自分にとっての恋とか愛とか。
「久しぶり!○月に結婚式あげることになってさ!招待しても良い?」
「久しぶり、そうなの?!おめでとう!あとで住所送るね」
もうすぐ27歳になるこの春。
こんなやりとりはもうn回はやった。
元カノの口癖だった"n回"をまだ使ってるうちは、結婚はおろか恋人すらできないだろう。
社会人になり、俗に言う"大人"というカテゴライズをされる状態になった。コロナ禍でリモートワークが当たり前になり、社会との隔たりがより一層強固になった。
数年、恋や愛と遠い生活をしてきたせいか、始め方以前に、それがどんな感覚で自分に染み込んでくるのかすら、朧げだ。
だから、「自分にとっての恋とか愛とか」をテーマに頭の中をここに綴ろうと思う。
冒頭から偏見丸出しだけど、
極論、独りでも生きていけるこの時代で、パートナーを探すのは、単に寂しいからだと思う。
けどその寂しさに対して、別の"何か"が加わった瞬間に、人は結婚を決意するんだと思う。
兎にも角にも、その"何か"が、見えないからみんなもがいているんだと思う。
殊に恋や愛の話をする際、居心地の良さはすごく大事で、むしろそれで完結してしまう程の重要性をも感じる。
"居心地が良い"とは、何にもしなくていいやと何かしてあげなきゃが同居している状態で、優しさや思いやりを持って、もっと素直を振りかざすべきなんだと思う。
偽りは何事においても悪ではあるけど、相手を傷付けたり悲しませる要因を大きく占めているのは言うまでもない。
人を好きになるって事は、その人の事をある程度知っている前提で、付き合ったり結婚してからその前提が覆るケースを何度も見た事がある。現代はそんな現象が多過ぎる。
最近は恋とか愛に関して、情報の多さと経験値が見事に反比例してる。
話を戻って、"自分にとっての恋とか愛とか"
素直を振りかざして、また素直によって泣き笑いそれを幸せにできる。それが自分にとっての恋とか愛だ。
喜怒哀楽の源泉は恋や愛であって、それは人生を容易く変えてしまう。初めてデートした喫茶店、湿った7月の雨空、間に合わなかったホテルの朝ビュッフェ、記念日に見た東京の夜景。
身分や地位を昨日に置き去りにして、目の前の感情にだけ従って生きる日々。恋や愛が人を強くするというのは事実で、世界を覗くフィルターが一瞬にして、その人の色になる。
過去を大切にしまった人も、健在進行形の人も。
たくさんの感情に出会って一喜一憂して、変えられない今を輝かせている。
本当の意味での、恋とか愛はまだまだ先になりそうだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?