ベストな学校

子供を迎えるにあたって、私たち夫婦は揉めている。何でもめているかと言うと、引っ越し先である。今の家が手狭になってきたので、不動産バブルの様相強いこのタイミングで一旦売却し、新しくもう少し広い家に引っ越したいというのが大きな理由だ。大きな家ならばここはアメリカ、どこにでもある。しかし、理想の大きな家を見つけるのは容易ではない。また、不動産の値上りや家賃収入の見込みを考えると、大きければ良し!と飛びつくわけにはいかない。

私たちにはこの問題を複雑にしている要因がもう一つある。それは学区である。今までは夫婦二人暮らし、静かで安全で快適であれば、家選びに複雑さが生じることはなかった。ところが、私たちはここにきて子供を持とうという決断に至ったのである。アメリカの学校制度は資本主義社会の縮図である。富める地域は平均的に住宅価格が高額であり、そこに住める富裕層の納める固定資産税はその地域の教育財源となる。高額な固定資産税により、富める地域には潤沢な教育資金が注ぎこまれ、更に教育熱心な裕福層がその地域に流れ込み、さらなる税収が増えるという好循環の波に乗る。それにより優秀な教師、最新の設備、プログラムを提供できるようになり、結果生徒たちは充実した教育を受けることができる。一方で窮する地域は州や政府の財源を頼りにするしかなく、その地域の住宅価格は一般的に安価である。その固定資産税からの税収では教育財源が十分に確保できず、学校は十分な設備やプログラムを提供することができない。また安い地域には所得も決して高くない層の住民が住み、場合によっては生活保護などによりさらに財政は圧迫される。良い待遇で教員を採用することも難しくなり、学校のレベルがあがらない。

学校は親の経済力の反映である。残酷極まりないが、この現実はアメリカに於いて目を瞑っても浮かび上がってくる悲しい現実だと思う。そして経済力は人種による所得格差の反映である。白人は裕福であり、有色人種は貧しい。アジア系に於いては一概にはそうは言えないが、白人と黒人・ヒスパニックを比較したときに、これは実に明らかである。差別的な視点を抜きにしても、政府データ・州の統計を見てもそれは明白である。こうして人種間の所得格差が教育格差につながり、そして子供の将来の所得や経済レベルを決定するといった厳しすぎる鬼のような仕組みが完成し成熟しているのがアメリカである。(色々な是正措置等はここでは触れない)

私は日本人で、夫はアフリカンアメリカンである。私としては日本で生まれ育ち、日本の公教育の恩恵にあずかり、学力の面でも人格形成の面でも本当に恵まれたと思っている。学力が全てではないが、学力は生きていくための力に必ずなる。論理的思考、批判的思考、忍耐、衝動のコントロール、試行錯誤する力、切磋琢磨すること、学習に重きを置く環境で培った能力がなければ私は人生のかじ取りに成功していただろうか。その恩恵を思うと、やはり子供には最高ではなくとも、ある程度の環境を用意してあげたいと思う。従って中程度以上のレベルの学校がある地域に住みたいと思う。

一方夫は、公立の学校の評判やレベルは気にしない。どこにいてもアメリカの公立の学校はどんぐりの背比べであるとの結論からである。優秀な学校は白人が多く、結果優秀校になる。それは同じ人種、価値観という排他的な環境によってもたらされた成功であり、教師が優秀なわけではなく、白人の成功物語が学習内容の根幹であり、それを同じ人種と疑いもなく学べば、優秀になって然るべきである。自分自身はゲットー育ちで貧困層の学校に通っていたが、それでも博士課程までも修了し、そこそこの職業につくことができたため、学校が全てではないとの結論である。貧困層の学校でも優秀な者にはリソースや支援が提供され、夫はそれを自らフルに活用して今の立場と成功を獲得してきた。そこで生きる力を培い、強さや社会の現実を見ることができ、すべてが彼の財産となっている。また貧困層の学校にこそ本当の子供らしさもあると言う。

また、彼はアフリカンアメリカンの子供として同じ肌の色をした子供に混じって暮らすことの重要性とアフリカンアメリカンと日本人の子であるというアイデンティティを確立させることに重きを置いている。優秀校だからと言ってそこに入学しても白人への同化だけは決して許さないと断固たる決意である。彼の中では色々なバックグラウンドの子供がいる学校こそが良い学校であるとの考えである。

私の考えも一理あるし、彼の考えにも一理ある。彼の言うようにアイデンティティの面で同じ肌の色をした人たちがいる学校にいくことのメリットはあるが、同じ肌の色をしているからといって同じ価値観であるかどうかは別の話であるというリスクも認識しなければならない。彼は強く、優秀で、運の良い子供だった。それは彼の生まれながらの意志や才能だったのかもしれない。しかし、すべての子供が彼のように周りの誘惑や見えざる劣等感による嘲笑を完全に無視し、自分の道を突き進めるほど強くはないと私は思う。だからこそ、私は子供には身体的・精神的安全が守られ、のびのびと自分の能力を生かして成長できる学校に通わせたいと思うのだ。

今、新しい家を選ぶ上で、良い学校が必ずしも私たちの子供、黒人と日本人の子供には良い学校とは限らないとひしひしと感じる。最終的にどこに着地するのかはわからないが、白人と日本人夫婦であればこのような問題はなかったのだろうかと思いながら今日も物件を見ている。まあ、最終的には子供はどのような環境でも育ち、私たちが頭でっかちになっている面が大きいとも思うし、住む場所を選べるのは贅沢な悩みだと思う。今から5年10年後、学校制度自体もどうなっているのかわからないしね。黒人と日本人のカップルの方で同じような経験がある方は、ぜひ体験を教えていただければとおもいます。


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