見出し画像

大和魂を持つ黒人

世界は日本人に対して並々ならぬ尊敬を持っているだとか、日本人の評判はすこぶる良いなどという表現をそこかしこで目に、耳にする。日本人の謙虚さ、勤勉さ、真面目さ、親切さ、正直さを世界の人々は熱狂し、礼賛していると言わんばかりの印象を与える表現に触れることが多い。複数の海外の都市で暮らした経験から、それは完全な誤りではないと思う。でも、完全な正解でもないと思う。その美点は確かに認められているように思うが、この美点に続くのが日本人はチョロ松であるということも追記しておいても良いのではないだろうか。人の嘘を見抜けず、舐められた態度に出られても戦うことができず、失敗を恐れ立ち上がり行動することができない牙を抜かれた虎のようである、というのもセットで放映されたほうが良いのではなかろうか。

とはいえ、愛する日本。我がルーツ日本人。褒められて悪い気はしない。数年前まで自分が日本人であることなど、パスポートに印刷された菊の御紋以外に意識したことがなかった。しかし海外にいて日本人であることで、菊の御紋の印刷されたパスポートのおかげで預かった恩恵は計り知れない。

大和魂という言葉がある。そんなものは日本人の精神的ノスタルジーでしかない、と思っていた。もしくはメディアによって焚きつけられた愛国心の形なき文化遺産のようなものであろうと思っていた。ところが、最近その大和魂という言葉が頭から離れない。

私は10年以上黒人のパートナーとそしてその周縁にいる黒人の仲間たちを身近にして暮らしている。その黒人の仲間たちは尊敬すべき友である。唐突ではあるが、彼等の特徴をあげてみたい。

彼らは非常に勤勉である。寝ること、食べることと息をすることと同じくらい学ぶことが生活の一部である。

自分の年収をあげるためではなく、自分のコミュニティに何ができるかを考え、学ぶことをやめない。

国のために、未来の子供のために、同胞のために何ができるかを常に考えている。

学んだことを還元する。

リーダーシップがある。自然と人が集まってくる。力や交渉でリーダーになるのではなく、その人の在り方が自然とその人をリーダーに押し上げる。

グループの精神的支柱である。個性はあれど。

全ての人が恵まれるように行動する。

家族という枠組みを飛び越えて人を愛することができる。家族以外の人を家族として扱う。

厳しくも愛情深い。

感受性が豊で第六感がずば抜けている。

生きること自体の喜びを常に感じそれを表現している。佇まいにその喜びがあふれ出ている。

あらゆることから天のサインを受け取っている。

感情表現豊かで美的感性が鋭い。

音楽や美術を好み、創造することを辞めない。

言葉を大切にする。音を大切にする。

自然を慈しみ、命を大切にする。

自分の体を大切にし、磨く。

だれに教わるでもなく、人としての道理が肚に座っている。

グチを言わない。文句を言わない。

人事を尽くして天命を待つ。心配しない。心配する暇があるなら行動する。学ぶ。

行動力がある。

恐れがない。

戦うことを恐れない。

弱きを助け、強気をくじく。

批判されても、足を引っ張られても、決してあきらめない。

人の痛みが自分のもののようにわかる。人を傷つけない。

排除しない。どんな人でもありのままに受容する。

神がいつも自分の中にいることを知っている。自分が神の子であることを知っている。

自分を使って神がなにをされようとしているのかを常に感じている。使命を知っている。

黒人というと犯罪、貧困、暴力を連想されることが多いと思う。事実そういう環境で育った、もしくは現在そういう状況にあるという人もいると思う。でも、そういう環境で育った黒人の中にも、強い心を持ち、自分の足で立ち、どんな逆境も環境のせいにせず、自分が得た成功を自分だけのものにせず、愛を与えることを惜しまず、出会う人の心に灯を灯す、人として本当に素晴らしい人達に出会ってきた。

正直彼らの育った環境について話を聞いたとき、自分のような弱い人間はきっと腐ってしまっていただろうと思う。黒人が潜り抜けなければいけない見えない社会の包囲網は日本人の比ではない。日本人として生まれたことでかなり生きやすく恵まれているのは間違いない。

自分ではどうしようもない状況に陥っても、それでも前を向き、希望を失わず、自分に与えられた体・能力を磨き、自己研鑽をひたすらに続ける。限界を超え、高見を目指す。彼らのその姿・生き様を見て、私は大和魂という言葉を不思議と思い出す。本来の日本人とはこういう人達だったのではないかと思ったりする。私は世界に誇るべき(といわれている)日本人であるが、大和魂を持っているだろうか。魂を磨けているだろうか。日本人としての生きやすさに甘んじ、本来やるべききとを忘れていないだろうか。彼らの生き様は誇るべき日本人の魂、大和魂とは何かを問いかけてくる。

日本人は特別だとか使命があるだとかよく聞く。でも私の知る黒人の仲間のように誇り高く、金や名誉ではなく、自らの気高い誇りによって世のため人のために生きている日本人はどれくらいいるだろうか。魂を汚さず、高い視点で物事を見、人を愛し、惜しむことなく喜びを他者に与え続けられている日本人がどのくらいいるだろうか。特別であるとか特別な使命があるとか言われている日本人である当の私はどうだろうか。

私は選択の余地もなく社会の底辺に追いやられてきた黒人の生き様を見て、神様は不思議なことをなさると思ったりする。彼等を奈落の底に突き落とし、結果彼らは、落ちぶれ、見下され、迫害され、同情すらされるような立場に追いやられてきた。でもそれでも人としての道理を見失わず、立ち上がり、生きるという意志を持ち、神を信頼し、神と一心同体となり、ともに歩む、その逆境を克服し強さに変え、人に喜びを与える、黒人のその精神力の強さを神様は知っていたのではないだろうかと思う。神は試練を与えられる。その試練に耐えられるもの、神の意志の表現者としてふさわしい魂を持っていると見込んでいるからこそ彼らを絶望の谷底に突き落とされたのかもしれない。そして確実に彼らの中にはその谷底から這い上がり、人を導き、愛し、許し、絶望を知ったものでなければ放てない細微な美しい輝きを放つものが私の周りだけでも何人もいる。その姿はさながら神がかっているとすらいえる。彼等は言う。自分はただの入れ物だと。そこに神の意志を受け取るのである。それこそが神がかりである。強い精神と肉体の持ち主にこそ神がかるのである。

大和魂とは日本人特有に備わったもののように考えていた。でも実は大和魂とは日本人に限定されたものではなく、大和魂を宿したひとは人種に限らず、世界中にいると、私は多くの尊敬すべき黒人の仲間たちから思うのである。私は偶然黒人からそう気づかされる機会があったが、それは黒人だけでなく、ヒスパニック系でもアジア系でも誰でも良いのだ。この話の「黒人」の部分をメキシコ人でもイヌイットでもトルコ人に置き換えても良いのだ。なぜか。この世界を作った神が人種によって差別をするはずがないからである。種は百姓にある。どこの百姓でも良いのだ。その種=魂さえあれば。大和という言葉がどこからきているか。神の民。きっと光輝く大和魂を持つひとは世界中にいる。私は黒人の中にある大和魂を見て、日本人である自分自身の大和魂に立ち返るのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?