僕の、私の、「自己満的世界観」
これまでの人生に触れてきたもの全て(人や読物、音楽、ファッション etc…)
当人すら気付いていないあなたという人間が作り出している世界観は必ず存在すると思う。個性的だと言われる人はそれが見た目から滲み出てわかるからである。別に滲み出なくても良いよね。
小学生の時、UVERworldというバンドにハマった。音楽への入り口だった。高校生の時、洋楽に目覚めた(とりわけメタルだったけど)そこから楽器に興味をもった。バンドマンの始まりだった。
大学生の時、好きになった子がファッション好きだった。ヨウジヤマモトやコムデギャルソンに魅せられた。ファッションの沼に、両足がどっぷり浸かった感触があった。
自分を構成する一部として吸収されるものもあれば、反対に失っていく古い成分もたくさんあった。そうして今、自分という人間がこうしてnoteを書いている。
そして自己満的世界観が完成した。厳密にはまだ発展途上と呼ぶのが正しいかもしれない。大学生の頃、授業でペアを組んだ同い年の男子に、第一印象として「世界観があるね(震声)」と言われた事があった。
ある程度話をして思った、「世界観は君にもあるけどね」と。
もっと踏み込んで話してみたかった気もしたけど一期一会に従い、
潔く終了のチャイムと共に足早に喫煙所に向かった。
僕はこうして出来上がった自分の世界観を他人強要したり、布教するのがあまり好きじゃない。好きなものは自分の宝箱にしまっておきたいタイプだし、秘密にしておきたい。なぜなら仮に自分の世界に招待しても、簡単には足を踏み入れてくれない事を理解しているからである。
自分の世界を作った理由は、誰かと共有する為じゃなくて、自分自身が楽しむ為でしかない。日々見つけた面白いエンタメやカルチャーは気の合う友達と共有するけど、それらを含んで出来上がった自己満的世界観を押し付けるなんて野暮な事は全くしない。
アイデンティティーやモラトリアムだの、叫ばれる昨今が嫌い。
本当はみんな一人一人には世界が存在していて、それは宇宙とも呼べる無限の空間で、不規則な物質が散乱しながらゆらゆら浮遊しているんだと思う。
僕が以前、「人のこだわりを笑うな」という記事に書いたように、こだわりの集積があなたの世界に直結していく。なんて素晴らしいんだろうと、心の底から思う。
だからこそ、みんな自分の世界を拡張し続け、それをたまにこうした媒体に投稿してみても良いんじゃないかな。多くはないかもしれないけど、同じような感覚の人は一定数存在する。そこで気づく、自分は一人じゃないんだと。
もっと前衛的に世界を作って伸ばして大切にしていくこと。
少なくとも、僕はそんな人が好きだし、自分もまだまだ世界を拡張し、時には潰して、そこに別の何かを流し込んで、昨日をやったり今日を迎えたりしながら生活を続けていきたい。
つまるところはこうだ。
自己満的世界、バンザイ。
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