169番通り 小さなコミュニティがうねりだした
田舎で育ったせいでというか、おかげでというか、近所の人同士が野菜を交換しあったり、お互いを助けあったり、ということは当たり前に目にしてきた。子供のころはそれが煩わしく、べたべたとした近所づきあいのように思っていた。大根が取れたと人の家の縁側に座り私たち兄弟を抜け目なくチェックする近所のおばさん。お寺の掃除終わりに立ち寄った自慢していないふりをして自慢をしに来るおばさん。炊き込みごはんをおすそわけに行くと2時間は帰らせてくれないおしゃべり大好きおばさん。筍を持ってきた次いでに上がり込んで夕飯時まで居座るおじさん。子供にとって親の目の監視だけでも十分なのにどこからも監視の目が光っているようで煩わしかった。
って記憶が今日の明け方からとめどなく溢れてきた。今日は満月で眠れなかった。眠れない明け方に思い出すのがなぜか近所の物々交換の思い出。もう少し恰好の良いものはないのだろうか。
私は今アメリカに住んでいる。家族・親戚はすべて日本にいる。旦那との二人暮らしで二人ひっそりと暮らしている。このコロナ禍で例にも漏れず私たちも在宅勤務になった。
色々な所で色々なことを聞く。TVはわめく。
孤立する人が増えています。孤独を感じ鬱状態になる人が増えています。
コロナによる失業で食料危機に陥る家族がいます。
人との断絶が進みます。
しかしこのコロナ禍で自分の身の回りだけを見渡してみれば、それとは正反対のことが起きている。
私たちは小さなおうちに住んでいる。近所の人たちも似たような小さなおうちに住んでいる。ご高齢の方、若い方、いろんな人種、いろんな家族が住んでいる。正直全くもって他人同士、見ず知らずのどこの馬の骨ともわからない者の集まりの私たちの169番通りなのだが、色々なものがぐるぐるぐるぐると回っているのだ。
いったい何がぐるぐるしているのか。
例えばそれは食べ物。例えばそれはお手伝い。隣の白人のおばあさんからブドウを買いすぎたからぜひ食べてと頂く。私は庭でとれたトマトをおばあさんにあげる。朝の散歩中に近所のアジア人青年に挨拶をする。彼は草刈り機が壊れたからHome Depotに行かないといけないんだ、と肩をすくめる。私たちは草刈り機を貸してあげる。ロシア系のご老人夫婦が窓ガラスを交換したいけれどコロナで大工さんが来ないという。旦那とそのアジア人青年がそのご老人夫婦の窓ガラスを交換する。ご老人夫婦はしばらく使うことがないからと飛行機のチケットをくれる。釣りから帰ってきたアジア人青年は大漁だったよ!と立派な鮭をくれる。近所のインド系の女性がブルーベリーに実が取れすぎて困っているからと箱いっぱいのブルーベリーをくれる。北欧系のおじいさんがインターネットの調子が悪いと言う。旦那が直しに行く。庭先でカメラの腕を上げるべく練習している旦那にヒスパニックの男性がいいカメラだな、と声をかける。今度娘の16歳の誕生日パーティがあるんだ、記念写真を撮ってくれないかという。旦那は彼の娘とその家族の記念写真を撮り、プレゼントする。そのヒスパニック家族は私たちを招き手作りのメキシコ料理をふるまい、マリアッチを演奏して楽しい夜を過ごす。黒人のおばあさんが病院までの足がないという。私は彼女を病院まで送っていってあげる。
あこんなふうに物の貸し借り・物々交換がぐるぐるぐるぐると果てしなく続いているのだ。必ずしも物と物ではないけれども、お互いにできるちいさなことを少しずつやっているのだ。
在宅になって人と出会うことが減り、私は社会から切り離されたと思った。TVがご親切にアドバイスしてくれるように孤独から鬱になったらどうしようかと心配していた。ところが、TVを消して自分の足元を見てみると正反対のことが起きているではないか。
私たちの住む169番通りは決して裕福な人たちの住む場所ではない。立派な外壁に囲まれたセキュリティシステムばっちりのおうちなんて一つもない。でも私はこっちのほうがいい。親切さを与えられる関係。同僚との距離はできてしまったけれど、家にいる時間が増えたからこそ近所に住む人同士のコミュニケーションが増え、そしてお互いを助けあえるようになった。むしろ同僚と距離ができてなんの問題もないと思っている。同僚は利害関係の一致した関係だ。でも私の周りに起きているのは利害や見返りを求めないお手伝いと少しの親切の単純な繰り返しなのだ。
以前大きなお家に住んでいたころはこんなことはなかった。みんな立派なお家に住んで、高級車に乗ってホワイトニングされた真っ白な歯をキラキラさせてとびっきりのスマイルでご挨拶はしてくれるが、それ以上お互いに関心もない。トマトがとれたので食べてくだせえなんぞ言おうものなら、足りてます!とぴしゃりと黙らせられたかもしれない。
今はみんな日本社かアメリカ国産車を乗っている人たちの集まりだが、お互い干渉しすぎない程度に関心を持ち、お互いできる限り何か良いことをしたいだけの関係なのだ。
コロナで引きこもり始めて、孤独になったと思い込んでいたけれど、気づいたら生まれ育った故郷のような小さなコミュニティが私の周りに出来上がっていた。昨今立派な起業家とかが唱える小さな経済圏とかいうすんばらしい私には縁遠いごりっぱなこったと思っていたそんなものに近いもの、シェアリンゴエコノミーもどきが私の周りに育ちムクムクと拡大しているではないか。明け方よどみなく浮かびあがってきた故郷の記憶は、今の現状を故郷のかつてうっとうしかった、でも血の通った田舎の助け合い集落がここにあるよと教えてくれていたのかもしれないと思う。