってみる。ありがちな話だけれど貧しくみすぼらしい姿をしてともすれば邪険に扱ってしまいそうだけれど、そういった姿をして自分が邪険にするか、その人を助けるか、親切にするか、神様はひとの姿を借りて見にくるのかもしれない。答えはない。証明もできない。でもそう考えてみることは自由だ。そして豊かだ。

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